第四十話:熊野誠司〜記憶〜
どこか面白いところはないかな、何か面白い遊びはないかな。
幼稚園は退屈ではなかったけど、いつもと同じメンバーと同じ場所で同じ遊びをするのに、いささか飽きていた。幼稚園の中庭、藤のツタが鉄の格子にからみついて出来た天井。その下にある砂場で同じ組の健ちゃんと楊君と、捕まえてきたカマキリを闘わせる遊び。今思えばかなり残酷な遊びだったが、それでも俺たちは夢中になってやっていた。
だけど、その日はそんなことを思って、普段は行かない滑り台の方へ歩いていった。
でこぼこの石が表面に貼り付けられた登り場と一体になった滑り台。ところどころ穴が開いていて中は洞窟みたい。俺は何の気なしにその一つを覗いた。
男の子が体育座りをしていた。
見たことがない。きっと違う組の子だ、そう思った。
泣いているらしかった。
淡い水色の園児服の袖のあたりが少し濃くなっていた。涙を拭いた跡だ。男の子は膝の上に腕を乗せて、その中に顔を埋めたきりピクリともしなかった。「何をしてるの?」とか声をかけたんだと思う。よくは覚えていないけど、男の子が弾かれたように顔を上げたから。
男の子の名前は熊野誠司君。俺と同じ年長組で、一つとなりの組、緑組だと言った。
俺は熊野君が何故泣いているのかではなく、自分の予想が正しかったことが嬉しかったのを憶えている。
熊野君は同じ組の男の子数人に、砂をかけられていじめられたことを俺に話した。時折そのことを思い出すのか、言葉に詰まって涙を流す。
そういうことをされるようになったのは、年長組に上がってかららしい。相手は高山君他数名。俺も高山君には幼稚園に入った最初の年、同じ組で嫌がらせをされた記憶があった。根性の悪い子だと思っていた。
俺は年長組に上がってから少し体も大きくなり、友達も数人ではあるが、いた。
だからかは知らないが、気が大きくなっていた。
新しい友達が出来るかもしれない。高山君に復讐してやりたい。そんな気持ちもあったのかもしれない。
「俺がやっつけてやるよ」
熊野君に返した言葉は確かそんなだった。
俺が高山君に喧嘩を仕掛けた時、周囲には健ちゃんも、楊君もいた。だけど手を貸してはくれなかった。俺と目が合うと、顔を俯け、逃げるように幼稚園の建物の中に入っていった。
俺は泣き出したい気持ちを、どうにかこうにか抑えて、高山君に飛び掛った。
何だ…。俺は結局いつも同じようなことをやっているんじゃないか。
高山君の顔の近く、首のあたりに小石が当たった。
高山君はぎゃっと呻くと泣き出してしまった。俺のパンチもきっと効いたんだ。
後ろを振り返ると熊野君が泣きながら、小石を拾っているのが見えた。
俺と熊野君は幼稚園から連絡を受け、迎えに来たそれぞれの母親と共に、高山君に謝った。
高山君のお母さんも来て、大人三人がずっと何かを話していた。
今となってはそのときの高山君がどんな顔をしていたのか思い出せない。
ごめんなさい、と頭を下げる俺に、同じように頭を下げた熊野君が笑いかけてきた顔を見て、堪らなく嬉しかったから。
俺は高山君がいなくなると、ぐるりと回って、母さんにドロドロになった園児服を見せた。
母さんは困ったように、でもどこか誇らしげに笑っていた。