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第三十五話:かがみ(下)

翌日は父さんと二人で、母さんの墓参りに出掛けた。

電車に乗る前に献花を買った。桔梗の花。白く瑞々しい花弁と、強くしなやかな茎。

父さんと母さんがまだ結婚する前、父さんがよく母さんに贈っていたと、父さんに以前聞いたことがある。「変わらぬ愛」という花言葉を持つその花を母さんは愛していた。

「久しぶりだな…二人で母さんに会いに行くのは」

より田舎に向かう下り列車は人もまばらで、父さんは空席だらけの列車の座席を見つめながら言った。俺もそうだね、と相槌を打ちながら見るでもなく車内に視線を巡らせていた。


母さんの墓は俺が住む街から数駅離れた場所にある寺のそばの、共同墓所の一角に位置する。ここの住職は非常に気持ちのいい人物で、母さんが死んで間もなく、度々訪れていた俺を見つけると、世間話や、時には説話めいた話をしてくれた。

俺たちはその住職に挨拶を済ますと、墓所の石畳を歩いて母さんの墓まで歩いていった。

母さんの墓は久しぶりに訪れるにも関わらず、非常にきれいな状態であった。

きっとあの気の良い住職が全ての墓をきれいに保っていてくれるのだろう。俺は寺を振り返ると心の中で礼を言った。


黒い石に彫られた「坂本家之墓」という文字をぼんやり見つめながら、俺はここ最近の出来事を母さんに報告していた。クマッチョとメイメイ、新しく出来た友達。メルヘル。

クマッチョは俺を気遣って色んなことを考えていてくれた。いじめられても俺に声を掛けなかった。木田と湯原は俺の失言によって一時は軋轢を生みそうだったけど、何とか持ちこたえて今までよりももっと仲良くなりそうだ。

俺は人の心のつながりを知った。それが脆いものではないと知った。

ようやく俺は母さんの影ばかりを追いかけることをやめれた。俺を陰ながら支えてくれる人々の温かい心に気付いて…。

「コーヨーはまた楽しそうに笑ってくれている」

父さんの声に俺は現実に引き戻された。

隣でしゃがみこんでいる父さんを見遣った。顔の前で手を合わせ、祈るように目を閉じている。口元は微かに、それでも嬉しそうに緩んでいた。


俺は鉛を飲まされたような気分だった。

今ようやく気付いた。

父さんが笑わなくなったのは、俺が笑わなくなったからだ。

思えば簡単なことだ。

妻の忘れ形見の俺が笑わないのに、父さんは何が楽しいだろう。何が嬉しいだろう。

たった一人の息子が笑い方を忘れたように塞ぎ込んで…。

「父さん……」

「俺は逃げていたのかも知れない」

父さんは瞼を閉じたまま。口元を引き締めて、涙を堪える子供のように。

「母さんが死んで…笑わなくなったお前を見ているのが辛くて…」

胸が焦げるように熱かった。

「俺は父親失格だ」

「そんなはずないよ…。父さんは…父さんは俺を養うために必死になって働いて…」

そんなはずあるわけない。父さんが父親失格だというのなら、俺は息子失格だ。

父さんだって辛かったのに、俺がいつまでも母さんのことを引きずって…。

「お前は…お前は笑っていてくれ」

父さんの声は震えていた。泣いているのかもしれない。わからない。

もう数センチ先も見えない。笑わなきゃいけないのに…堰を切って流れる涙は止めようもなかった。

それでも俺は笑った。

汚い笑顔だったと思う。涙も鼻水も流しながら、顔をクシャクシャにして…。


父さんも笑ったような気がした。


坂本というのは、母親の旧姓です。

コーヨーの一人称でそんなことを説明させるのは憚られました。容易に推察できることではあると思いますが、一応注釈ということでお願いします。

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