第三十四話:かがみ(上)
父さんに話したのは木田と湯原のことだ。
俺のポカが招いた二人のわだかまり。結果としては元の鞘に収まりそうだということ。
父さんはリビングのソファーにどっかりと腰掛け、途中口を挟むこともなかった。
最後まで聞き終わった父さんは、何か考えているようで瞑想するように瞼を閉じた。
「お前…プラナリアって知ってるか?」
父さんの口から出てきたのは不可思議な単語。また始まったのかな、と思った。
「あの川とかに住んでる?」
実物を見たことはないが、小学校のとき理科の教科書で見たような気がする。
「ああ、川にも住んでるかな…俺は大学時代、生物学の講義で解体したことがあったんだ」
父さんは淡々とした口調だが、俺はあのナマコみたいな生物がバラバラにされるところを想像して顔を顰めていた。
「やつ等は再生能力に長けていてな…バラバラにしたら、そこから足りない部分が生えてきて、分けた分だけの個体にそれぞれなるんだ」
父さんは両手を、ナイフとフォークを操るように動かした。
「すごいね」
凄い。人の気まぐれを歯牙にもかけず、逞しく生きる生物。
「ああいった下等生物でも再生をするんだ」
俺は父さんが何を言いたいのか、薄々感じていた。
「人間の対人関係と、プラナリアの再生能力を結びつけるのは乱暴だよ」
「そうか?」
「…アイツらのは、何て言うか命に関わる問題じゃないか。体の再生」
それに較べて、対人関係はダメなら切ればいい。少なくとも学生をやっている時分には、そういったことは簡単だ。友達に嫌われたなら、その関係を再生しなくても、新しい友達を作ればいい。
「同じだよ…人と人との繋がりは命に関わる問題だ。お前が仮に友達を省みず、身勝手をし続ければお前の傍からは誰もいなくなる。誠司君も芽衣ちゃんも愛想を尽かして…」
想像してみろ、と父さんは俺を見た。口元は緩めているが目は真剣だ。
誰も彼もに嫌われて、一人ぼっち。クマッチョもメイメイも、木田も湯原も、メルヘルも父さんも俺の傍にはいない。そんな世界で俺は生きていけるのか?今まで多くの人間に支えられて、それでも母さんを未練たらしく思っていた俺が…。
「本当に大切なものは壊れたら、直すしかないんだよ」
父さんの優しい口調が、大切な言葉が、真っ直ぐに俺を打つ。
俺はいつの間にか失念していた。
木田と湯原だけの問題のようにすり替えて、元凶である俺も彼女等に嫌われる可能性が十分にあったことを。
父さんは俺の反応に満足したのか、していないのか…。テーブルの上の新聞を黙って広げた。