第二十三話:失ってはならないもの
もう一人の男子は高山健と言うらしい。
志田が教えてくれた。鼻の骨が折れているらしく、未だ気絶しているらしい。今は志田の応援に駆けつけた、生活指導のこれまたイカツイ日高教諭によって保健室に運ばれて、眠っていることだろう。
職員室の奥、生活指導室と呼ばれる小部屋に俺とクマッチョの二人は通され、事情聴取が始まったのだった。黒い安物のソファーの上で時折身動ぎしながら、俺は志田にコトの顛末を話した。クマッチョは俯いたきり何も話さない。この場所に気後れしているようにも、さっきの俺の喧嘩を引きずって怯えているようにも見えた。
怒られるだろうと思っていたのだが、意外にも志田は顔一杯に喜色を浮かべた。
「喧嘩はまずいけどな…俺はお前のその男気は嫌いじゃない」
志田は怒らせると怖いが、非常に人情家だと誰かが噂していたのを思い出した。
「…俺は褒められるようなことは何もやってません」
クマッチョをちらりと見遣った。相変わらず俯いたままだ。
「まあ確かに喧嘩はな…」
「そうじゃないんです。俺は…こんなこと先生に言ってもいいのかわかりませんけど…喧嘩したことには何も後悔してません。俺の友達を傷つけたんだ。殴らなきゃ気が済みません」
俺は他の友達やメルヘルにかまけて、クマッチョのことをないがしろにしていた。
そのことが堪らなく情けない。
「…俺も教師だから、暴力はいかんと言わざるを得んな…俺たちに相談してくれても良かったんじゃないか?」
志田は太い眉毛を寄せて、俺の顔を真っ直ぐに見る。きっとそれが常識的な対応なんだろう。
でも…。何が正しいかはお前が決めろ。父さんの言葉を脳内で反芻する。
「すいません…」
俺は間違ったことはしていません、と正直に言えるほど子供でもなかった。
けれど内心には、ほんの少しの達成感とクマッチョへの申し訳なさしかなかった。
結局俺とクマッチョは今日は帰っていいということになった。
俺の処分は明日にも言い渡されるらしいが、情状を酌量して悪い結果にはしないと志田が言っていた。メイメイには今日は行けないと電話を入れて、俺とクマッチョは二人で下校する。
「どうして俺に言ってくれなかったんだ?」
責めるような声音にならないように、慎重に慎重にクマッチョに尋ねた。
「…僕は」
クマッチョは校舎を出ても俯いたままだったが、一瞬顔を上げた。頬に涙の跡が見えた。
「俺を巻き込まないようにしたかったの?」
「…そうじゃないんだ。それもあるんだけど…僕はコーヨーの足手まといになりたくはないんだ」
「足手まとい?」
俺は場違いな言葉にクマッチョの横顔を見つめた。
「……コーヨーは湯原さんとか、木田さんとかと最近仲良くなったから…どっちかと付き合ったりしてるのかなって…」
そんなことは今のところない、と口を挟みそうになったがどうにか堪えた。
「お互い高校生になったんだから…それぞれ別の道もある。コーヨーが幸せになるのを僕が邪魔をするわけには…いかないんだ。僕の都合でコーヨーを振り回しちゃダメなんだ」
俺はまた泣きそうになっていた。どうしてそんな風に考えるんだ。きっと俺の母さんのこともクマッチョの頭の中にはあるんだろうけど、俺がここまで来れたのはお前とメイメイ、父さんや熊野のおじさん、おばさん…色々な人に支えられてきたからだ。
そんなかけがえのない関係を切り捨てて、俺が幸せになれるはずがないのに。
それともそんな風に俺は見えてしまったのか。
「そんなこと…そんなこと言うなよ!」
「でも…」
クマッチョの目に涙が浮かんでいるのを見て、俺も胸が熱くなった。
「お前が俺のことを大切に思ってくれるのと同じように、俺もお前のことをかけがえのない親友だと思ってるんだ!!俺の気持ちをわかってくれよ!俺が悪いことはわかってる。いくらでも謝るよ。だけど…言葉が少し足りなかったくらいで、一時遊ばなかったくらいで壊れてしまうほど俺たちの関係は脆くはない筈だろう?」
そうだと言ってくれよ!!
「コーヨー!!」
クマッチョが俺に抱きついた。勢いのつき過ぎたクマッチョを支えきれずに地面に倒れこむ。
男とは思えないほど柔らかい体の感触。いつ以来だろう?クマッチョの体に触るのは。
昔はよく肩を組んだりしたのに、いつの間にか互いに触れる機会は少なくなっていった。
昔に戻ったみたいで、こそばゆいような感覚に胸が温かくなった。
「まあ、こんなに丸々と太って…」
軽口を叩かなければ、俺まで声を出して泣き出しそうだった。