第二十一話:wipe out
父さんに電話した。自分がどうすればいいかわからなかったからだ。
困ったことがあると、俺は大抵父さんに相談する。父さんは仕事中だろうが、俺はどうしても父さんの意見を仰ぎたかった。父さんに相談すれば何かしらの答えが出ると思った。
クマッチョが何か思いつめているんだ。父さんが火葬場で言ったことを思い出したんだ。
そんなことを喋ろうと思っていたのに、いざ電話口から父さんの声が聞こえてくると、
「俺さ…何が正しいことなのか、何をやりたいのかわからなくなったんだ」
電話の用件を問うてきた父さんにそんな独白とも、相談ともつかない言葉が口をついて出た。
「…何の話だ?」
ややくぐもった声で父さんが聞いてくる。父さんの疑問は最もだ。俺は自分でも何を話したいのかわからなくなっていた。
「クマッチョを尾行してみようと思うんだ」
そんなことを俺はしようとしているのか。口の神経と頭が乖離したような気持ちだ。
「だから何の話なんだ?」
「クマッチョがさ、何か困ってるみたいなんだ……でも何にも話してくれなくて」
だから尾行するのか。もうお互い小学生じゃないんだぞ。それぞれ思うところがあって、行動できる歳になっている。もしかしたら、踏み込むべきでないプライベートを侵すことになるかもしれない。クマッチョはそれを知って怒るかもしれない。
「…状況は何となく分かった」
「俺がやろうとしてることは…」
「サダム・フセインがさ…クウェートを占領したときに、こんなことを言ったそうなんだ」
突然父さんが言った。
「今ある中東諸国の国境は、帝国主義下の西欧列強の都合で作られた人工的なものだ」
「父さん?」
言いながら俺は大して違和感を抱いてはいなかった。父さんの枕詞なんだとわかっていた。
父さんは何か大それた比喩を出して、話をすることがある。
「自然のアラブ統一国家へ至る過渡的なものに過ぎない…って」
「……」
「俺はさ、サダム・フセインを支持するわけじゃないけど、この言葉には一理あると思うんだよね。地理上、イラクからペルシア湾に出る途中にクウェートがある。アラブ統一国家ってのはさておいても、自然のって言葉尻だけを解釈すると、これは不自然だと言わざるを得ない。この侵略行為が認められないのなら、イギリスだってバラバラになって然るべきじゃないか?」
確かに侵略した時代によって現状の領土が変わるのはおかしい。強引な話だが、そう思った。
「でも実際は、イギリスのほうは是で、イラクは否だ」
「そうだね」
「多くの人間が形成する世論でもそんななんだ」
父さんは皮肉るような口調だ。斜に構えた高校生みたい。
「何が正しいかはお前が決めろ」
「…父さん」
「だけどこれだけは憶えておけ。俺はお前がどんな選択をしようとお前の味方だ」
父さんの口調は穏やかだ。歳相応の、大人の男性だけが持つ優しさを感じた。
大袈裟な枕詞のあとの結論はいつだってシンプルで、父親のものだった。俺はそんな父さんの語り口が好きだ。
「父さん……ありがとう」
携帯電話を切ると、俺はそれを宝物のように机にそっと置いた。