第十三話:流感みたいに(下)
「人の目を気にしないで、気に入った人間とだけ仲良くするって案外難しいことだと思うの」
木田は不安げに窓の外を見遣った。俺もつられて顔を横に向けるが、一層強くなった夕陽が目に入り、すぐに視線を前に戻した。
「どうして?」
「私は……友達だと思う人にも、嫌われてるんじゃないかっていつも心配で…」
木田が言っているのは湯原のことじゃないだろうか、と思ったが口は挟まない。無言で言葉の続きを促した。
「同時にその人にも、本当に友情を感じているのかわからなくなって…」
「…それって」
本当に友達と呼べるのか。
「親しい人にでもそうなんだから…やっぱり自分が他人からどう見えるのか気になってさ」
「じゃあどうして、俺とは仲良くしてくれるんだ?」
俺の風評も決して良くはない。俺と仲良くしているのが知れたら、それこそ他人からはどう思われるか…。
「…何でだろうね?きっと…私も心の底では変わりたいんだと思う」
プリントの端を指で弾きながら、木田は自信のなさそうな顔で言う。
「人の顔色ばっかり気にするのをやめたいのか…」
「うん、多分ね。だからそれが出来る日野君に…」
師事されるほどのことか、と思ったが木田の横顔が真剣だったから、茶化すのを止めて口を噤んだ。木田も恥じ入るように視線をプリントに落としたきり上げない。
執拗に木田がプリントを爪弾く音だけが廊下に満ちていた。
木田を駅まで送って行った後、何の前触れもなく降り出した夕立に、俺は悪態を吐く以外、なす術なくびしょ濡れになってしまった。クマッチョの家でシャワーを借りたのが、二時間ほど前。父さんに買ってもらった銀色の腕時計で現在の時刻を確認すると午後九時を回っていた。
季節外れの夕立に、すっかり濡れそぼった幽霊森に足を踏み入れると、濃厚な緑とむせ返るような土の匂いが鼻腔を満たした。少し日が高くなったのか、以前ほど暗さは気にならない。
急ぐでも、もたつくでもなく、淡々と森を進んでいく。
最初の頃目印にしていたケヤキの木が見えてくる。俺が殴った場所はもうわからない。周囲を見渡してもメルヘルの姿はない。雨だから大人しく寝床にいるのだろうか。
「…まあ、ぬかるんでる場所もあるし、それがいいか」
干草の上で不安げな目をしている白い馬を思い浮かべて、頬が緩んだ。濡れていたらタオルで拭いてあげなくちゃな。その後木田に尊敬されてしまった話をしよう。
思えば不思議な縁だ。メルヘルと出会わなければ、木田や湯原とも親しくなったかはわからない。また木田と湯原に唆されなければ、メルヘルと出会うことはなかっただろう。
「お、いたいた」
森を抜けると、広場に出る。その一番奥、見知った白い馬を見つけた。少し震えているように見える。思ったとおり雨に濡れてしまったのか。
挨拶もそこそこに、メルヘルの体を拭いてやろうと肌に触れると…。
熱かった。蒸したタオルを長時間かけていたように、ポカポカと温かい。驚いてメルヘルの顔を覗きこむと、彼女は胡乱げな瞳を俺に向けて言った。
「どうやら…風邪をひいたみたいです」