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淫魔と幼女  作者: 南野 雪花
第2章 ロリババア、探偵助手になる
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第9話 猫探しは得意なんです


 タイマーが作動するより早く、ぱちりと目を覚ます。

 匂いと音に釣られて。


 白米が炊ける匂い、できたての味噌汁が放つ香り。

 漬物を刻む包丁の規則正しい音。

 そんなのがキッチンから流れてきたら、そりゃ寝てられないよね。


 がばっとベッドから飛び起きた俺は、超特急で顔を洗い、身支度を調え、ダイニングに向かった。


「おはよう。ホクトくん。今日も最下位だね」


 すでに美咲はテープルについて、朝食をとっていた。


「く……また出遅れたか……」


 無念の(ほぞ)をかむ。

 いやまあ、べつに勝負しているわけじゃないんだけど。

 無益なじゃれ合いをしながら定位置に座る。


「今朝は豆腐とふのりの味噌汁じゃよ。アゾールトや」

「おかーちゃーん。ありがとー!」


 意味不明な礼を述べてお椀を受け取ったが、じっさいそんな感じなのだ。

 三人の中で最も幼く見える美鶴が、最もお母さんチックなのである。


 これほどエプロンの似合う七歳くらいの少女が、他にいるだろうかってレベルで。

 むしろ割烹着を着て欲しい。


「馬鹿なことをいっとらんで、片付かぬからとっとと食え」

『はーい。お母ちゃん』


 俺と美咲は声を揃えて白米を口に運ぶ。

 うーん。滋味。


 なぜだろう。少しだけだけどエネルギーが貯まってゆく。食事からでも精気(リビドー)を吸収できるなんて、普通はありえない。

 もちろん俺だってできないさ。

 美鶴が作った食事以外は、そのまま排泄されるだけだ。


 この不思議現象を、俺たち三人は『お母ちゃんの愛』と呼称している。

 やっぱり母心って強いんだよ。

 知らんけど。


 それにしても、ふのりの味噌汁うめぇ。

 あと、玉子焼きも最高。

 日本の朝食というのは、こうでなくてはいかんよな。


 ごはん、味噌汁、そして鮭の塩焼きや玉子焼きなどの飾らないおかずと漬物。 

 なんだったら、納豆を付けても良い。


「ああ。日本人で良かった」

「うむ。そなたは日本人どころか人間ですらないな。アゾールト」

「いやいや。ちゃんと日本国籍持ってるし」

「戸籍屋から買っただけのものじゃがな」


 美鶴の苦笑である。

 彼女は書類上、死んだり生まれたりを繰り返しているが、俺はそうじゃない。


 いわゆる裏ルートで戸籍を買っただけだ。

 不法滞在の外国人がよく使う手だし、そういうのを用意する業者もいる。


 ちなみに戸籍上の本名は中村(なかむら)北斗(ほくと)。年齢は五十歳だ。

 苗字は日本人に良くあるものから選択して、名前はアゾールトを日本語読みにしただけ。


 三十年ほど前に買ったものとはいえ、このくらい時間が経つと本物と変わらない。

 この名前で税金だって納めてるし、運転免許だって持ってる。


 ただまあ、年齢がそろそろ厳しくなってきたかなってのが悩みの種だ。

 俺の外見年齢は二十二、三というところだから。

 美鶴の戸籍上の年齢が二十歳というのよりは、幾分かマシだろうけど。


「またなんぞ失礼なことを考えておったな?」

「そそそんなことはないぞ。ごちそうさま」


 慌てて取り繕って立ち上がり、自分が使った食器を食洗機に入れる。

 じとっとした目で睨まれたけど、気にしちゃいけないぜ。






 俺と美鶴の勤務先である北斗探偵社は、マンションから歩いて五分ほどの場所にある。

 同じ六本木ヒルズの中、オフィスビルの一角だ。


 でかでかと看板を掲げているわけではなく、玄関(エントランス)の自動扉にささやかーに書いてる程度。

 どこぞの小学生名探偵が世話になってる探偵事務所に比較したら、商売を舐めてんのかってくらいの自己主張のなさだろう。


 じっさい商売をする気はあんまりないので、そういわれたら頷くしかない。


 というのも、俺たちインキュバスにとって現金収入というのはあんまり必要ないからだ。

 ぶっちゃけると家とかだって必要ない。


 しかし、人間社会に溶け込むには、無職のホームレスよりもなんらかの職に就いていた方が馴染みやすい、と、同族たちは考えたようで、けっこう昔から夜魔は仕事をしている。


 俺が開業するときも、資金のほとんどを先達たちが出してくれた。

 ホストクラブをやってるテグルトもそうだ。


 そして後進が何か商売を始めるときには、俺たちが充分な資金援助をおこなう。

 そういうサイクルになっているのである。


 ちなみに、勤め人ではなくて自営がほとんどなのは、対人関係を最小限に保つため。


 会社勤めとかした場合、さすがに何十年も容姿が変わらなかったら変に思われるからね。

 変身魔法で老けて見せるって手もないわけじゃないんだけど、そんなことに魔力を使うのはばかばかしいって考える夜魔がほとんどだ。それに、定年の問題だってつきまとうし。


「社長。今日の予定だ。確認するがよい」


 唯一の従業員で助手の美鶴が、A4の用紙に印刷された本日の予定表を手渡してくる。

 午前中に依頼人との面会予定が二件か。

 それが終わったら調査。

 ペットの猫がいなくなってしまった、という、我が社では最も多い依頼だ。


「ふむ。今日ははやく終わりそうだな」

「じゃな」


 予定表に目を通したのを確認し、美鶴がお茶を差し出してくる。

 礼を言って一口。


 熱すぎず、ぬるすぎず、相変わらず絶妙だ。

 こいつの家事スキルは、ちょっと神がかっている。

 七十年以上も外で働きもせず、家のことをやっていたのだから上手くなって当然、というのが本人の主張だ。


 美咲のおむつを取り替えてやったり、離乳食を作ってやったりしたのも美鶴だそうで、このスーパーおばあちゃんのおかげもあって、美咲の両親は家のことを一切気にせず仕事に没頭できたそうである。

 まさに一家に一人、便利屋美鶴さんだ。


 そして俺が唯一精気を吸収できる相手なのだから、もう神といっても過言ではない。


「……またくだらぬことを考えておるな? 社長」


 このエスパーなところさえなければね。


「最初の依頼人のアポイントメントまであと十五分じゃ。そろそろ身支度を調えよ」

「了解」


 スケジュール管理まで完璧なのである。


 やがて、時間通りに姿を見せたのは、四十代とおぼしき女性だった。

 依頼内容は、やっぱり猫探し。


 何日も寝ていないのか、目の下の隈がすごい。

 一週間以上も帰ってこないこと、近所に張り紙やポスティングをおこなったが、いまだに効果がないことなどを聞き取る。


 この女性も、家族も、ほとんど不眠不休で探し回っているらしい。

 職場や学校から帰って、翌日出かけるまで、ずっと探し続けている。

 痛ましい話だ。


「事情は承知しました。私どもは明日から調査に入ることができます」


 そう言い置いて、俺は美鶴に指示を出す。

 それを待っていたかのように、助手が依頼人に料金表を手渡した。


「調査費用は一日二万円です。これには必要経費も含まれますので、それ以上請求することはありません。また、お客様の希望によりいつでも調査を打ち切ることができます」


 延々と探してるふりをして、法外な料金を請求することはないよ、という旨を口頭で説明する。


「また、三十日間探して見つからなかった場合には、調査失敗ということで料金はいただきません」


 見つからない、というのには、遺体すらという意味も含まれている。猫というのは自分の死を悟ったとき、姿を消すことがあるからだ。

 その場合には、遺体の元に依頼主を連れて行き、葬儀の方法について相談に乗るということも説明しておく。

 悲愴な顔で依頼人が頷いた。


 ただまあ、逃げた猫はまだ二歳ということなので、死期を悟ってというのは考えにくい。ふつうに迷子になっているだけだろう。


「では、明日から調査に入ります。朗報をお待ちください」


 安心させるように俺は笑い、お願いしますと依頼人が小さく告げて去っていった。


「毎度のことじゃが、今のやりとり必要じゃったかの?」


 玄関まで見送り、苦笑を浮かべる美鶴。


「形式は大事さ」

「じゃが、発見まで二日かかったことなど、一度もないではないか」


 そりゃそうだ。

 東京中のカラス、野良猫、飼い猫が、俺の目であり耳だもの。


 ぶっちゃけ指示を出したら、ものの数分で見つかる。

 というより、本人(本猫)に連絡を付けられるからね。


 あとは場所を決めて迎えにいけば良いだけ。

 一日というか、半日あれば終わるような簡単な仕事だ。


 これで二万円も取るんだから、ぼったくりといっても良いくらいなのである。

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