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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第三章 闘争

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劉琨

 五月、晋の使持節・侍中・都督・太尉・并州刺史・広武侯・劉琨りゅうこん段匹磾だんひつていに殺害された。


 経緯を説明しよう。


 段匹磾が疾陸眷の喪に駆けつけた時(正月の話)、劉琨は世子・劉群りゅうぐんを派遣して段匹磾を送らせた。


 しかし段匹磾は段末柸だんまつはに敗れ、劉群は段末柸に捕えられた。


 段末柸は劉群が劉琨の息子であることを知っており、彼を厚礼で遇し、劉琨を幽州刺史とすると述べた。そして、劉琨と共に段匹磾を襲おうと欲し、密かに使者を派遣して劉群の書を持たせ、劉琨に劉群の書を届けて内応を請わせた。


 しかし使者は段匹磾の巡邏の騎兵に捕まった。


 この時、劉琨は単独で征北小城(征北将軍が治所としている城)に駐屯しており、段末柸の動きは知らなかった。


 劉琨が段匹磾に会いに行くと、段匹磾は劉群の書を劉琨に示して、


「私の心はあなたのことを疑っていません。だからこそ、この事をあなたに報告するのです」


 と言った。これに劉琨が言った。


「私があなたと同盟したのは、国家の恥を雪ごうと希んだからです。もし我が子の書が秘かに至ったとしても、やはり一子のためにあなたを裏切って義を忘れるようなことはありません」


 段匹磾はかねてから劉琨を尊重していたため、彼を殺そうという意思はなく、屯所に帰ることを許可しようとした。


 しかしこれに弟の段叔軍だんしゅくぐんが段匹磾にこう言った。


「我々は胡夷に過ぎません。晋人を従わせることができているのは、彼らが我々の多勢を畏れているからです。今、我々は骨肉が乖離しており、これは彼らにとって、良図の日です。もし劉琨を奉じて起ちあがる者がいたら、我が族は絶滅してしまいます」


 今、段匹磾と段末柸が対立している。その状況は、晋人にとって胡夷の討滅を謀る好機ではないかということである。


 段匹磾はこの進言により、劉琨を留めることにした。


 劉琨の庶長子・劉遵りゅうじゅんは誅殺を懼れ、劉琨の左長史・楊橋ようきょうらと共に城門を閉じて守りを固めた。


 これを知った段匹磾は城を攻略した。


 代郡太守・辟閭嵩へきりょすうと後将軍・韓據かくきょが秘かに謀って段匹磾を襲おうとしたが、事が漏れたため、段匹磾が辟閭嵩、韓據およびその徒党を捕え、全て誅殺した。


 これらの動きから劉琨への猜疑心を強めた段匹磾は五月、詔と称して劉琨を逮捕し、縊殺した。併せて劉琨の子姪(子や甥)四人も殺した。


 劉琨の従事中郎・廬諶ろしん崔悦さいえつらは劉琨の余衆を率いて遼西に奔り、段末柸を頼り、劉群を奉じて主とした。因みに廬諶は盧植の曽孫、崔悦は崔林の曾孫である。


 将佐の多くは石勒せきろくの元に奔った。


「煌びやかなだけの男だと思っていたが、やつは慕われていたんだなあ」


 石勒は彼らを見ながらそう呟いた。


 東晋の朝廷は段匹磾がまだ強盛だったので、河北を平定できるのではないかと期待し、劉琨のためには挙哀(追悼、哀哭)しようとしなかった。


 しかし、温嶠おんきょうが上表して、


「劉琨は帝室に忠を尽くし、家が破れて身が亡くなりました。褒賞・慰安の対象とするべきです」


 と述べ、廬諶と崔悦も段末柸が東晋に使者を送った機会に上表して劉琨の冤罪を訴えた。


 朝廷は数年経ってからやっと劉琨に太尉・侍中の官を追贈し、諡号を「愍」とした。


 劉琨は女色や音楽を好み、傲慢なところがあったものの、王朝のために戦い続けた人物であった。その志は本物であったと言えるだろう。そのため多くの者が彼の死を悲しんだのである。







 劉琨の死が原因で、夷人も晋人も段匹磾に帰附しなくなった。


 そこで、段末柸が弟を派遣して段匹磾を攻撃させた。段匹磾は兵・数千を率いて邵続(冀州刺史)の下に奔ろうとした。


 その動きに対して、張賓ちょうひんの進言によって派遣された石勒の将・石越せきえつが塩山でこれを迎え撃って大いに敗った。


 段匹磾は引き還して薊を守り、段末柸は自ら幽州刺史を称した。


 以前、温嶠は劉琨のために上奏文を持って、建康を訪ねた。この時、母の崔氏が頑なに止めようとしたが、温嶠は裾を断って去った。


 温嶠は建康に到着してから、頻繁に帰還の許可を求めたが、朝廷は同意しなかった。


 劉琨が死んだ時、温嶠は散騎侍郎に任命された。しかし、ちょうど母が死亡したと聞いた。


 当時は戦乱で道が阻まれていたため、官位に就いたまま母の喪に駆けつけて葬礼に臨むことはできないと考え(一度故郷に向かったら、戻ってこれないかもしれないため)、散騎侍郎の官を固辞して拝命せず、苦心して北に帰る許可を請うた。


 しかし元帝は詔を発してこう言った。


「およそ礼を行う者とは、常に道理に通じているものである。今は凶暴な逆賊がまだ斬首されておらず、諸軍が梓宮(皇帝の棺。懐帝と愍帝の遺体)を奉迎しようとしているのに進むことができずにいる。それなのに温嶠一人だけは、どうして個人的な困難を解決しようとして、王命に従おうとしないのだ」


 温嶠はやむなく任官を受け入れた。

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