表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/226

并州

 石勒せきろくが坫城で楽平太守・韓據かんきょを包囲した。


 韓據は司空・劉琨りゅうこん(劉琨は前年、司空の位を辞退したが、後に受け入れた)に救援を請うた。


 劉琨は拓跋猗盧の衆を得たばかりだったため、その鋭気を利用して石勒を討伐しようと考えた。


 これに箕澹きせん衛雄えいゆうが諫めた。


「彼ら(劉琨に帰順した兵)は確かに晋民ではありますが、久しく身を落としていたので、まだあなた様の恩信に馴染んでいません。恐らく用いるのは困難です。とりあえず、内は鮮卑の余った穀物を集め、外は漢趙の牛羊を奪い取り、関を閉じて険阻な地を守り、農業に務めて兵を休め、彼らが教化に服して義を感じるのを待ってから、用いるべきです。そうすれば、功が成らないはずがありません」


 まだ彼らの心を掴んでいない。そんな兵を用いて戦っても勝つのは難しいだろう。


 しかし劉琨は諫言に従わず、全ての部衆を動員し、箕澹に歩騎二万を率いて前駆とさせた。劉琨自身も広牧に駐屯して後援となった。


 石勒は箕澹が至ったと聞いて迎撃しようとした。これに、


「箕澹の士馬は精強なので、その鋭鋒には当たることができません。とりあえず、兵を率いてこれを避け、溝を深くして塁を高くすることで、その鋭を挫くべきです。そうすれば、必ず万全を獲られましょう」


 という意見が出たがこれに石勒は、


「箕澹の兵は多いとはいえ、遠くから来て疲弊しており、号令も統一されていない。精強ということがあろうか。今、寇敵が至ろうとしているのに、捨てて去ることができようか。大軍が一度動いたのに、容易に途中で引き還せようか。もし箕澹が我々の退却に乗じて逼ったら、逃走・潰滅を顧慮する余裕もなくなるだろう。どうして溝を深くして塁を高くすることができるのだ。これは自滅の道である」


 と言って発言した者を即座に斬ると、孔萇こうちょうを前鋒都督に任命し、三軍に令を下して、


「遅れて出た者は斬る」


 と宣言した。


 石勒は険要な地を占拠して山上に疑兵を置き、前方に二隊の伏兵を設けた。その後、軽騎を出して箕澹と戦わせ、途中で軽騎に、勝てないふりをして退走させた。


 これを見た箕澹が兵を放って追撃させ、伏兵の中に入った。


「今だ。かかれぇ」


 そこを石勒が前後から挟撃し、大破した。この戦いで石勒が獲得した鎧馬は万を数えたという。


 箕澹と衛雄は騎兵千余を率いて代郡に奔り、韓據は城を棄てて出奔した。


 石勒の勝利は并州の地を震撼させた。


 并州の司空長史・李弘りこうはこれにより、并州を挙げて叛し、石勒に降った。


 劉琨は進退の拠点を失い、為す術がなくなってしまった。そこに段匹磾だんひつていから劉琨を招く書信が届いたため、劉琨は兵を率いて飛狐から薊に奔り、段匹磾を頼った。


 段匹磾は劉琨に会うと甚だ親重し、婚姻関係を結んで兄弟の契りを交わした。


 石勒は陽曲と楽平の民をそれぞれ襄国に遷し、守宰(郡県の長)を置いて還った。


 その間、孔萇が代郡の箕澹を攻めて殺した。


 孔萇らはその後、賊帥・馬厳ばげんらを攻めたが、久しく攻略できなかった。


 そのうえ、司・冀・并・兗州の流民数万戸が遼西におり、相継いで故郷の者を招いたため、民は本業に励んで安居することができなくなっていた。


 石勒が濮陽侯・張賓ちょうひんに計を問うと、張賓はこう言った。


「馬厳らは、元々あなたの深仇ではなく、流民は皆、故郷を想う心をもっています。今、孔萇らに命じて兵を整えて引き還らせ、優良な牧守を任命して、民を招いて懐柔させれば、幽・冀の賊は日を待たずに清められ、遼西の流民も相継いで至りましょう」


 石勒は納得して孔萇らを呼び戻し、武遂令・李回りかいを易北督護・兼高陽太守にした。


 馬厳の士卒はかねてから李回の威徳に服していたため、多くが馬厳に叛して李回に帰順した。馬厳は懼れて逃げ出し、川に赴いて死んだ。


 彼の配下は皆、投降した。


 李回は拠点を易京に遷すと、李回に帰順する流民が道に連なった。喜んだ石勒は李回を弋陽子(子爵)に封じた。


 また、張賓に千戸を増邑して位を前将軍に進めようとしたが、張賓は固辞して受け入れなかった。


 














 晋の丞相・司馬睿しばえいは長安の失陥を聞くと、軍を率いて野外で露営し、その身に甲冑をまとい、檄を四方に送り、北征の日を決めた。


 この時、水運が期限に遅れたため、督運令史・淳于伯じゅんうはくを斬った。この時、淳于伯の血が柱について上に逆流し、二丈余もある柱末(柱の先端)に至ってから下に流れた。


 それを観ていた者は皆、淳于伯は冤罪だったとみなした。


 丞相司直・劉隗りゅうかいが上言した。


「淳于伯は罪が死刑に値するほどのものではありませんでした。従事中郎・周莚しゅうていらの官を免じることを請います」


 右将軍・王導おうどうらも上書して自分の咎を認め、職を解くように請うた。


 しかし司馬睿は、


「政刑が適切ではなかったのは、全て私の愚昧がもたらしたのだ」


 と言って一切を不問にした。


 司馬睿は良い君主を演じているのかもしれないが、実際のところは問題を先延ばしにしただけに過ぎず、何らの問題の解決をもたらしていない。


 劉隗は性格が剛訐(剛直で人の過失を許容できないこと)で、当時の名士の多くが弾劾されていた。しかし司馬睿が弾劾された名士をいつも寛恕したため、衆人の怨みは全て劉隗に集まっていた。


 王敦おうとんの兄に当たる南中郎将・王含おうふんは、同族が強盛で位が顕貴だったため、驕傲放縦になっていた。一度に二十人前後の参佐や守長(郡県の長)の任命を請うたこともあり、しかも多くがその才を有していなかった。


 そこで、劉隗が王含を弾劾する上奏を行い、その文章は王含の罪を暴いて甚だ厳しいものであった。


 結局、この件は取り上げられなかったが、王氏は劉隗を深く嫌悪するようになっていった。


 晋の丞相・司馬睿が邵続しょうぞくを冀州刺史に任命した。


 邵続の娘壻に当たる広平の人・劉遐りゅうかが黄河・済水の間で部衆を集めたため、司馬睿は劉遐を平原内史に任命した。

 



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ