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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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義士と貞女

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 代王・猗盧いろが死に、その衆が劉琨りゅうこんに帰した。


 なぜ、このような事態になったのか説明しなければならない。


 代王・拓跋猗盧は少子・比延ひえんを愛しており、彼を後嗣にしたかったため、これ以前に長子・六脩ろくしゅうを外に出して新平城に住ませ、その母を廃していた。


 六脩は駿馬をもっていて、一日に五百里を進むことができていた。ところが、猗盧がそれを奪って比延に与えてしまった。


 六脩が来朝した時には、猗盧が六脩に命じて比延を拝礼させようとした。しかしながら六脩はこれに従おうとはしなかった。


 そこで猗盧は、比延に命じて自分の歩輦(人が牽く車)に坐って出遊させ、部下に先導と随行させることにした。その様子を遠くから眺め見た六脩は猗盧が乗っていると思い、道の左に伏して謁見したが、輦が来ると、乗っていたのは比延だったため、憤怒して去っていった。


(本来、私こそが後継であったはずなのだ)


 彼はそう心の中で叫びながら猗盧が召しても行かなかった。このことに猗盧は大いに怒り、軍を率いて討伐しようとした。


「父上は私を殺そうというのか」


 六脩は憤怒のままこれに対抗し、猗盧の軍を打ち破った。


 敗れた猗盧は単身、微服(身分が低い者の服)で民間の中を逃げたが、ある卑賎な婦人が猗盧だと知って報告したため、猗盧は捕まって六脩に弑殺された。


 拓跋普根たくばつふこん(拓跋猗㐌の子。猗㐌は猗盧の兄)はこれ以前から外境を守っていた。


 その彼が猗盧の難を聞くと、代の中央に赴いて六脩を攻撃し、これを滅して代わりに立った。


 しかし国内が大いに乱れ、新しく仕えた者と古くから仕えている者が互いに猜疑して、相継いで誅滅しあっていた。左将軍・衛雄えいゆうと信義将軍・箕澹きせんは久しく猗盧を輔佐していたため、衆人が二人に帰附した。


 衛雄らは劉琨に帰順しようと謀り、衆人にこう言った。


「聞くところによると、旧人は新人の悍戦(勇猛で戦が上手いこと)を嫌っており、殺し尽くしたいと思っているそうだ(「旧人」は索頭部(拓跋氏)の人、「新人」は晋人や烏桓人)。如何すればいいだろうか?」


 晋人と烏桓の人は皆、驚き懼れて、


「死ぬも生きるも二将軍に従います」


 と、言った。


 そこで衛雄らは劉琨が送った人質の劉遵りゅうじゅんと共に、晋人および烏桓の三万家と馬牛羊十万頭を率いて劉琨に帰順した。


 劉琨は大いに喜んで、自ら平城を訪ねて撫納(安撫して迎え入れること)した。ここから劉琨の兵が再び振興した。


 四月、普根が死んだ。その子(名は不明)は生まれたばかりであったが、普根の母・惟氏(猗㐌の妻)が擁立した。








 漢趙の劉曜りゅうようが上郡を侵し、晋の太守・藉韋せきいはそれにより兵を率いて南鄭に奔っていた頃、涼州刺史・張寔ちょうしょくが令を下した。


「涼州に所属する吏民で私の過失を挙げることができた者がいたら、賞として布帛羊米を与えることにする」


 賊曹佐・高昌の人・隗瑾かいきんが言った。


「今、あなた様は政を為して、事の大小に関わらず、すべて自分で決定しているので、時には兵を興して令を発しても、官署が知らないことがあります。万が一過失があっても、批判を分担する者がなく、群下は威を畏れて、既に完成した指示を受けているだけです。このようでは、たとえ千金の賞があっても、吏民はいつまでも敢えて発言しようとはしないでしょう。思うに、あなた様の聡明を少し抑えて、凡百の政事は皆、群下に意見を求め、それぞれに考えを出し尽くさせて、その後、あなた様が採用して実行するべきです。そうすれば嘉言が自ら至ります。どうして賞などが必要になりましょうか」


 良い言葉を求めるために賞をもたらそうとしている。しかしながら実際は自分の独裁さを抑え、人の意見に聞き入れようとする姿勢さえあれば良いのである。


 張寔はこの意見に悦び、採用し、隗瑾の位を三等昇格した。


 その後、張寔は将軍・王該おうがいを派遣し、歩騎五千を率いて長安を援けさせた。合わせて諸郡の貢計(貢物とその帳簿)を送った。


 西晋の愍帝・司馬鄴しばぎょうは詔を発して張寔を都督陝西諸軍事に任命し、張寔の弟・張茂ちょうもを秦州刺史にした。







 七月、漢趙の大司馬・劉曜が北地太守・麴昌きくしょうを包囲したため、大都督・麴允きくいんが歩騎三万を率いて救援に向かった。


 これに対して劉曜は城の周りに火を放った。煙が昇って天を覆う中、間諜を送って麴允を騙し、


「郡城は既に陥落しました。行っても間に合いません」


 と告げた。麴允の軍は懼れて戦わずに潰滅した。


 劉曜は麴允を追撃して磻石谷で敗った。麴允は奔って霊武に還った。こうして劉曜が北地を攻略し、太守・麴昌きくしょうは京師に奔った。


 麴允は性格が仁厚であるためか決断)がなく、爵位を人に与えて喜ばれることを好んだため、新平太守・竺恢じくかい、始平太守・楊像ようぞう、扶風太守・竺爽じくそう、安定太守・焦嵩しょうすうといった者達が皆、征鎮(四征・四鎮将軍。地方を鎮守する軍官)を兼任して符節を持ち、侍中・常侍を加えられた。村堡の主帥で規模が小さい者でも銀青将軍の号を授けられた。


 しかし恩恵がその下にまで及ぶことはなかったため、諸将が驕慢になる一方で、士卒は離怨するようになっていた。


 関中が危乱に陥ると、麴允は焦嵩に急を告げた。ところが焦嵩はかねてから麴允を侮っていたため、


「麴允が困窮するのを待って救いに行こう」


 と言い、これにすぐさま応えようしなかった。


 劉曜が進軍して涇陽の北に到ると渭北の諸城がことごとく潰えた。建威将軍・魯充ろじゅう、散騎常侍・梁緯りょうい、少府・皇甫陽こうほようを獲た。


 劉曜はかねてから魯充が賢人だと聞いていたので、生きたまま到るように求めていた。


 魯充に会うと酒を下賜して、


「私があなたを得たら、天下を定めるのも難しくはないだろうな」


 と言ったが、魯充は、


「この身は晋将となり、国家は喪敗したので、敢えて生を求めることはできません。もしあなた様の恩を蒙ることができるのならば、速く死ぬことが幸となります」


 と、答えた。


 劉曜は「義士だ」と言って剣を下賜し、自殺させた。


 梁緯の妻・辛氏には美色がありました。辛氏を召見した劉曜は自分の妻にしようとしたが、辛氏は大哭してこう言った。


「私の夫は既に死にました。義において、一人だけで生きることはできません。そもそも、一婦人が二夫につかえて、あなた様はそのような者を許容することができましょうか?」


 劉曜は「貞女だ」と言ってやはり自殺することを許した。


 魯充と辛氏はどちらも礼葬された。


 劉曜は人の機微を理解し、尊重できるだけの力量を持っている人である。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] ことのはじまりはどことなく武霊王末期の趙っぽいんですよね、その後の展開は別物ですが。
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