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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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慕容氏に集う人材

 石勒せきろくは上白で青州刺史・龍驤将軍・李惲りこんを攻めた。李惲は敗れて斬られたが、王浚おうしゅんがまた薄盛はくせいを青州刺史にした。


 王浚は石勒の侵攻に対して、棗嵩さくすうを派遣し、諸軍を督して易水に駐屯させた。


 同時に段疾陸眷だんしつりくけんを召して共に石勒を攻撃しようとしたが、段疾陸眷は行こうとはしなかった。前回、石勒と友好を結んだためである。


 怒った王浚は重金を賄賂にして拓跋猗盧たくばついろに贈り、更に慕容廆ぼようかいらにも檄文を発して共に段疾陸眷を討とうとした。


 猗盧は右賢王・六脩りくしゅうを派遣し、兵を指揮して王浚に合流させたが、段疾陸眷に敗れた。


 慕容廆は庶長子・慕容翰ぼようかんを派遣して段氏を攻撃させた。


 慕容翰は徒河と新城を取って陽楽に至ったが、六脩が敗れたと聞いて引き還した。これを機に徒河に留まって鎮守し、青山に営壁を築いた。


 中原の士民で乱を避けた者は、多くが北に向かって王浚を頼っていた。晋王朝の実力者というのもあったのであろう。しかし王浚は人々を慰撫することができず、しかも政法が確立していなかったため、士民は往々にして去って行った。


 一方、段氏兄弟は専ら武勇を尊ぶばかりで、士大夫に対して礼を用いなかったため士民は彼らにも従わなかった。


 そんな中、慕容廆だけは政事が脩明(整っていて明確なこと)で、優秀な人材を愛して尊重したため、士民の多くが帰心した。


 そこで、慕容廆は英俊な者を挙げて、才に則って授任(官を授けて任命すること)していった。


 河東の人・裴嶷はいぎょく、北平の人・陽躭ようたん、廬江の人・黄泓こうおう、代郡の人・魯昌ろしょうを謀主とし、広平の人・游邃ゆうすい、北海の人・逄羨ほうせん、北平の人・西方虔せいほうけん、西河の人・宋奭そうそうおよび封抽ほうちゅう裴開はいせんを股肱とし、平原の人・宋該そうがい、安定の人・皇甫岌こうほきゅう、皇甫岌の弟・皇甫真こうほしん、蘭陵の人・繆愷ぼくがい、昌黎の人・劉斌りゅうひおよび封奕ほうえき封裕ほうゆうに機密を担当させた。因みに封裕は封抽の子である。


 このうち、裴嶷は字を文冀といい、清廉公正で才能智略があり、これ以前に晋朝廷から昌黎太守に任命され、兄の裴武はいぶも玄菟太守になった。


 裴武が死んだ時、裴嶷は裴武の子・裴開と共に霊柩を運んで帰郷し、途中で慕容廆の地を通った。慕容廆はそれを知ると裴嶷を敬って礼遇し、裴嶷が去る時には厚く資財を加えて送り出した。


 裴嶷らは遼西に至ったが、道が通じていなかった。裴嶷は引き還して慕容廆に就こうとした。


 すると裴開がこう言った。


「郷里は南にあるのです。どうして北に行こうとするのですか。そもそも、同じく流亡して他郷に住もうとするのならば、段氏が強くて慕容氏は弱いのに、なぜ必ずここを去って彼に就かなければならないのですか?」


 裴嶷はこう答えた。


「中原は死亡禍乱しているので、今そこに向かうのは、我々も一緒に虎の口に入るようなものだ。しかも道が遠く、どうして到達できるだろうか。道が通じて安全になるのを待つとしても、一年や一月で期待できることではない。今、身を安んじる地を求めようと欲しているのに、どうして慎重にその人を択ばずにいられるだろうか。汝が段氏の家族を観たところ、遠略があって国士を遇すことができると思うか。慕容公は徳行を修めて仁義を守り、覇王の志がある。加えて国が豊かで民が安んじているので、今、赴いて彼に従えば、高くは上は功名を立てることができ、下は宗族を庇護することができるだろう。汝は何を疑うのだ」


 裴開はこの意見に従った。


 裴嶷らが至ると、慕容廆は大いに喜んだ。慕容廆からの裴嶷への信頼は絶大であり、群臣に、


「裴長史(裴嶷の事。長史は役職)は朝廷において重んじられていたにも関わらず、この地にやって来た。天が我に授けたものに他ならぬ」


 と語るほどであった。


 陽躭は清直沈敏(清廉かつ実直、冷静かつ明敏)で、晋の遼西太守になった人物である。慕容翰が陽楽で段氏を破った時、陽躭を獲た。慕容廆は陽躭を礼遇して用いた。


 游邃、逄羨、宋奭は、皆かつて昌黎太守になった人物たちで、黄泓と共に薊の地で乱を避け、後に慕容廆に帰順した。


 王浚がしばしば直筆の書を送って游邃の兄・游暢を招こうとした。游暢が赴こうとすると、游邃が止めた。


「彭祖(王浚)は刑政を修めず、華戎(漢族と異民族)が離叛しています。私がこれを測るに、久しくできるはずがありません。兄は暫く逗留して待機するべきです」


 游暢はこう言った。


「彭祖は残忍なうえに疑い深く、最近も流民が北に来たら、後を追って所在の地で殺すように命じている。今回、手書が殷勤なので、私が逗留して赴かなければ、禍がお前にも及ぶことになる。そもそも、乱世においては宗族を分けることによって、後代を残すことを希むべきであろうよ」


 游邃は同意した。


 游暢は王浚と共に没することになる。


 黄泓は字を始長といい、経書・史書を広く学び、特に『礼』・『易』(いずれも五経)に精通していた。性格は非常に忠勤で、礼儀の伴わない行動は無かったという。


 慕容廆が勢力を伸ばしている中、黄泓は友人の高瞻へ、


「王浚は昏暴であり、必ずや成功し得ないだろう。久安を図るには、去就についてよく考えるべきである。慕容廆は法政が明らかであり、心を尽くして人材を招聘している。讖言によれば、『東北より真人が出づる』とあるが、もしかしたら彼の事ではないか。共にこれに帰順し、事業を建てようではないか」


 と提案したが、高瞻は従わなかった。その為、黄泓は自らの親族を伴い、游邃らと共に慕容廆の下に帰順した。


 その後、参軍に抜擢されて以降は、軍事・国政問わず何かと慕容廆より相談されるようになり、黄泓がその物事の成否について慕容廆へ説くと、全てその言う通りとなった。そのため慕容廆は常々感嘆して、


「黄参軍は我にとっての仲翔(虞翻の字)である」


 と、称賛したという。前燕の歴代からも信頼され、支えた名臣として名を残すことになる。


 宋該は平原の人・杜群とぐん劉翔りゅうしょうと共にまずは王浚を頼り、その後、段氏を頼ったが、どちらも身を託すには足りないとみなし、他の流寓している者達と一緒に慕容廆に帰順した。


 以前、東夷校尉・崔毖さいひつが皇甫岌を招いて長史に任命しようとし、辞を低くして説諭したが、ついに皇甫岌を至らせることはできなかった。


 しかし慕容廆が皇甫岌を招くと、皇甫岌と弟の皇甫真がすぐにそろって至った。


 遼東の人・張統ちょうとうが楽浪と帯方の二郡を占拠し、高句麗王・乙弗利と交戦して、何年も兵が解かれなかった。


 楽浪の人・王遵おうじゅんが張統を説得して、その民千余家を率いて慕容廆に帰順するように勧めた。慕容廆は張統のために改めて楽浪郡を置き、張統を太守に任命して王遵を参軍事にした。

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