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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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王澄

 王澄おうちょうは若い頃から兄の王衍と共に海内で名が知られていた。


 かつて、劉琨りゅうこんが王澄にこう言ったことがあった。


「汝は、形は散朗(世俗にとらわれず、直爽快朗なこと)としているが、内実は動侠(軽率で豪俠なこと)だ。そのようにして処世していれば、その良い死に方を得るのは難しいだろう」


 王澄は荊州にいるようになってから、成都内史・王機おうきを気に入り、自分に次ぐ人材だとみなして、内では中枢を治めさせ、外に対しては自分の爪牙にした。


 この頃、王澄はしばしば杜弢とげんに敗れたため、声望・実績とも損なわれていたが、なお、傲然として得意になっており、憂懼の心はなかった。ただ王機と日夜、ほしいままに酒を飲み、博弈(棋盤を使う遊戯。賭博)をして過ごした。


 上下の者が離心するようになり、南平太守・應詹けいせんがしばしば諫めたが、王澄は聴かなかった。


 王澄が杜弢を撃つために自ら軍を出して作塘に駐軍した。


 山簡の元参軍・王沖おうちゅうが衆人を擁して應詹を迎え、荊州刺史にしようとしたが、應詹は王沖が品行がなく、信用のおけない人物だったため、放棄して南平に還った。


 そこで王沖が自ら刺史を称した。


 これを懼れた王澄は、自分の将・杜蕤とせんに江陵を守らせて、治所を孱陵に遷し、暫くして、更に沓中に奔った。


 別駕・郭舒かくじょが王澄を諫めた。


「あなた様は州に臨んでから特殊な政績がないものの、依然として一州の人心が繋がっています。今、西は華容県の兵を集めれば、この小醜を捕えるに足ります。どうして自ら棄てて、急いで奔逃するのですか?」


 王澄は従わず、郭舒も一緒に東下させようとした。


 しかし郭舒は、


「私は万里の紀綱となりながら、匡正することができず、あなた様を奔亡させることになってしまいました。誠に渡江するのは忍びないことです」


 と言って留まり、沌口に駐屯した。


 彼の言う『万里の紀綱』の「万里」とは大きな州のことで、ここでは荊州を指す。「紀綱」は法度を管理することで、ここでは州の官員を指す。郭舒は州別駕だったので、「万里紀綱」と言ったのである。


 この事を聞いた琅邪王・司馬睿しばえいは、王澄を召して軍諮祭酒に任命し、代わりに軍諮祭酒・周顗しゅうがいを送って王澄と交替させた。


 王澄は司馬睿の召還に応じた。


 周顗が州に至ったばかりの時、建平の流民・傅密ふみつらが叛して杜弢を迎え入れた。杜弢の別将・王真おうしんが沔陽を襲った。


 周顗は狼狽して拠点を失った。


 そこで征討都督・王敦おうとんが武昌太守・陶侃とうがい、尋陽太守・周訪しゅうほう、歴陽内史・甘卓かんたくを派遣し、共に杜弢を撃たせた。


 王敦自身も兵を進めて豫章に駐屯し、諸軍の後援になった。


 王澄が王敦を訪ねに行ったものの、自分の名声がかねてから王敦の上であると思っていたため、この時も王敦を侮った。


 怒った王敦は王澄が杜弢と交流していると誣告し、壮士を送って絞殺した。


 王機おうきは王澄が死んだと聞いて、禍を懼れた。そこで、自分の父・王毅おうきと兄の王矩おうきょがどちらもかつて広州刺史だったので、王敦を訪ねて広州に行くことを求めた。


 王敦はこれを拒否したが、ちょうど広州の将・温卲おんしょうらが刺史・郭訥かくのうに叛して王機を刺史に迎えたため、王機は奴客や門生千余人を率いて広州に入った。


 郭訥が兵を派遣して王機を拒んだが、将士は皆、王機の父兄が広州にいた頃の部曲だったので、戦わずに王機を迎え入れて投降した。


 郭訥は位を避けて州を王機に授けた。


 王如の軍中が飢乏したため、官軍がこれを討った。党人の多くが投降した。計に窮した王如は王敦に降った。








 この頃、鎮東軍司・顧榮こえいと前太子洗馬・衛玠えいかいが死んだ。


 衛玠は衛瓘の孫で、風采は美しく、清談を善くした。常に、


「人に完全ではない部分があっても、情理によって寛恕すべきあり、意図せずに侵犯されたことは、道理によって解決すべきだ」


 と考えていたため、終生、喜怒の色を見せなかったという。








 江陽太守・張啓ちょうけいが益州刺史・王異おういを殺して自ら替わった。張啓は張翼(蜀漢の将)の孫である。


 その張啓は暫くして病死した。


 三府の文武諸官は共に上表して涪陵太守・向沈しょうちんを行西夷校尉にした。向沈は南に遷って涪陵を守った。









 南安赤亭の羌人・姚弋仲ようよくちゅうが東の楡眉に遷った。


 彼は幼い頃より聡明かつ勇猛で、思い切りが良く剛毅な性格であった。生業に従事せずに人の世話や救済を好み、自らの務めであるかのように振る舞ったため、部族から畏敬の念を受け、信頼された。


 そのため戎・夏(異民族と漢人)で襁負(子供や荷物を背負うこと)して従った者が数万人に上ったという。


 姚弋仲は自ら護羌校尉・雍州刺史・扶風公を称した。


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