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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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王彌

 漢趙の石勒せきろくは陽夏へ侵攻し、そこで王讃おうさんを攻めて捕らえた。


 更に蒙城を襲い、苟晞こうきと豫章王・司馬端しばたんを捕えた。石勒は苟晞の頸に鎖をつけて左司馬にした。


 漢趙の昭武帝・劉聡りゅうそうはこの功績を元に石勒を幽州牧に任命した。


 漢趙の王彌おうびと石勒は、外見は互いに親しそうにしていましたが、内心では忌み嫌いあっていました。


 王彌の寵臣である劉暾りゅうとんは王彌に説いて、曹嶷そうぎょくの兵を招いて石勒を図るように勧めた。


 これに従い、王彌は書を準備し、劉暾を派遣して曹嶷を招かせ、同時に石勒にも共に曹嶷のいる青州に向かうように誘った。途中で曹嶷と合流して石勒を討つつもりである。


 この準備のために劉暾が東阿に向かった。しかしそこに、


「おや、どこに行かれるのですかな?」


 そこにいたのは石勒の配下・張賓ちょうひんであった。彼は劉暾をそのまま捕まえた。


「貴様、私が誰かわかっているのか」


「存じ上げておりますとも、王彌配下・劉暾殿」


 そう言って張賓は彼を殺害した。


「よ、よろしいのですか?」


 配下がそう問いかける。今回のこの行動は石勒の指示ではなく、彼個人の独断である。


「必要なことだ」


 そう言ってから張賓はこう言った。


「あなたは空と大地の境目を見たことはありますか?」


「空と大地の境目ですか。いえありません」


「この世には空と大地の境目が無さすぎる。だから……」


 彼は最後にこうつぶやいた。


「一度、余計なものを平らげ、空と大地の境をこの世にもたらす必要がある」


 秘かに劉暾が殺されたことを王彌は知ることはなく、徐邈じょばく高梁こうりょうに兵を率いさせ、別の場所に派遣した。


 その間、王彌は石勒が苟晞を捕えたと聞くと心中で嫌悪しつつ、書を送って石勒を祝賀し、こう伝えた。


「あなたは苟晞を獲てこれを用いました。まさに神のようです。苟晞をあなたの左手とし、私を右手とすれば、天下を平定するのも難しくはないだろう」


 石勒はその内容を読ませて聞くと傍らの張賓に言った。


「王彌のやつ位はいっちょ前にも関わらず、言動が卑しすぎる。俺を図ろうとしているに違いないだろう」


「ええ、そうでしょう。今、彼は油断しております。徐邈と高梁が兵を率いて離れて防備が薄くなっています。彼を誘い、打ち取るべきです」


 当時、石勒はちょうど乞活の陳午ちんごと蓬関で戦っており、王彌も劉瑞りゅうたんと対峙して甚だ緊迫していた。


 王彌が石勒に救援を求めたが、石勒が同意しようとしなかった。彼を警戒しているためである。ここで張賓が石勒に進言した。


「あなた様は常に王彌を撃つ機会を得られないことを恐れていましたが、今、天が王彌を我々に授けようとしています。陳午は小人なので憂いるに足りません。あれは人傑なので、早く除くべきです」


 納得した石勒は兵を率いて王彌の要請に急遽、応えると劉瑞を撃ち、これを斬った。王彌は大いに喜び、石勒は実は自分に親しんでいると信じて、疑わなくなった。


 十月、石勒が己吾で王彌を宴に誘った。


 王彌が赴こうとしたため、長史・張嵩ちょうすうが諫めたが、王彌は聴かなかった。この時、劉暾がいたら違ったかもしれない。


 酒がまわった時、石勒は自ら王彌を斬り、その兵を併合した。その後、昭武帝に上表して、王彌が叛逆したと称した。


 昭武帝はこれを知ると大いに怒って使者を派遣し、


「勝手に重臣を殺すとは、無君の心(主君をないがしろにする心。謀反の心)があるのか」


 と言って石勒を譴責した。


「形だけです。気になさる必要はありません」


 張賓の言う通り、昭武帝は石勒を罰することはなく、逆に官位を加えて鎮東大将軍・督并幽二州諸軍事・領并州刺史とした。


「弱腰なことだな主上様はよう」


「弱腰であり、狡猾というべきでしょう」


 張賓は石勒の言葉にそう言った。


「どういう意味だ?」


「すぐにわかります」


 すると石勒の元に苟晞と王讃が秘かに謀って石勒を討とうとしていると報告がなされた。


「主上の手が回った結果でしょう」


「はっ、それで俺を殺そうってか。全くお前の言う通り狡猾なことだ」


 石勒は二人と苟晞の弟・苟純こうじゅんを併せて殺した。


 その後、石勒は兵を率いて豫州諸郡を侵した。江に臨んで引き還し、葛陂に駐屯した。


 石勒はかつて人にさらわれて売られた時から、母・王氏と連絡が取れなくなっていた。


 後に、晋の劉琨りゅうこんが石勒の母を得たため、甥の石虎せきこと共に石勒に送り、これを機に石勒に書を届けてこう告げた。


「将軍の用兵は神のようであり、向うところに敵がいません。それなのに、天下を周流しながらわずかな封地もなく、百戦百勝しながら尺寸の功もないのは、思うに、正しい主を得たら義兵となりますが、逆賊に附いたら賊衆となるからです。成敗の道理は呼吸に似ているところがあり、呼吸は速く息を吹いたら寒くなり、ゆっくり息を吹いたら温かくなるものです。今、侍中・車騎大将軍・領護匈奴中郎将・襄城郡公を授けるので、将軍はこれをお受けください」


「やけに気取ったやつだなあ」


 石勒は文章を聞きながらそう言った。


「こういう者は形に拘ります。いずれ戦うにしろ、返書なさる必要がありましょう」


 張賓の言葉通り、石勒は返書を送った。


「事業・功績とは方法が異なるものであり、腐儒が知るところではない。汝は本朝において節を示すべきで、私は夷人に過ぎないため、晋のために尽くすのは難しい」


 石勒は劉琨に名馬や珍宝を贈り、使者を厚く礼遇して、謝辞を述べて劉琨の申し出を断った。


 胡三省はこの石勒の返書の意度(見識と度量)が雄爽であるため、


「これは張賓が為したに違いない」


 と解説している。


 さて、石勒の甥・石虎は当時十七歳という若さであったが。極めて残忍で、軍中の患いになるほどであった。


 石勒が母に報告してこう言った。


「この甥は凶暴無頼です。もし軍人(軍中の将兵)が彼を殺したら、名声を損なうことになるので、殺される前に自ら除きたい」


 しかし母はこう言った。


「快牛(脚が丈夫な牛)が犢(子牛)の時は、多くが車を壊すものです。汝は少し我慢しなさい」


 石虎は成長すると弓馬に精通し、当時、その勇に並ぶ者がいなかった。石勒はその武勇を評価し、石虎を征虜将軍にした。


 石虎はいつも城邑を皆殺しにし、残った者はほとんどいなかった。しかし石虎が部衆を御したら厳格でありながら煩瑣にならず、敢えて石虎に逆らう者もなく、石虎に攻討を指示したら向かう所に敵がいなかったため、石勒は石虎を寵任するようになった。




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― 新着の感想 ―
[一言] この時代能力と人格のバランスがとれている人物が少ない上に、たまにでてきてもすぐ消えるんですよね、乱世向きでも生き残りが上手いとは限らないし。
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