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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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漢趙の洛陽侵攻

 晋の左積弩将軍・朱誕しゅたんが漢趙に奔り、洛陽の弱体化している状況を詳しく述べて、漢趙の光文帝・劉淵りゅうえんに洛陽攻撃を勧めた。


 そこで、光文帝は朱誕を前鋒都督に任命し、滅晋大将軍・劉景りゅうけいを大都督にして、兵を率いて黎陽を攻めさせた。


 漢趙軍は黎陽を攻略し、更に延津で王堪おうたんを敗って、男女三万余人を河に沈めた。


 しかし、それを聞いた光文帝は激怒した。


「劉景はどの顔でまた私に会うつもりか。そもそも、天道がどうしてそのような非道を許容できようか。私が除きたいのは司馬氏だけだ。庶民に何の罪があるのだ」


 と言い、劉景を降格して平虜将軍にした。


 漢趙の安東大将軍・石勒せきろくが鉅鹿と常山を侵し、兵の数は十余万に上った。その後、石勒は衣冠の人物、つまり士人や名士を集めて特別に君子営を造った。


 趙郡の人・張賓ちょうひんを謀主とし、刁膺ちょうようを股肱にして、夔安きょうあん孔萇こうちょう支雄しゆう桃豹とうひょう逯明ろくめいを爪牙にした。


 また、これにより并州に住む諸胡羯(胡人・羯人)の多くが石勒に従った。


 ここまで演出をしたのは張賓である。字は孟孫といい、若い頃から学問を好み、経史を広く学んだが、細かい章句については気に留めなかった。度量が広く小事に拘らない性格で、胸中には大志を有していた。


 そんな彼はいつも兄弟へ、


「私の知略や見識は、子房(張良)にさえ引けを取らないと自負しているのだが、高祖(劉邦)に巡り合う事が出来ていない」


 と語っていた。


 成長すると晋朝に仕え、中山王の帳下都督に任じられた。だが、望みの職務では無かったため、病気だと称して辞職し、一人悶々とした日々を過ごしていた。


(漢の高祖のような英雄はどこにいるのか……)


 そう思っている中、石勒が青洲へ侵攻した。その際、張賓は彼を見た。そして親しい者に、


「私は諸将を一人一人観てきたが、胡将軍のような者はいなかった(石勒は胡人であるため、「胡将軍」と言われていた)。共に大業を成すことができる」


 と言い、剣を持って軍門を訪ね、大声で叫んで会見を請うた。


 石勒は最初、張賓を見た時、


(なんだこのひょろっとした男は……)


 剣を持って大声でやってきたと聞いて見てみれば、細身の男であった。だが、


(しかしながら妙に迫力がある……)


 あの細見の体の何処から出るのか。妙に迫力があり、言葉の節々に力強さを感じた。


(嫌いじゃない)


 石勒は張賓を奇とは思わなかったが、それでも彼が自分に仕えることを許した。


 やがて張賓がしばしば策をもって石勒に進言し、事が終わると全て張賓が言った通りになった。そのため石勒も張賓を奇として軍功曹に任命し、行動するたびに意見を求めるようになっていった。









 漢趙の光文帝が王彌おうびを侍中・都督青徐兗豫荊揚六州諸軍事・征東大将軍・青州牧に任命し、楚王・劉聡りゅうそうと共に壺関を攻めさせた。石勒を前鋒都督にした。


 これを受け、晋の并州刺史・劉琨りゅうこんは護軍・黄粛こうしゅく韓述かんじゅつを派遣して壺関を救援させた。しかし劉聡が韓述を西澗で敗り、石勒が黄粛を封田で敗って、どちらも戦死させた。


 太傅・司馬越が淮南内史・王曠おうこう、将軍・施融しゆう曹超そうちょうを派遣し、兵を指揮して劉聡らを防がせた。


 王曠は河を渡ってから、長駆して前進しようとしたが、施融がこう言った。


「敵が険阻な地形を利用して小路から出撃したら、我々がたとえ数万の兵を有していても、やはり一軍だけで敵を受けることになります。とりあえずは水の隔てを守りにして形勢を量り、その後、これを図るべきです」


 ところが王曠は怒ってこう言った。


「君は軍の士気を挫きたいのか」


 施融は退出してから、


「敵は用兵を善くし、王曠は事勢に暗い。我々は今、必ず死ぬことになるだろう」


 と、言った。


 王曠らは太行で劉聡と遭遇し、長平一帯で戦った。果たして王曠の兵が大敗し、施融と曹超はどちらも戦死した。

 

 劉聡はそのまま進軍して屯留と長子を破り、併せて一万九千級を斬獲した。これを受け、上党太守・龐淳ほうじゅんが壺関を挙げて漢に降った。


 劉琨は都尉・張倚ちょうきに上党太守を兼任させて襄垣を占拠させた。因みにこの襄垣の地は春秋末期の人物・趙襄子が城を築いた地である。


 匈奴の劉猛が死んだ時、右賢王・去卑の子・誥升爰が代わりにその兵を統領した。誥升爰の死後は子の劉虎りゅうこが立ち、新興に住んで鉄弗氏と号した。鉄弗氏は白部鮮卑と共に漢趙に帰附した。


 しかし晋の劉琨が自ら劉虎を撃った。


 漢趙の劉聡が兵を派遣して晋陽(劉琨の拠点)を襲ったが、勝利できなかった。


 八月、光文帝は楚王・劉聡らに命じて洛陽に進攻させた。


 西晋の懐帝・司馬熾しばしは詔を発して平北将軍・曹武そうぶらに拒ましたが、皆、劉聡に敗れた。


 劉聡は勢いのまま長駆して宜陽に至った。しかしながら自ら連勝に恃み、怠って備えを設けようとはしなかった。

 

 九月、晋の弘農太守・垣延かんえんが偽って投降した振りをして劉聡軍に夜襲を仕掛けた。その結果、劉聡軍は大敗して引き還した。


 これに合わせて王浚おうしゅん祁弘きこうと鮮卑の段務勿塵を派遣して飛龍山で石勒に攻撃を仕掛けた。石勒の軍は大破され、石勒は退いて黎陽に駐屯した。


「楚王のやろうが……」


 本来であれば、劉聡は敗北したことを自分たちに知らせるべきであったのに、報告しなかったためにこの敗北を喫したと思い、石勒は毒づいた。張賓はそれをなだめた。


 十月、光文帝が再び楚王・劉聡、王彌、始安王・劉曜りゅうよう、汝陰王・劉景を派遣し、精騎五万を率いて洛陽に侵攻させた。大司空・雁門公・呼延翼こえんよくが歩兵を率いて後に続いた。


 劉聡らが宜陽に至った。晋の朝廷は、漢趙の兵が敗れたばかりなのに、不意に再び至ったため、大いに懼れた。


 劉聡が西明門(西明門は洛城西面の南から二番目の門)に駐屯した。それを受け、晋の北宮純ほくきゅうじゅんらが夜の間に勇士千余人を率いて出撃し、漢趙の営壁を攻めた。漢趙の征虜将軍・呼延顥(

 こえんこう)が斬られた。それにより、劉聡は南に移動して洛水に駐屯した。


 そんな中、呼延翼が部下に殺され、その軍が大陽から帰還してしまった。


 光文帝は彼の死に涙を流した。呼延翼は側近中の側近だったためである。彼は勅令を発して劉聡らに撤兵を命じた。しかし劉聡は上表して、


「晋兵は微弱なので、呼延翼と呼延顥が死んだからといって還師するべきではありません」


 と称し、留まって洛陽を攻めることを頑なに請うた。光文帝はこれを許可した。


 晋の太傅・司馬越しばえつは洛陽に籠って守りを固めた。


 十一月、劉聡は自ら嵩山で祈祷し、平晋将軍・安陽王・劉厲りゅうれい、冠軍将軍・呼延朗こえんろうを残して留軍を督摂(代理に監督すること)させた。


 晋の太傅参軍・孫詢そんじゅんはそれを聞いて、司馬越を説得し、虚に乗じて出撃させた。晋軍が呼延朗を斬り、劉厲は洛水に赴いて自決した。


 王彌が劉聡に言った。


「今、軍が既に利を失ったのに洛陽の守備はまだ固く、しかも我々の運車(食糧を輸送する車)は陝にいるので、糧食は数日も支えることができません」


 劉聡は宜陽から東に向かった後、南に進んで洛水に駐屯し、晋軍に敗れた。この時、運車は陝におり、糧道が隔絶されていたのである。


「殿下は龍驤(龍驤大将軍・劉曜)と共に平陽に還り、食糧を携行して兵を動員し、改めて後挙(後の行動)を為すべきです。私も兵と食糧を集めて兗・豫で命を待ちます。このようにするのも相応しい方法ではありませんか?」


 しかし劉聡は自ら留まることを請願し、帰還しようとしなかった。


 宣于脩之せんうしょうしが光文帝に言った。


「歳は辛未(二年後。311年)にあり、やっと洛陽を得ることができます。今、晋の気はまだ盛んなので、大軍が帰らなかったら必ず敗れましょう」


 光文帝は改めて劉聡らを召して還らせた。


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― 新着の感想 ―
[一言] そういえば石勒の人生も本にしたらかなりの巻数になりそうな派手なものですよね。
[一言] >天道がどうしてそのような非道を許容できようか。私が除きたいのは司馬氏だけだ。庶民に何の罪があるのだ 春秋時代の楚で「中華かぶれ」と言われた人物くらいには漢化してきてますかね、ただトップひと…
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