皇甫重
305年
正月、西晋の恵帝・司馬衷が長安にいる中、張方は洛陽にいる皇后・羊献容を廃した。
303年から游楷らが皇甫重を攻めていたが、勝利できなかった。
しかしながら皇甫重もこの状況がいつまでも続かないことを理解していた。そのため養子の皇甫昌を派遣して、外に救援を求めた。皇甫昌は司空・司馬越を訪ねさせた。
しかし、太宰・司馬顒が山東と連和したばかりだったため、司馬越は出兵しようとしなかった。
そこで皇甫昌は元殿中の人・楊篇と共に偽って司馬越の命と称し、金墉城から羊献容を迎え入れた。羊献容の令によって、兵を動員して張方を討ち、恵帝を奉迎しようとしたのである。
皇甫昌が事を起こすと、突然だったため、百官が皆これに従ったものの、すぐ嘘だと知り、共に皇甫昌を誅殺した。
司馬顒は、御史を派遣して皇甫重に詔を宣布するように請い、皇甫重を諭して投降させようとした。しかし皇甫重は詔に従おうとしなかった。
当時、城中は長沙厲王(司馬乂)と皇甫商が既に死んだということを知らなかった。皇甫重は御史の騶人(馬夫や御者。馬を管理する者)を獲て、こう問うた。
「私の弟(皇甫商)が兵を率いて向かっている。もうすぐ至るのではないか?」
騶人は、
「既に河間王(司馬顒)に害された」
と答えた。皇甫重は色を失い、すぐに騶人を殺した。
しかし城中の人々は外からの救援がないと知るや否や共に皇甫重を殺して投降した。
司馬顒は劉沈を打ち破った功績から馮翊太守・張輔を秦州刺史に任命した。
六月、侍中・司徒・安豊侯・王戎(諡号は元侯)が郟で死んだ頃、秦州刺史・張輔は秦州に至ると、威を立てようと欲して天水太守・封尚を殺した。
また、隴西太守・韓稚を召したが、韓稚は封尚を殺すやり方に不満を持ち、息子の韓朴を派遣して張輔を撃たせた。張輔は戦死した。
涼州司馬・楊胤が張軌に言った。
「韓稚は勝手に刺史を殺しました。あなた様は一方において軍権を握っているので、討伐しないわけにはいきません。これは『春秋』でも提唱されている義です。春秋の諸侯が互いに滅ぼし合うようになると、斉の桓公はこれを止めることが出来ず、いつもこれを恥じていたと言います」
張軌はこれに従い、中督護・氾瑗を派遣して、兵二万を率いて韓稚を討たせた。韓稚は張軌を訪ねて投降した。
間もなくして、鮮卑の若羅拔能が涼州を侵したため、張軌は司馬・宋配を派遣してこれを撃たせた。宋配が拔能を斬り、十余万口を捕虜にした。
こうして、張軌の威名が大いに振るうようになった。
漢王・劉淵が東嬴公・司馬騰を攻撃した。司馬騰はまた拓跋猗㐌(たくばついい)に兵を請うた。
衛操が猗㐌に進言して司馬騰を助けるように勧めたため、猗㐌は軽騎数千を率いて司馬騰を救い、漢将・綦毋豚を斬った。
この功績を元に晋の朝廷は詔を発して猗㐌に大単于の位を授け、衛操に右将軍を加えた。しかしその数日後に猗㐌が死に、子の普根が代わりに立つことになった。
東海中尉・劉洽は、張方が車駕を脅迫して遷したため(恵帝に強制して遷都させたため)、司空・司馬越に兵を起こして張方を討つように勧めた。
そこで、司馬越は山東の征鎮(四征と四鎮将軍。地方を鎮守する軍官)や州郡に檄文を送ってこう告げた。
「義兵を集めて統率し、天子を奉迎して、旧都に還ることを欲する」
東平王・司馬楙はこれを聞いて懼れを抱いた。
長史・王脩が司馬楙に説いた。
「東海は宗室の重望です。今、義兵を興したので、あなた様は徐州を挙げて授けるべきです(司馬楙は都督徐州諸軍事)。そうすれば難を免れることができ、しかも克譲の美(自分を抑えて謙譲できるという美)があります」
司馬楙はこれに従った。こうして司馬越は司空の立場で徐州都督を兼任することになり、司馬楙は自ら兗州刺史になった。
朝廷は詔を発してすぐに使者・劉虔を派遣し、正式に官位を授けた。
前年、范陽王・司馬虓が苟晞を行兗州刺史に任命したが、苟晞は許昌に留まっており、まだ州に着いていなかったため、司馬楙が自ら兗州刺史になった。
当時は司馬越の兄弟が並んで方任(一方の重任、大権)を握っていた(司馬越の弟・司馬略は都督青州諸軍事、司馬模は都督冀州諸軍事)。そこで、范陽王・司馬虓および王浚らが共に司馬越を推して盟主に立てた。司馬越は勝手に刺史以下の官員を選んで配置するようになった。
朝士の多くが長安の西晋の恵帝・司馬衷には従わず、司馬越の下に赴いた。
そんな中、河北の人々は皇太弟を廃され、実験を失ってしまった成都王・司馬穎のことを憐憫していた。
司馬穎は鄴を鎮守したばかりの頃は、時誉(当時における声誉、名声)があり、後に驕侈によって禍を招いたものの、河北の人々は乱を嫌って昔を思念したため、多くの人が司馬穎を憐憫したのである。
それにより、司馬穎の復権を望む声が出てくるようになり、彼の旧部将・公師藩らが自ら将軍と称して趙・魏で挙兵した。これに呼応して集まった兵衆は数万に達した。
この中にこの時代において、嵐を巻き起こすことになる風雲児が参加していた。
馬に乗り、その男は空を眺めていた。
「なあ、天ってやつはどうしていつでも上にあるんだろうな」
そう周りの者たちに彼はそう言った。しかしながら周りの者たちにとってはそんなことは当たり前のことではないかと思い、なんでそんなことを聞くのかと首を傾げるばかりであった。
「天を上から見下ろすことができたら、どんな気持ちになるんだろうな」
数多の敵をなぎ倒し、中国史上唯一、奴隷から皇帝にまで至った男がいた。
その男の名は石勒と言った。




