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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第一章 八王の乱

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匈奴の英雄

『蛇足伝』も更新したいなあと思いながら中々更新できずにいる今日この頃。

 かつて太弟・司馬穎しばえいは上表を行い、匈奴左賢王・劉淵りゅうえんを冠軍将軍・監五部軍事とし、兵を指揮して鄴に住ませていた。


 劉淵、字は元海という。幼くして聡明な子であったと言われており、若い頃より学問を志して上党出身の漢人・崔遊さいゆうに師事し、経書・史書を広く学んだ。やがて武芸にも励むようになり、成長するにつれて並外れた能力を身に着けるようになったという。


 当時、匈奴の諸部族は魏王朝に服属して并州領内に居住しており、左部・右部・南部・北部・中部の五つに分けられていた。これを五部匈奴と言った。


 その中で、父の劉豹りゅうひょうは左部帥の役職に就き、左部匈奴を統率する立場にあった。咸熙年間(264年~265年)、劉淵は任子制度により朝廷から召喚命令を受けたが、これは劉豹の造反を防ぐための人質である。


 これに従って郷里を離れて洛陽に入朝すると、時の権力者である司馬昭からは厚遇を受け、以降は朝廷に仕えるようになった。


 その後、間もなく魏が滅んで西晋が興るが、劉淵は変わらず洛陽に留められた。泰始年間(265年~274年)の末、友人である王渾の推薦により西晋の武帝・司馬炎と謁見する機会を得ると、語らい合ってその人となりを高く評価されたという。


 279年の春に、父の劉豹が没すると、朝廷の命により父の役職である左部帥を代行する事となり、洛陽を離れて郷里である并州に帰還することができ、289年11月には朝廷から北部都尉に任じられた。


 在任期間中、彼は刑法を厳正に遵守してあらゆる悪行を禁じながらも、財を用いて施しを好み、誠意をもって人と交流した。


 当時、五部匈奴には数多くの豪傑がいたが、その彼らは皆、劉淵の徳を慕って次から次へと訪れるようになった。また、幽州や冀州の高名な儒学者や学問に励む者も、数多くが遠方より劉淵に会いに来るようになっていった。


 290年4月、武帝が崩御して子の西晋の恵帝・司馬衷しばちゅうが後を継ぐと、外戚の楊駿が事実上政権を担うようになりその10月、その楊駿の命によって、劉淵は建威将軍・五部大都督に任じられ、漢光郷侯、左賢王に任じられた。


 こうして五部匈奴全体を統括する立場にまで昇り詰めたものの、300年に匈奴のある部族民が国境外へ逃走を図った事により、劉淵は連座により免官となっていた。


 そのため今回の任命によって復帰により朝廷に復帰することになったことを意味していた。


 劉淵の子・劉聡りゅうそうは並ぶ者が無いほど驍勇で、父と同じように広く経書・史書を読み、文章が得意で、三百斤の弓を引くこともできた。


 弱冠にして京師で遊び、名士で交流しない者はいなかった。司馬穎はそのことを評価して劉聡を積弩将軍に任命した。


 劉淵の従祖(祖父の兄弟)に当たる右賢王・劉宣りゅうせんが族人に言った。


「漢が亡んで以来、我が単于はいたずらに虚号があるだけで、尺土を持つこともなくなった。その他の王侯は位を落とされて編戸(戸籍を登録された民)と同等という有様である。今、我が衆は衰えたとはいえ、なお二万を下まわることはない。それなのにどうして斂首(頭を伏せること。服従を意味する)して役に就き、あわただしく百年も過ぎてしまった。左賢王の英武は世を超えており、天が匈奴の興隆を欲しないのならば、このような人物を虚しく生むはずがなかろう。今、司馬氏は骨肉が殺し合い、四海が鼎沸(鼎が沸騰するように混乱すること)している。呼韓邪(漢代の匈奴単于)の業を恢復するのは、まさにこの時ではないだろうか?」


 劉宣は字を士則といい、若いころから堅実な性格であったが物分かりは良くなかった。そのためか無口であったという。


 成長するにつれて学問に励むようになり、規律に則った振る舞いを好んだ。また漢族の文化に強い興味を抱き、著名な学者であった楽安出身の孫炎そんえんに師事し、彼のもっとも優秀な弟子の一人であった。細かく丁寧に書物を読み漁り、昼夜問わず骨身を惜しまず学び、特に『毛詩』・『左氏伝』に精通したという。


 孫炎はいつも感嘆して、


「劉宣がもし漢武(前漢の武帝)の世にあったならば、金日磾以上となっただろう」


 と、劉宣を褒め称えた。金日磾は匈奴の人間でありながら誠実さから前漢の武帝に寵愛された人物である。


 学問を修めると郷里に帰り、数年に渡って外へ出なかった。


 いつも『漢書』を読み、特に蕭何と鄧禹の伝については何度も繰り返し読み込んだ。そして、


「大丈夫たる私が二祖(高祖と光武帝)の時代にいたならば、二公(蕭何と鄧禹)だけに美名を独り占めはさせなかったであろう」


 と豪語したという。


 265年、并州刺史・王広おうこうは劉宣を武帝に推挙した。武帝は彼を召して接見すると、その応対ぶりを褒めたたえ、


「劉宣に会う前は王広の言葉を虚言だと考えていた。今、劉宣の容姿、立ち居振る舞い、礼儀作法を見るに、まさに圭璋(礼式に用いる貴重な玉)の如しである。彼であれば、よくその部族を束ね、慰撫することができるであろう」


 と述べ、劉宣を匈奴の右部都尉に任じ、赤い幛(掛け物)と曲蓋(儀仗用の柄の曲がった傘)を特別に支給した。劉宣は官職にあっても清廉だったために、部族の人からよく慕われた。その後、北部都尉に移り、左賢王となったっ人物である。


 そんな彼の言葉を受け、匈奴の族人は互いに謀って劉淵を推戴し、大単于に立てた。党人の呼延攸こうえんゆうを鄴に派遣してそのことを劉淵に告げた。


「これが天命か……」


 劉淵はそう呟くと司馬穎に報告して、匈奴に帰って葬礼に参加する許可を請うた。しかし司馬穎が同意しなかった。そこで劉淵は先に呼延攸を帰らせ、劉宣らに告げて五部および雑胡を招集させ、公には司馬穎を助けるためと称した。


 王浚おうしゅんと東嬴公・司馬騰しばとうの兵が起きると、劉淵が司馬穎を説得してこう言った。


「今、二鎮(王浚の幽州と司馬騰の并州)が跋扈して、その衆は十余万に上るので、恐らく宿衛および近郡の士衆だけで防御できるものではありません。殿下のために還って五部を説き、国難に赴くことを請います」


 司馬穎は言った、


「五部の衆は、果たして動員することができるだろうか。たとえ動員できたとしても、鮮卑や烏桓は容易に当たることができない。私は乗輿(皇帝)を奉じて洛陽に還ることでその鋭鋒を避け、ゆっくり天下に檄を伝えて、逆順の道理によってこれを制したいと思うが、君の意見は如何だ?」


 劉淵はこう答えた。


「殿下は武皇帝の子で、王室に対して大勲があり、威恩が遠くにまで顕著になっています。四海の内で、誰が殿下のために死力を尽くすことを願わないことがありましょうか。それにも関わらず、どうして動員が難しいと言われますか。王浚の豎子と東嬴の疏属(皇帝から遠い親戚。司馬騰は司馬懿の弟・司馬馗の孫に当たる)が、どうして殿下と対等に争えるでしょう。殿下が一度、鄴宮を発てば、自分が弱いということを人に示してしまうことになりますので、洛陽には至ることができません。たとえ洛陽に至ったとしても、威権は殿下のものではなくなります。殿下が士衆を慰撫激励し、これを平定して鎮めることを願い、私は殿下のために二部を用いて東嬴を撃破し、三部を用いて王浚を梟首(首を斬って晒す刑)することを請います。二豎の首は数日も経たずに掲げることができるでしょう」


 悦んだ司馬穎は劉淵を北単于・参丞相軍事に任命した。


 劉淵が左国城に至ると、劉宣らは劉淵に大単于の号を奉じた。


 劉淵は二旬(二十日)の間に五万の衆を有し、離石に都を置き、劉聡を鹿蠡王にした。その後、劉淵は左於陸王・劉宏りゅうこうを派遣し、精騎五千を率いて司馬穎の将・王粹おうすいと合流させた。東嬴公・司馬騰を拒むためである。


「派遣する必要は無いのでは?」


 周りの者がそう言ったが、


「義理は果たさなければならない」


 劉淵はそう言って派遣したのである。


 しかし王粹は既に司馬騰に敗れており、劉宏は間に合わなかったため、帰還した。意味の無い行動になったとは劉淵は思わない。こういった小さなことを守ることこそが大切なのである。


「匈奴にも天を震わす志があることを証明しなければならない」


 


 

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― 新着の感想 ―
[一言] >匈奴にも天を震わす志があることを証明しなければならない 劉淵は大志をもってたひとですね。
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