表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第一章 八王の乱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/226

李特

 303年


 正月、李特りとくが秘かに渡江して、羅尚らしょうを奇襲した。これにより、羅尚の水軍は皆、散走した。


 これを見て、蜀郡太守・徐儉じょせんは成都城を挙げて投降し、李特が入城して占拠した。


 李特は城内で馬を得て軍に供給するだけで、他の物は略奪せず、境内(勢力範囲内)の囚人を赦免して、建初元年に改元した。


 羅尚は太城を守り、使者を派遣して李特に和を求めた。


 また、蜀の民で集まって塢(堡塁)を造った者達が、皆、李特に投降していった。李特は使者を送ってそれぞれの地で人々を慰撫していった。


 しかしここで問題が起きた。ここまで略奪行為を行わず、寛容さを示してきたためか軍中の食糧が少なくなってしまっていた。そこで李特は六郡の流民を分けて諸塢で食糧を求めさせることにした。


 これに李流りりょうが李特に言った。


「諸塢は新たに附いたばかりで、人心がまだ固まっておりません。そこで彼らの長の子弟を人質にして、兵を集めて自ら守りを固めることで、不測の事態に備えるべきです」


 李流は李特の司馬・上官惇じょうかんとんにも書を送ってこう伝えた。


「投降を受け入れるのは敵を受けるのと同じなので、軽視してはならない」


 前将軍・李雄りゆうも諫言したが、李特は怒ってこう言った。


「大事は既に定まった。ただ民を安んじるだけだ。なぜ逆に猜疑を加えて彼らを離叛させようとしているのか」


 明らかに李特は油断していた。確かに晋軍に対してここまで上手くいっているとは言え、撤退まではしていないのである。

 

 ちょうど晋の朝廷は荊州刺史・宗岱そうたいと建平太守・孫阜そんふを派遣し、水軍三万を率いさせ、羅尚の元へ向かわせたのである。


 宗岱は孫阜を先鋒に任命し、進軍して徳陽に迫らせた。


 これを受け、李特は李蕩りとうおよび蜀郡太守・李璜りえんを派遣し、徳陽太守・任臧じんぞうと共に朝廷の軍を拒ませた。


 宗岱と孫阜の軍は勢いが甚だ盛んだったため、諸塢は皆、二心を抱くようになった。


 益州の兵曹従事・任叡じんえいが羅尚に言った。


「李特は軍を分散して食糧を求めさせ、驕慢で備えがありません。これは天が彼らを亡ぼそうとしている時です。諸塢と密約して、時期を決めて同時に発し、内外からこれを撃てば、必ず破ることができましょう」


 羅尚はこの言葉を受け、任叡を派遣し、夜の間に縄を使って城から出させて、諸塢に宣旨(命令を宣布すること)した。二月十日に共に李特を撃つ約束をした。


 任叡はこれを機に李特を訪ねて偽りの投降をした。李特が城中の状況を問うと、任叡はこう答えた。


「食糧の蓄えが尽きようとしており、貨物が残っているだけです」


 それから任叡は営を出て家人を訪ねる許可を求めた。李特がこれに許可したため、任叡は戻って羅尚に報告した。


 二月、羅尚が兵を派遣して李特の営を急襲した。諸塢が皆、これに応じたことで、李特の軍は大敗してしまった。


 李特および李輔りほ李遠りえんが斬られ、皆、屍を焼かれた後、彼らの首が洛陽に送られた。


 これによって流民は大いに懼れた。


 李流、李蕩、李雄が余衆を収めて帰還し、赤祖(地名)へ戻り、李流が自ら大将軍・大都督・益州牧を称して東営を守り、李蕩と李雄が北営を守った


 孫阜は徳陽を破って寋碩けんせきを捕らえ、任臧は退いて涪陵に駐屯した。


 三月、羅尚が督護・何沖かちゅう常深じょうしんを派遣して李流を攻めさせた。涪陵の民・薬紳やくしんも兵を起こして李流を攻めた。


 李流は李驤りじょうと共に薬紳を拒む中、何沖が虚に乗じて北営を攻めた。


 すると営内にいた氐人の苻成ふせい隗伯かいはくがこれに応じて叛した。


「恩知らずとは連中のような者のことを言う」


 そんな彼らに猛然と挑んだのは、李蕩、李雄の母・羅氏らしである。彼女は甲冑を着て抗戦した。隗伯が自らの手で羅氏の目を切って負傷させたが、


「どうしたまだ、私は死んでないぞ。挑んで参れ」


 羅氏の気はますます盛んになり、彼らを圧倒した。


 ちょうどこの時、李流らが常深と薬紳を破り、兵を率いて還るとそのまま何沖と戦って大破してみせた。


 それを見た苻成と隗伯はその党を率いて李流らの陣を突破し、羅尚を訪ねた。


 李流らは勝ちに乗じて進軍し、成都に至った。


 羅尚は再び城門を閉じて守りを固めた。


 そんな中、李蕩が馬を馳せて敗北した敵を逐っていったが、矛に中って死んだ。


 朝廷は侍中・劉沈りゅうしんに符節を授け、羅尚、許雄きょゆうらの軍を統率して李流を討たせることにした


 しかし、劉沈が長安に至った時、河間王・司馬顒しばぎょうが劉沈を留めて軍師に任命し、別の者を派遣した。


 李流は李特と李蕩が相次いで死に、宗岱と孫阜が至ろうとしていたため、甚だ懼れるようになっていた。


 そこで太守・李含りふんが李流に投降を勧めてきたため、李流はこれに従おうとした。これを知った李驤と李雄が繰り返し諫言しても聴こうとしなかった。

 

 五月、李流がその子・李世りせいと李含の子・李胡りこを人質にして孫阜の軍に送った。


 李胡の兄・李離りりはこの時、梓潼太守であったが、これを聞いて郡から馳せ還り、諫言しようとした。しかし間に合わなかったため、引き還して李雄と共に孫阜軍を襲う策を謀った。


 李雄は、


「今の計を為すならば、孫阜を襲うべきですが、二翁(李流と李含)が従いません。どうすればいいでしょうか?」


 と言うと、李離は毅然と、


「力で強制するだけです」


 と答えた。その力強い答えに李雄は大いに喜ぶと共に流民を説得して、


「我々は以前、蜀民に対して暴虐だったため、今、一旦にして投降してしまえば、すぐ魚肉になってしまうだろう。ただ同心になって孫阜を襲うことで、富貴を取るだけだとは思わないか」


 と、言うと衆人は皆、これに従った。

 

 こうして、李雄と李離が共に孫阜の軍を襲撃し、大破した。


 ちょうど宗岱が墊江で死んだため、荊州軍は撤退した。


 投降しようとしていた李流は甚だ慚愧し、この件があってから、李雄の才を尋常ではないとみなして軍事を全て任せるようになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 事実上の建国者でありながら、李特が成功者とはみなされないのはこのへんの甘さですよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ