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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第一章 八王の乱

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不穏

 成都王・司馬穎、河間王・司馬顒が京師に至った。


 司馬穎は趙驤と石超を陽翟に送り、斉王・司馬冏が張泓らを討つのを助けさせた。張泓らは司馬倫の敗北を知り皆、投降した。兵を興してから六十余日になり、戦闘によって死んだ者は十万人近くに上った戦いがこれで終わったのである。


 張衡、閭和、孫髦は東市で斬られ、蔡璜は自殺した。


 義陽王・司馬威しばい(司馬望の孫。司馬倫に仕えていました)も誅殺された。


 襄陽太守・宗岱そうたいが司馬冏の檄を受けて孫旂を斬り、永饒冶令・空桐機くうどうきが孟観を斬った。


 孫旂と孟観はどちらも首が洛陽に送られ、三族が皆殺しにされた。


 六月、斉王・司馬冏が兵を率いて洛陽に入り、通章署に軍を駐屯させた。甲士数十万を擁しており、威が京都を震わせた。


 詔によって斉王・司馬冏を大司馬に任命し、九錫を加えた。備物典策(物品や制度)は宣(司馬懿)・景(司馬師)・文(司馬昭)・武(司馬炎)が魏を輔佐していた時の故事と同等にした。


 成都王・司馬穎を大将軍・都督中外諸軍事・假黄鉞・録尚書事とし、九錫を加えて、「入朝不趨(入朝する時、小走りになる必要がないこと)」と「剣履上殿(剣を帯びて履物を履いたまま上殿できること)」の特権を与えた。


 河間王・司馬顒を侍中・太尉とし、三賜の礼(弓矢、鈇鉞、圭瓉(玉製の酒器)を指す)を加えた。


 常山王・司馬乂を撫軍大将軍に任命して左軍を統領させた。


 広陵公・司馬漼の爵位を進めて王とし、尚書を兼任させて侍中を加えた。


 新野公・司馬歆の爵位を進めて王とし、都督荊州諸軍事に任命して鎮南大将軍を加えた。


 斉王、成都王、河間王の三府にはそれぞれ掾属が四十人置かれ、武官が森のように並び、文官は員数を満たすだけであった。


 そこから、識者は兵乱がまだ収まっていないと思い、噂しあった。


 丞相の地位が廃され、司徒の官を置かれて、梁王・司馬肜が太宰・領司徒になった。


 光禄大夫・劉蕃りゅうふんの娘は趙王の世子・司馬荂の妻だったため、劉蕃および二子の散騎侍郎・劉輿りゅうよ、冠軍将軍・劉琨りゅうこんは皆、趙王・司馬倫に重任を委ねられていた。


 大司馬・司馬冏は劉琨父子に才望があったため、特別に宥赦し、劉輿を中書郎に、劉琨を尚書左丞に任命した。


 また、前司徒・王戎おうじゅうを尚書令に、劉暾を御史中丞に、王衍おうえんを河南尹にした。


 新野王・司馬歆が鎮に赴く前に(司馬歆は都督荊州諸軍事・鎮南大将軍として荊州に赴任することになっていた)、司馬冏と同じ車に乗って陵墓を拝謁した。


 それを機に司馬歆が司馬冏に言った。


「成都王は至親(皇帝と最も親しいこと。司馬穎は恵帝の弟)であり、あなた様と同じく大勲を建てました。今は彼を留めて共に輔政させるべきです。もしそのようにできないならば、兵権を奪うべきでしょう」


 常山王・司馬乂と成都王・司馬穎が共に陵墓を拝謁した時は、司馬乂が司馬穎にこう言った。


「天下は先帝の業によるものです。王がこれを補正なさるべきです」


 これらの言を聞いて憂懼しない者はいなかったという。


 盧志が司馬穎に言った。


「斉王の兵は百万を号しながら、張泓らと対峙して決することができませんでした。これに対して、大王は直接前進して河を渡りました。そのため大王に功が並ぶ者はいません。今、斉王は大王と共に朝政を輔佐しようと欲していますが、私)聞くに、両雄は並び立たないといいます。太妃(司馬穎の母・程才人は冊命によって成都太妃になっている)の小病を理由に、還って定省(朝夕に父母の様子を伺うこと。ここでは母につかえることを意味する)する許可を求め、大功を立てたのに退くことで四海の心を集めるべきです。これが上計です」


 この発言を受け入れる器量があった司馬穎はこの意見に従った。

 

 恵帝が東堂で司馬穎と会見して慰労した。司馬穎は拝謝して言った。


「これは大司馬・冏の勲であり、私は関与していません」


 司馬穎はこれを機に上表して司馬冏の功徳を称賛し、万機(諸政務)を委ねるべきだと勧めた。また、自ら母の病について述べて、藩に帰ることを請うた。


 その後、すぐに別れを告げて退出し、再び営に還ることなく、そのまま太廟を拝謁して、東陽城門(東陽門は洛陽城東面の北から二番目の門)から出て鄴に還った。


 司馬穎は洛陽を出てから信使を送って司馬冏に告別の辞を伝えた。司馬冏は大いに驚き、司馬穎を送るために馳せて外に出て、七里澗(地名)に至って司馬穎に追いついた。


 司馬穎は車を止めて別れの言葉を告げ、雨のように涙を流し、ただ太妃の疾苦を憂いとし、会話が時事に及ぶことはなかった。そのため、士民の賛誉が全て司馬穎に帰した。


 司馬冏は新興の人・劉殷りゅういんを召して軍諮祭酒に任命し、洛陽令・曹攄そうきょを記室督に、尚書郎・江統こうとうと陽平太守・河内の人・苟晞じゅんきを参軍事に、呉国の人・張翰ちょうかんを東曹掾に、孫恵そんけいを戸曹掾に、前廷尉正・顧榮こえいおよび順陽の人・王豹おうひょうを主簿にした。


 孫恵は孫賁(呉大帝・孫権の従兄)の曾孫、顧榮は顧雍(呉の相)の孫である。


 劉殷は幼い頃から孤児となり貧困であったが、曾祖母を養い、その孝行によって名が知られた人物である。


 人が穀帛を送ることがあったが、劉殷はそれを受け取っても謝辞を述べず、ただ、


「後に富貴になるのを待って報いましょう」


 と言った。


 成長してからは、広く経史に通じ、性格は倜儻(尋常ではないこと。小さなことに拘らないこと)として大志があり、倹約しても粗劣にならず、清高でも孤立せず、眺め見たら恭順ばかりでまるで無知なようであったが誰も彼を侵すことができなかったという。


 司馬冏は何勗を中領軍に任命し、董艾に枢機を管理させた。また、その将佐で功績を建てた葛旟かつき路秀ろしゅう衛毅えいき劉真りゅうしん韓泰かくたいを全て県公に封じまた。葛旟は牟平公に、路秀は小黄公に、衛毅は陰平公に、劉真は安郷公に、韓泰は封丘公になり、心膂(心臓と脊椎。腹心を意味する)として重任を委ねられ、「五公」と号された。


 成都王・司馬穎が鄴に至った。


 朝廷が詔によって使者を派遣し、現地で再び前命を告げたが、司馬穎は大将軍の職は受け入れつつ、九錫の殊礼(特別な儀礼)は辞退した。


 司馬穎が上表して義を興した功臣について論じた。


 朝廷は功臣を全て公侯に封じた。主に盧志、和演わえん董洪とうこう、王彦、趙驤らである。


 また、司馬穎が上表してこう言った。


「大司馬(司馬冏)が以前、陽翟にいた時、賊と対峙して久しくなったため、百姓が困窮しました。河北の穀倉の米十五万斛を運ぶことで、陽翟の饑民を救済することを乞います」


 司馬穎は更に八千余の棺を造り、成都国の俸禄で衣服を作り、黄橋の戦士を納棺、祭祀を行った。更にその家を表彰して、家族への補助・賞賜は通常の戦没者の規格に二等を加えた。


 同時に、温県に命じて趙王・司馬倫の戦士一万四千余人(湨水の戦いにおける戦死者)を埋葬させた。


 これらは全て盧志の謀によるものであった。


 司馬穎は容貌が美しいが、聡明ではなく、書も知らなかったという人物であったが、気性は敦厚で、盧志に事を委ねたため、美名を成すことができた。


 朝廷が詔によって再び使者を派遣し、司馬穎を諭して入朝・輔政させようとした。あわせて九錫を受け入れさせようともした。


 しかし司馬穎の寵臣・孟玖もうくが洛陽に還ることを望まず、程太妃も鄴都を愛恋したため、司馬穎は結局、辞退したまま拝命しなかった。


 大司馬・司馬冏は、中書郎・陸機りくきが趙王・司馬倫のために禅詔(禅譲の詔)を書いたのではないかと疑って逮捕し、殺そうとした。しかし大将軍・司馬穎が弁明したため、陸機は死から免れることができた。


 司馬穎はこれを機に上表して陸機を平原内史に、弟の陸雲りくうんを清河内史にした。


 当時の中原は多難だったため、陸機の友人・顧榮および広陵の人・戴淵たいえんが陸機に呉へ還るように勧めたが、陸機は司馬穎から命を助けられた恩を受けており、また、司馬穎には時望(当時の世における声望)があって共に功を立てることができると判断したため、留まって去ろうとしなかった。


 東莱王・司馬蕤しばほう(斉王・司馬攸の子。司馬冏の兄)は凶暴なうえ酒に酔うと放縦になり、しばしば大司馬・司馬冏を侮辱していた。また、自分が開府することを司馬冏に求めたのに許可されなかったため、怨みを抱いていた。


 そこで、司馬蕤は秘かに上表して司馬冏の専権を訴え、左衛将軍・王輿と謀って司馬冏を廃そうとしたが、事が発覚した。


 八月、朝廷が詔を発して司馬蕤を廃し、庶人にした。王輿は三族と共に誅殺された。


 更に司馬蕤を上庸に遷し、上庸内史・陳鍾ちんしゅが司馬冏の意旨を受けて秘かに殺した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 司馬穎も駄目になっていくからなぁ、ほんとに司馬氏の人材の劣化速度が速い…
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