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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第一章 八王の乱

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司馬遹

 300年


 西戎校尉司馬・閻纘えんせきが棺を牽いて宮闕を訪ね、上書してこう訴えた。


「漢の戾太子(前漢の武帝の太子)は挙兵して父である武帝の命を拒みましたが、それでも事件について発言した者は『罪は笞打ちの刑に当たるに過ぎない』と言いました。今、遹(恵帝の太子)は、罪を受けた日にも敢えて道を失おうとしなかったため、その罪は戾太子よりも軽いものです。改めて師傅を選び、まずは厳しい教育を加え、もしそれでも改心してから見極めても棄てても晩くはありません」


 上書が提出されたが、西晋の恵帝・司馬衷は目を通さなかった。


 因みにこの上書を行った閻纘は閻圃(元・張魯と魏の臣)の孫である。


 このように元太子・司馬遹しばいつの廃位が決まったにも関わらず、太子を支持する者たちは多かった。


(やはり始末しなければならない)


 そう考えた賈南風かなんふうは宦官に命じ、


「太子と反逆を為そうと欲した」


 と言って自首させた。


 恵帝は詔によって宦官の自首の言葉を公卿に公布し、同時に東武公・司馬澹しばせんを派遣して、千人の兵で司馬遹を護送させて許昌宮に幽閉した。持書御史・劉振りゅうしんに命じて、符節を持って太子を監守させた。


 また、詔を発して宮臣の辞送(別れを告げて送り出すこと)を禁止した。しかし、洗馬・江統こうとう潘滔はんとう、舍人・王敦おうとん杜蕤しゃせん魯瑤ろようらが禁令を冒して伊水に至り、拝礼告別して涙を流した。


 司隸校尉・満奮まんふんが江統らを捕えて縛り、獄に送った。


 それぞれ河南の獄と洛陽県の獄に繋がれた。


 河南の獄に繋がれた者は、河南尹・楽広がくこうが全て解いて帰らせた。郡の獄に繋がれた者は河南尹に釈放の権限があるが、県の獄に繋がれた者は、尹が干渉することはできなかったため、洛陽県の獄に繋がれた者は釈放されなかった。


 都官従事・孫琰そんえん賈謐かひつを説得した。


「太子を廃して遷したのは、彼が悪を為したからです。今、宮臣が罪を冒して拝辞しましたが、これに重刑を加えたら、この事が四方に伝え聞かれて、逆に太子の徳を明らかにしてしまうことでしょう。釈放した方がよろしいかと思います」


 賈謐は洛陽令・曹攄そうきょに話をして全て釈放さした。楽広も罪に問われなかった。


 この中の王敦は王覧(魏の臣)の孫、曹攄は曹肇(曹休の子)の孫である。


 司馬遹は許に至ってから元太子妃・王氏こと王恵風おうけいふうに書を送り、自分の冤罪を述べたが、妃の父・王衍おうえんはそれを恵帝に報告しようとしなかった。


 数日後、皇孫(太子・司馬遹の子)・司馬虨しばはんが死んだ。胡三省はこの死を、


「病死ではない」


 と、述べている。悪意の手が伸びつつある。息子の死に悲しみつつも司馬遹は大いに恐れた。







 そんな中、三月、尉氏(地名)で血の雨が降り、妖星が南方に現れ、太白(金星)が昼に現れ、中台の星が分かれた。


 太白が昼に現れるというのは、太陽と光明を争うことを意味し、強国が弱くなり、小国が強くなり、女主が興隆することを表す。


 中台の星というのは、魁(星の名)の下に六星があり、二つずつ並んでいる。これを「三台」と言った。三台の色がそろっていれば君臣が和し、そろわなくなったら君臣が乖離すると言われており、「三台」は「泰階」ともいい、「上階」は上星が天子を、下星が女主を表し、「中階」は上星が諸侯・三公を、下星が卿・大夫を表し、「下階」は上星が士を、下星が庶人を表す。


 張華ちょうかの少子・張韙ちょうせんが張華に対して辞職を勧めたが、張華は従わず、


「天道とは幽遠なものだ。静かに変化を待った方がいい」


 と、言った。


 太子・司馬遹が廃されてから、群情が憤怒した。


 右衛督・司馬雅しばがと常従督・許超きょちょうはどちらもかつて東宮に仕えていたため、殿中中郎・士猗しきらと共に賈南風を廃して太子を復位させようと謀った。


 司馬雅らは、張華と裴頠はいぎは常規に安んじて官位を守っており、現状を変えることはできないとみなしており、彼らに頼ることはできないと考えた。


 そこで目を付けたのは右軍将軍・趙王・司馬倫しばりんである。彼は兵権を握っていて性格が貪冒(貪婪で利を好むこと)であるため、その力を借りれば事を成就させることができると考えたのである。


 そこで司馬倫に仕えている孫秀そんしゅうを説得することにした。


「皇后は凶暴で嫉妬深く無道で、賈謐らと共に太子を誣告して廃しました。今、国に嫡嗣がいなくなり、社稷が危機に臨み、大臣が大事を起こそうとしています。あなたは名義上、中宮に仕えており、賈・郭と親善なので、太子の廃位に関して、皆が司馬倫と孫秀はあらかじめ知っていたと申しております。一朝にして事が起きたら、必ずや禍が及ぶことでしょう。なぜ先にこの事を謀らないのですか?」


 孫秀は司馬雅らの誘いに許諾してから、このことを司馬倫に報告した。司馬倫もこれを受け入れて、通事令史・張林ちょうりんおよび省事・張衡ちょうえいらに謀を告げて内応するように命じた。


 因みに張林は後漢末の黒山賊・張燕の曾孫である。


 司馬雅らが事を起こそうとした時、孫秀が司馬倫にこう言った。


「太子は聡明剛猛ですので、もし東宮に還ったら、間違いなく人に制されることはありません。あなた様はかねてから賈后の党となっており、それは道路を行く人も皆知っていることです。今、たとえ太子に対して大功を建てたとしても、あなた様はただ百姓の望(太子を復位させたいという望み)に逼迫されたので、態度を変えて罪から逃れようとしただけだ、と太子はみなすことでしょう。太子が以前からの怨みを心中で忍んだとしても、あなた様を深く感謝することはできないでしょう。もしも過失があったら、やはり誅から免れられなくなります。よって、先延ばしにして時間を稼ぐべきです。賈后は必ず太子を害します。その後に賈后を廃して、太子のために讎に報いれば、禍から逃れられるだけでなく、更に志を得ることができることでしょう」


 狡猾とはこのことである。これに納得した司馬倫も狡猾である。


 孫秀は宮中を離間させるために、人を送って、


「殿中の人が皇后を廃して太子を立てようとしている」


 という噂を流した(殿中の人は司馬雅、許超、士猗を指す)。


 賈南風はしばしば宮婢を微服(私服。おしのび)で派遣して民間で情報を見聞きして集めさせていたため、この噂を聞いて甚だ懼れた。


 司馬倫と孫秀はこれを機に賈謐らに進言し、早く太子を除いて衆望を絶つべきだ、と勧めた。


 賈南風は太医令・程據ていきょに毒薬を調合させ、偽りの詔によって黄門・孫慮そんりょを許昌に至らせ、司馬遹を毒殺させた。


 司馬遹は廃位されてから毒殺を恐れていたため、常に自分の前で食事を作らせていた。孫慮はそれを劉振に告げた。


 そこで劉振は司馬遹を小部屋に遷し、食事を絶たせた。しかし宮人が秘かに壁の上から食物を与えた。


 らちが明かないと判断した孫慮が司馬遹に迫って毒薬を飲ませたが、彼が飲もうとしないため、孫慮は薬杵(薬を牽く杵)で椎殺(殴殺)した。


 司馬遹は二十三歳という若さであった。かつて西晋の武帝から大いに期待された神童の死がこれである。


 彼の死を受け、官吏が庶人の礼で埋葬するように請うたが、賈南風は上表して広陵王(太子になる前の爵位)の礼で埋葬させた。


 これで少しでも群臣たちの心を落ち着かせようとしたのであろう。


 それでも目障りな司馬遹が死んだことでもはや自分を脅かす存在はいないだろうと彼女は思った。しかしながら彼女を脅かす者は既に行動を起こそうとしていた。





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― 新着の感想 ―
[一言] 司馬倫を頼らざるええない悲劇、賈南風よりある意味外道。
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