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【第01話】 始まりは終わりで、終わりは始まり・前編

「……ようやくクソかったるい授業が終わったか」


 学ラン姿の少年は、そう言いながら机の横に掛けてある鞄を机の上へと置いた。


 ここは松田市にある『県立藍川(あいかわ)高等学校』。所々が傷んで古くなってはいるが、歴史は長い学校だ。駅まで近いという立地条件の良さから受験生の数は減る事がない。

 昨今の少子高齢化社会には珍しく一学年に四クラスもあり、廃れる事はない学校として世間からは注目されていたりもする。


 そこの二年四組のクラスに、現在この少年は居た。

 鞄の中を整理し終えた少年は軋む音と共に椅子から立ち上がり、鞄を持って教室から出ようと歩き出す。


「やあ、水瀬。もう帰るのかい?」


 するとクラスの女子二人と喋っていた別の少年が、その少年の目の前へとやってきた。

 呼び止められたこの少年の名は『水瀬悠月(みなせゆづき)』。

 藍川高校に通う十六歳の男子高校生。特に目立った所も無く、しいて言うなら常に学生服の第一・第二ボタンが開いているくらいの普通の生徒である。


「帰るんだったら言ってくれよ。帰りに二人で駅前の喫茶店に行かないか?」

「悪りいな。今日も妹の迎えに行かなきゃならねえんだ」

「やれやれ……最近付き合い悪いね。せっかく美味しい喫茶店だったのに……」

「とか言って、どうせウェイトレスが目当てなんだろ?」

「ピンポーン、大当たりです! 正解した水瀬さんには五十ポイント進呈!」

「なんじゃそりゃ」


 まったく……。コイツは悩みとか無さそうで羨ま(うらや)しいぜ……。

 目の前の少年に対し、悠月は(あき)れに近い感心を抱いた。


 そんな悩みが無さそうな悠月と対照的なこの少年の名は『井上大輔(いのうえだいすけ)』。言わずもがな悠月のクラスメイト。

 先ほどの会話からも分かる通り、頭の中はいつもピンク色に染まっている男子高校生らしい高校生。悪く言えば女好きだが悠月とは中学校時代からの友人であり、今も暇な時はよく一緒に遊んだりしている。

 女の子受けする明るい性格と良さ気なルックスにより、クラスの女子から人気は高い。その事を悠月によく自慢してくるのだが、実は本人には決まった彼女は居ない。

 学生生活の中でかなりの数の女子からも告白されているが、その全てを断り続けて遊びのような付き合いを続けている。良く言えばプレイボーイ、悪く言えば女垂らしとでも言うのか。


 とはいえ普通に友達としては良い友達であり、現在まで悠月は友好関係を保っている。

 女子には悪いが彼女の居ない悠月にとっては告白を断ってくれていた方が、井上と気兼ねなく付き合えるのだ。モテない男のひがみとも言うが。


「あそこのウェイトレスさんは、今時では珍しく初心な娘ばっかりでさ。ちょっと前髪を払ってウインクしただけで顔中真っ赤にしちゃってさ」


 井上はそう言いながら、自慢の長い前髪を手で払ってウインクを見せてくる。

 どうやらその時の再現なのだろうけど、どうしても悠月がイラっときてしまったのは致し方ないだろう。


「……ウインクをしているお前がさぞ恥ずかしい姿だったから、そのウェイトレスは顔を真っ赤にしたんだろうな」

「ええっ!? それってどういう意味さ! なら今日、水瀬がその店でウインクの見本を見せてくれよなあ」

「俺は妹を迎えに行くって言ってんだろ。それに喫茶店に行く事になったとしても、そんな馬鹿な事するか」


 悠月はぶっきらぼうにそれだけ言い、井上を置いて教室の出口へと歩いていく。


「仕方ないな……。また今度行こうぜ!」

「はいはい……」


 やっと諦めたらしい井上にそう言われ、悠月は手をひらひらと振りながら教室を後にする。いつもなら俺が折れるまで言い続けてくる井上にしては、珍しくあっさりとした引き際だ。


 そんなに言うほど行きたい場所ではなかったのかもしれない。それとも俺に気を使ってくれたのかな? まあ、たぶん後者の方だろう。一人暮らしは寂しいって言ってた事もあるから、本当は行きたかったんだと思う。女友達も多いんだから、そっちと行けばいいのに……。まあ、優遇されているのには悪い気はしないが……。


「やあ、悠月くん!」

「出たよ……」


 井上への僅かばかりの負い目を感じながら昇降口へとやってきた悠月は、自分の下駄箱前で腕を組んで仁王立ちをしている少女に話しかけられた。

 悠月はその少女の顔を見てしかめっ面となる。


「なにさ~。私に会うのが嫌なの~?」


 少女は腕組を解いて両手を腰に置きながらそう言った。

 まさに「怒ってますよ」という顔で悠月を睨みつけてるが、そんな事はお構いなしに悠月は少女の目の前……もとい自分の下駄箱の前まで行って上履きを脱ぎ始めた。


「……なんでお前が俺の下駄箱前で仁王立ちしてんだ?」

「そりゃあ、悠月くんに用があるからに決まってんじゃん」


 少女は背中を軽く反り、持ち前の大きな胸を自ら主張しながら言い放った。

 あと少しでも後ろに反ったら、ブラウスのボタンが弾け飛んでしまうのでないかと思えるくらい凶悪な胸だ。


 面倒くさい奴に(つか)まっちまったなあ……。


 悠月があからさまに溜息をつきながらしゃがんで上履きを取っていると、少女はそのまま上半身を前に倒して起き上がろうとする悠月の顔に自分の顔を近づけてきた。その拍子に少女のツインテールの片方が悠月の頬に当たる。


「もしかして、これから妹のお迎えに行くのかな?」

「……だとしたら何だよ?」


 悠月がそう言い返すと、少女はニッコリと笑いながら上体を元に戻した。


「なら、あたしも一緒に行く」

「はあ? お前はこれから部活だろ?」

「今日は自主トレーニングの日だから、部活なし!」

「そうか、なら自主トレに励んでくれ。じゃあな」


 それだけをさらっと言った悠月は下駄箱の中に上履きを入れ、出した靴を()いてそのまま校門へと歩いていこうとする。


「ちょいちょ~い!」


 だが少女はそんな悠月の襟元を掴み、悠月の歩みを止める。襟元を掴まれた悠月はジト目で後ろを振り返るが、少女は悪びれもなくニンマリと笑みを向ける。


「……何だよ?」

「一緒に行っていい?」

「いや、俺は一人で迎えに……」

「一緒に行っていい?」

「だからな、俺は一人で……」

「一緒に行っていい?」

「………」


 まったく会話にならずなんとか自分の意思を押し通そうとする少女に、悠月は返答するのを止めて面倒くさそうに頭を掻きながら溜息をついた。


「……いいぞ。一緒に来ても」

「本当!? やったあ!」


 まあ、そこまで拒絶する理由も無いし別にいっか……。


 悠月がそう思う中、目の前では何がそんなに嬉しいのか少女は「へっへっへ~ん☆」と言いながら靴を履き替える。

 元気印という言葉がよく似合うこの少女は『寺島麻美(てらしまあさみ)』。藍川高校に通っている悠月の同級生の少女。常に笑顔が絶えない明るい性格の持ち主である。

 セミロングより少し長い髪をまとめたツインテールがトレードマーク。動く度にぴょこぴょこと横に揺れ、まるで彼女の性格を表しているかのようだ。

 そして……なんと言っても裏のトレードマークとも言えるその大きな胸。慎重のわりにはアンバランスな胸を持つ麻美は、天真爛漫な性格もあって学園の男子からの人気も高い。


 そんな悠月とは小学校高学年からの付き合いで、同じクラスになった時に知り合った。そのままズルズルと高校生まで腐れ縁的な仲を続けている。

 同じ高校に入ってからも事ある毎にこうして麻美は悠月に絡んでくる。別に恋人として付き合っている訳でもないのに、必要以上に絡んでくるので悠月も頭を抱える事がしばしばあったり……。

 他人から見れば麻美が悠月に好意があるのは一目で分かるのだが、悠月がそれに気付かず現在にまで至っている。いや……薄々感づいてはいるのだが、それに気付きたくない気持ちが悠月自身の心を制御していたのだ。

 こういう友人関係をやっている為に、後ろにも前にも行かない微妙な間柄(あいだがら)とも言えるのだろう。良く言えば恋愛の奥深さ。悪く言えば子供っぽいという事だ。


 ……普通に学生生活送ってりゃあ、周りに俺らの関係を勘違いされてもしょうがないか。とは言っても恋愛ってよく分からないし友達の方が気が楽なんだよなあ。


「おっそいよ~。こよりちゃん、先に帰っちゃうよ?」

「それはねえよ。あいつは俺が迎えに行くまでちゃんと待ってる」

「ふ~ん、すごい自信だね」

「当たり前だ。誰かさんと違って、ウチの妹はしっかりしてるからな」


 そうキッパリと断言しながら悠月は歩いていき、麻美も並んで歩き出す。


「昨日のテレビの特集で観たんだけど、最近の小学生は進んでるらしいよ。もう恋人とか居るみたいだしね」

「……それが?」

「もしかしたら、こよりちゃんに彼氏が居るかもしれないよ?」

「ありえねえな」

「なんで? あんなに可愛いんだから、友達に紹介されたりして……」


 それを言ってすぐに麻美は口に手を置きながら言葉を止めてしまった。そのまま申し訳なさそうに麻美はしょんぼりと俯いてしまう。


「あっ、ごめんなさい……」

「……いや、大丈夫だ。気にするな」


 それだけの会話をして二人とも黙り込んでしまい、その場にはなんとも言えない微妙な空気が流れた。まるで言ってはいけない事を言ってしまった微妙な雰囲気が漂う。


 友達、か……。アイツにとっては、それは本当に重い言葉なんだろうな。


 悠月はそう思い、一人空を見上げる。すでに夕闇へと染まりつつある空は、まだ今が四月である事を物語っていた。悠月にとって夕焼けというものには、残念ながら嫌な思い出が多く、ずっと眺めているとそればかりを思い出して良い気分はしない。

 しばらく黙って歩いていき、悠月と麻美は信号に引っ掛かって立ち止まった。


「……あのさ、こよりちゃんに彼氏が出来てたらどうする?」

「あん?」


 長く続いていた沈黙が破るように、麻美が唐突な質問を投げ掛けてきた。


「まあ……こよりが選んだ相手なら、俺が口出しする事じゃないしな。見守るさ」

「そっか……。悠月くんは彼女が欲しいって思った時はないの?」

「んっ? 何か言ったか? 車が通ったからよく聞こえなかった」

「な、なんでもないっ!」


 麻美は必死に手を振りながら、信号が青になったので特に問いかける事なく歩き始めた。

 せっかくの良い振りは『車のせいにした』悠月には届く事はなく終わった。結局、関係が変わる事を恐れた悠月によって阻止されてしまったのだ。いつまでもチキンな自分自身に悠月も嫌になる。


 その後は先ほどまでの気まずい雰囲気はどこへやら、悠月たちは昨日観たテレビの事などの他愛のない話をしながら歩いていき、とある小学校の前で悠月たちは足を止めた。

 この学校こそ悠月の妹が通っている学校であり、現在はちょうど下校時間の為に校門前にはランドセルを背負った子供たちで賑わっていた。

 悠月はその子供たちの群れを見つつ校門付近を見渡し、ある少女へと声を掛けた。


「おーい、こより!」


 悠月のその声に反応し、その少女は小走りで悠月たちの方へとやってくる。

 セミロングの髪を左右に揺らし、薄ピンクのカーディガンと赤と黒のチェックのスカートがよく似合った少女は、満面の笑みで悠月たちの目の前に立ち止まった。


「おまたせ。じゃあ帰るか」

「こんにちわ、こよりちゃん」

「こんにちわ、麻美お姉ちゃん」


 天使の笑顔と言っても言い過ぎではないくらいの笑顔でこよりはそう答え、つい麻美もへニャリと口元を緩ませながら「今日も可愛いね~」と言ってこよりの頭を撫で回す。


 この少女の名は『水瀬こより』。悠月が溺愛している妹である。

 歳は十一歳であり、小学六年生。兄である悠月とは違っておしとやかでしっかり者の妹だ。動物好きで争いを好まない優しい性格の持ち主で、歳の割には大人びている。家事の手伝いも頻繁にしており、その延長線上で料理が趣味。

 悠月としてはもう少し子供っぽい所があっても良いと思うが、悠月が思っている以上にこよりは兄が大好きでよく甘えてくる。


「こよりちゃんはもう六年生なんだ~。初めて会った時は小さかったのに……」

「いやいや、こよりは今もまだ十分に小さいって」


 悠月が歩きながらこよりの頭に手を乗っけてそう言うと、こよりは頬をぷくっと膨らませて怒っているかのような表情で悠月の事を見上げた。


「……まだ成長期だからだもん」

「いやいや、お前の身長はもう伸びないだろ。だって牛乳も飲んでないしな」

「の、飲んでるよ。いちご牛乳……」

「いちご牛乳れ。それじゃあ身長は伸びないだろうが」

「おやおや、よく言うね~。悠月だって小学生の頃は牛乳嫌いで飲まなかったくせに」

「うっ……」


 麻美が横からさらっと痛い所を突いてきたので、せっかく熱弁していた悠月は言葉に詰まってしまった。

 なんだかんだと言っている悠月も、実は幼い頃は大の牛乳嫌いなのだ。飲めるようになったのは最近の話であり、中学三年になるまでは飲めなかった。飲めるようになったのも麻美の教育による賜物である。


「……お兄ちゃん?」

「い、いや……。でも、俺の方が麻美よりも五センチくらい身長は勝ってるぜ!」


 悠月は必死になって話を取り繕おうとするが、麻美とこよりはジトッとした目線だけを悠月に向けた。


「それって、男だったら十分に低い方だよね?」

「うん、低いと思う」

「………」

「大丈夫だよ、こよりちゃん。心配しなくても身長は伸びるから。でも牛乳を飲んだ方がもっと伸びると思うから、チャレンジしてみてね?」

「うん、頑張ってみる。そうすれば、麻美お姉ちゃんみたいにグラマーになるかな?」

「そうだよ、いっぱい栄養を取るんだよ」


 こよりと麻美は悠月を蚊帳の外に置いて、まるで本当の姉妹のように楽しそうに話していた。

 悠月は、楽しくおしゃべりしている女子二人の後ろをひっそりと歩きながらしょんぼりしていた。とはいえ仲の良い二人を見ると自然と笑みがこぼれる。


「んっ……?」


 そんな中、悠月は急に妙な視線を感じて後ろを振り返った。だが、そこには住宅街の町並みを広がるだけで、怪しい人物どころか動物すら居なかった。


 単なる勘違いにしては、はっきりとした視線だったんだが……。


 悠月は誰も居ない住宅街を見渡しながら訝しげな表情となった。

 実のところ、悠月がこういう類の視線を感じるのは今日が始めてではない。数年前の今日と同じくこよりと下校中に今日と同じような視線を感じて以来、定期的に誰かから見張られているような視線を感じるようになった。

 最初の方こそ、悠月もこよりを狙ういじめっ子か変質者かと思ったのだが、度重なる視線を感じている内に、その視線はこよりへではなく自分に向けてのモノだという事に気がついた。

 悠月にも自分が狙われている理由などは分からず、そこまで怨みも持たれた覚えもない。気にするレベルでもない小さな事はあるだろうが、四年間もストーカー行為をされるのは非常に気になる。


 ……だが不思議なのは眺められているだけで、特に何もしてこないんだよな。目的はいったいなんだ?


「ゆーづーきー!! 何やってんさ、置いてくよ~」


 いつの間にか立ち止まっていた悠月はその声でハッと我に返る。その先には麻美とこよりがこちらを向いて立っており、どうやら悠月を待っているようだった。それを見て悠月はそちらへと歩いていく。


「どうしたの? 話を振られなかったから怒っちゃった?」

「いや、なんでもない……」


 悠月はそれだけを言って先を歩いていき、麻美とこよりは不思議そうな表情をしながら後に続く。

 悠月は二人に気取られると面倒な事になると考えてたので、訳を追求されないのは非常に助かった。変に不安な気持ちにさせるよりも、自分の胸の奥に閉まっておく方が良いと思ったのだ。だがいつでも警察に連絡できるようにスタンバイだけはしておこうと心で誓った。

 それから数分後……帰る方向が違う麻美とは別れ、悠月とこよりは家に向かって一緒に歩いていた。


「麻美お姉ちゃんは、明るいし身長も高くて素敵だよね」

「そうか? 栄養が有り余っているだけだろ」

「ううん、そんな事ないよ。麻美お姉ちゃんみたいになれるように頑張る!」

「……なあ、こより」

「なに?」

「最近は学校でイジメられてないか?」


 悠月がそう聞くと、今まで楽しそうな顔で話していたこよりから笑みが消えた。そしてすぐに暗い表情となって俯いてしまった。


「……大丈夫だよ」

「……そうか」


 悠月はそれだけを言って、それ以上は口を開かなかった。

 実はこよりは、数年前から学校でイジメを受けていた。イジメを受けていた時期によってイジメられ方も変わっているが、典型的なヤツから悪質なヤツまで多種多様であった。

 そいつらは子供とは思えない巧妙なやり口を繰り返しており、こよりは更なるイジメを恐れて両親や担任の教師には言えないでいた。


 ついに居ても立ってもいられなくなった悠月は、こよりの担任に相談しに行った事もある。だがしかし……自分の立場が大事だからなのか、その教師はイジメがある事実を否定して「そんな事はありえない」と言い張ってきたのだ。何度言っても言う事は変わる事なく、揚句の果てにはこより自身に問題があるとまで言ってきた。

 教師とは思えない言動に悠月は激情に駆られ、その場でその教師を殴り飛ばしてしまったのだ。

 それが問題となり、悠月は高校側から停学を下された。両親からの誤解が解けるまで悠月は何回も父親と衝突した。


 たった一週間の停学で事は済んだが、悠月が理不尽な事で教師を殴り飛ばしたという噂だけが広まっていき、殴られた教師だけは難を逃れて現在も学校に居続けている。腑に落ちない悠月がこよりに聞いたところ、実はその教師はイジメの事を最初から知っている上で見て見ぬフリをしているらしいのだ。

 更なる事実を知った悠月はその事をPTAに言おうと試みるが、それはこよりによって静止されてしまった。

 こよりの静止に納得出来ない悠月が訳を聞くと、こよりの口からは『信じられないような理由』が出てきたのだ。その理由を聞いた悠月はPTAに報告する事を断念せざるを得なかった。


 その件があってからというもの、こよりは悠月に無駄な心配をさせまいとイジメられている事を隠すようになった。当然、今日だってこよりは悠月に嘘を言っている。だがそれが分かっていたとしても悠月には何も出来ず、ただ一緒に登下校をしてイジメられる機会を少しでも減らすのがせい一杯だった。

 今でもこよりの言うイジメられている理由は悠月自身が信じられないところはある。


 ……いったい誰に相談すれば解決できるんだ。


 そう思いながら歩いているといつの間かへと辿りついており、悠月は門に手を伸ばそうとする……が。


「あいつ……!」


 門を開けようとした瞬間、悠月は偶然にも家から少し離れた所にある電柱の影からこちらを覗いていた相手の姿を目撃した。遠くてよくは見えないが、悠月と目が合ったと思われる瞬間にその何者かは逃げるように走っていってしまった。


「……こより、俺は急な用事ができたから先に家の中に入って鍵を掛けてろ」

「う、うん……わかった」


 こよりの返事を聞いた悠月は持っていた学生鞄を玄関付近に放り投げ、逃げていく何者かを全速力で追いかけていった。


 あいつがいつものストーキング野郎かっ!? 今日こそとっ捕まえてやる!


 心の中でそう意気込みながら走っていくがなにせ元々の距離が離れている為、逃げていった奴と悠月との距離はなかなか縮まらない。


「くそったれっ……!!」


 茶色い西洋のローブみたいな物を羽織っているストーカーは思っていた以上に足が速く、悠月が必死に走っても追いつく見込みが全くなかった。しかも上手い具合に信号がなくて車通りも少ない道を選んで逃げていく。まるで、あらかじめ逃げる道を決めていたかのようなスムーズさとも言えよう。

 何の障害物もないくせに追いつけない苛立ちからか、悠月は叫ぶなり何なりして他の人にも助けてもらおうとは考え付かなかった。ただ単に一心不乱に走って追い続けた。

 だが努力空しくストーカーは駅周辺で人ごみに紛れて姿を消してしまっい、完全に対象を見失ってしまった。


「ちきしょう……ハア……ハア……」


 悠月は息を切らしながらも辺りを見渡すが、やはりもうどこにも居なかった。

 あんなに目立つ格好をしていたのに周りの人たちは何事もないかのように普通に歩いており、誰一人として辺りを見渡している人間はいない。

 しかしまだ諦めきれない悠月は、あのストーカーの姿を思い出しながら駅周辺を探し続ける。

 背丈だけで考えるならば、中学生以上だろうと思われる。あんなに大きいフードを被っている奴など早々居ないので探せば見つかるだろうと悠月は踏んでいたが一向に見つける事は出来なかった。


「……やれやれ。完全に取り越し苦労だな」


 数分経ってついに探すのを諦め、悠月は深い溜息をつきながら近くにあったベンチに腰を下ろす。

 捕まえる事はおろか、あまつさえ貴重なプライベートの時間を無駄にしてしまったせいか、悠月の中に疲労感が波のように押し寄せてきた。

 だがこのまま後悔しながら座っていても、それこそ時間の無駄でしかない。休憩して体力が回復した悠月は立ち上がる。


「おっと……」


 だが立ち上がった瞬間、悠月のすぐ目の前を一人の女性が横切っていった。あまりにも近かった為、悠月の鼻先には女性特有の良い香りが漂う。

 普通ならば自分のすぐ近くに人がいきなり現れたら、驚きはしないとしてもこちらを意識したりするものだ。しかし、その女性は悠月の存在に気付いていないかのように、こちらを見向きもせず素通りして行ってしまった。

 長く綺麗な黒髪を靡かせ、凛とした態度で女性は歩いていく。ミニスカートから覗く生足がなんとも眩しい。顔の方はチラッとした見えなかったが、稀に見ない美人だったと悠月でも思った。まだ幼さが残る顔立ちからして、おそらく高校生くらいだろう。

 歩き去っていく女性を眺めていた悠月は、しばらくしてハッと我に返った。


「……何やってんだか。家に帰るか」


 そう言いながら悠月はその女性に背を向けて歩き出そうとする……が、自らの意思に反して足は前へと進まなかった。まるで体全体が必死に悠月を止めているような、そんな感じである。


 ……まったく足が進まない訳じゃない。まるで『何かやり忘れている事がある』ような後味の悪い何かを感じる。


 気付くと悠月は先ほどの女性が去った方向へと歩き始めていた。特にこの行動には意味などない。むしろ、悠月本人が理由を知りたいくらいであった。

 少し早歩きで歩いた悠月は先ほどの女性の姿を見つけ、その後をつける。


 ……こんな姿を誰かに見られたら、間違いなくストーカーと思われるな。ストーカーを追っていた俺がストーカーそのものになるのか。


「なーにやってんだ、君は?」

「うわおっ!?」


 そう思っていた矢先に背後から急に声を掛けられ、悠月は驚きのあまり声を上げてしまう。


「いやいや、驚きすぎでしょ」

「あっ……」


 聞きなれた声に拍子抜けした悠月が後ろを振り返ると、そこには不思議そうな表情をした井上が立っていた。さすがに警察のお世話になるのも覚悟していたのもあって、悠月は安堵の溜息をつく。


「井上かよ……。驚かしやがって」

「驚かすような事をした覚えはないけどな。さては後ろめたい事でもしてたのか?」


 その言葉に動揺した悠月はビクッと肩を揺らす。そんな反応をどう見たのか井上は邪悪な笑みを浮かべ始めた。


「はは~ん……。思うにあの美少女が気になって追いかけてるってところかな?」

「うぐっ……!?」


 井上は話しながら悠月が追っている女性を指差す。さすがにこの的確な指摘には驚いてしまい、悠月は口をあんぐりさせる。


「どうやら図星みたいだな。ま、女のケツを追いかけるのも程々にしとけ。思わぬ所に落とし穴があるからよ」

「ちがっ……そんなんじゃねえよ! お、俺はただ……」

「ほらほら、急いで追いかけないと見失っちゃうぞ?」


 言われた通り、確かに女性はすでに遠距離の方を歩いており、早く追わなければ見失ってしまうであろう状況だった。


「こ、この事は誰にも言うなよっ!」

「はいはい。ストーキング行為はさっさと止めて、早いところアタックしなよ?」

「やかましいわっ!」


 そう言う悠月は、すぐに小走りで女性を追いかけていった。井上に見つかった時点でやめておけばいいものを、悠月は五メートル弱ほどの距離をとって再び尾行を開始する。

 いったい何が彼をそこまでさせるのか悠月本人にも分からないが、使命感のようなモノを感じた悠月は女性の尾行を続ける。そこにやましい気持ちは少しも無い。


 悠月は次に似たような事があったら終わりだと考え、あくまで自然体を装って尾行を続ける。普通に考えれば声を掛けてしまえば済む話でもあるが。

 しかし、いきなり「あなたからは妙な気配を感じたので気になりました」などと言ってしまえば、一発で精神異常者だと思われてしまうから声は掛けられない。それでも現在の状況はストーカー行為なので見つかればお縄は免れないが。


 その後、女性は商店街やマンションが疎らにある地帯を抜け、運送会社の倉庫がある方へと歩いていった。

 追いかけている悠月の方は徐々に見えにくい所へ隠れたり、目立たないように尾行するのが上手くなってきていた。その内に「俺って尾行する才能があるんじゃね?」と思って悠月は少し恐怖を感じたりした。

 そのまま女性は人気の少ない倉庫エリアの奥へと歩いていく。時刻はすでに夕方五時を過ぎており、辺りは闇に包まれ始めてきた。時期が時期だけに夜になるのが早く、悠月は肌寒さから身体をブルっと奮わせる。

 倉庫は道路を挟んだ両サイドにズラッと在り、女性はその道をどんどん奥に向かって歩いていく。そして倉庫エリアの奥地にあるシャッターが閉まっている倉庫の前へと辿り着いた。


「なんで、こんな所に女性が一人で……?」


 入り口付近で静かに佇む倉庫を見上げながら悠月は素直に疑問に思った。ここまでくると自分もそうだが女性自身もなんだか怪しく見えてしまう。

 とてもあの女性がこの倉庫で働いているようにも思えない。予想外の女性の行動に悠月は何かキナくさいモノを感じ始めていた。こんな人気がない倉庫に一人でやってくる理由が思いつかない。


「ここで働いてる父親の忘れ物を届けに来た……とか?」


 最初こそは何となく直感を頼りに追っていただけだが、とんでもない現場に出くわしてしまったのかもしれないと思って悠月は額に冷や汗を掻く。


「! ……やっぱり中に入っていくのか」


 なんだかんだと考えている内に、女性はシャッターの隣にある扉から倉庫内へと入っていってしまった。

 それを見て悠月もその扉の方へと向かっていく。危険な香りを感じ取りながらも追いかけていくのは、怖いもの見たさなのかもしれない。


 敷地内にはなんだか大きなラップ状の物や、壊れているであろうフォークリフトが無造作に放置されていた。他にもダンボールや粗大ゴミのような物まであちこちに転がっており、使われていないかのような雰囲気が漂う。

 倉庫内は暗くてよくは見えないが悠月の想像より遥かに広く、上にも左右にも広い構造となっていた。その周りにもとても手が届かないような高さの棚が何十列もあり、そこには大小様々な大きさのダンボールなどが並べられている。どうやら物置き場としては使われているようである。


 そしてその倉庫の奥の方に微かな明かりが灯っているを発見し、悠月はそちらへと歩いていく。

 ラックとラックに挟まれた道を奥へと進んでいくとやがて棚の端に辿り着き、その先に広い空間が現れた。おそらく、フォークリフトなどが行き来する為の作業をする空間なのだろう。


「誰か居るみたいだな……」


 悠月は態勢を低くさせて物陰に隠れつつ、その場所の様子を伺った。

 そこには先ほどから追っていた女性と、初めて見る作業服姿の男性たちが対峙するかのように立っていた。男性たちの方は二十代後半辺りと思われる痩せた男性と対照的にゴツイ体格をした男性で、数メートルの距離を取って先ほどの女性と対峙している。どう見ても嫌な予感を感じる。

 すると痩せた方の男性が急に女性の方へと走っていき、何の前触れもなく女性に殴り掛かろうとした。驚く祐二を他所に女性は俊敏な動きで上体をずらして男性のパンチを見事に避ける。

 しかし避けたのも束の間、とても見た目からは想像もつかない速さで痩せた男性は再度殴り掛かってきた。しかし対する女性も凄まじい反応速度でそれらも避けていく。


「なんなんだよ、これは………あっ!?」


 あまりにも予想外な展開に悠月が唖然としていた中、ついに女性はダンボールが置いてる棚へと追い込まれてしまった。女性はそんな状況で無防備にも辺りを見渡しており、その隙に痩せた男性が女性へと殴り掛かろうとする。


「……んなクソー!!」


 その瞬間、悠月は勢いよく物陰から飛び出していった。そして、祐二はいきなり飛び出してきた悠月に視線を向けた痩せた男性の顔面をおもいっきり殴りつけた。殴られた男性はそのまま横へと吹っ飛んでいき、床へと叩きつけられる。悠月は息を切らしながら少し先で倒れている男から視線を移し、女性の方を振り向いた。


「おい、大丈夫かっ!?」

「当たり前でしょう。なんで帰んなかったのよ、バカっ!」

「えっ……?」


 助けたつもりだったのに、逆に女性に怒鳴られて間の抜けたような表情となってしまう悠月。女性はすぐに深い溜息をつき、まるで「やれやれ……」とでも言いたそうな顔で首を横に振った。


「こんな倉庫に怪しそうな女が一人で入った時点で帰りなさいよね。あんた、バカなんじゃないの?」


 ……な、なんで俺は怒られてるんだ? しかもこの口調からだと尾行バレてんのかよ。


「もしかしてエッチな事でもしようかと思ってたの? あんたってストーカーの上に痴漢なわけ?」

「ふ、ふざけんなっ!! んな事するかよっ! ていうか、自分で怪しそうな女とか言ってんじゃねえ!」

「うるさいわよ、痴漢。あんたなんかに助けを求めた覚え……」


 女性はそこで唐突に言葉を切り、より一層険しい表情となって悠月の方を睨みつけた。


「な、なんだよ……? 確かに後を追ったのは悪いと思って……」

「……早く逃げなさい」

「はっ? 何を言って……」


 そこまで言った悠月は、急に背中に悪寒が走った。恐ろしいほど嫌な予感を感じ、そのままの態勢で首だけを動かして後ろを振り返る。

 すると……そこには先ほど悠月に殴られた男性がいつの間にか立っており、悠月たちの方を見ていた。だが驚くべき所はそこではない。男性の目はすでに正常な人間のモノではなく、まるで爬虫類のような目をしている。


「お、俺が殴ったから……怒った?」


 突如として男性の筋肉が膨張して作業着を豪快な音を立てて破っていき、なんとその下からは人間とは思えない緑色の腕が現れた。見るとそれは腕だけではなく身体の皮膚という皮膚の表面がツルツルした緑の皮膚だった。

 それから何秒もしない内に男の顔も徐々に緑へと変色していき、瞬く間に男性は筋肉質な『爬虫類人間』へと異形の変貌を遂げたのだった。


「ギシャアアアアアアアアッ!!」

「なんじゃこりゃああああああああっ!?」


 目の前で起きる非現実すぎる現象を目の当たりにし、悠月は叫んでしまう。

 その特撮物の着ぐるみとは思えないリアリティ感から、本能が「ヤバイ」と警告シグナルを出している。


「グゴオオオオオオオオッ!!」


 まだ頭の整理が追いつかず混乱している悠月の後ろから、まるでダンプカーが走っているかのような叫びが響き渡った。悠月が音のした方を振り返ると、なんと女性の後ろでは更なる常識外れの光景が広がっていたのだ。

 もう一人の男性の作業服もみるみる内に破れていき、事もあろうに皮膚が破れながら身体が大きくなっていくのだ。そしてあっという間に三メートルはあろう巨大な岩の巨人と変貌した。その姿は、まるでファンタジー世界に出てくるゴーレムと酷似しており、岩の顔面から覗く黄色の瞳は悠月たちの方を見ているようだ。


「お、お前……。どんな友達と付き合ってるんだよ……」

「……冗談でもコレと友達とは思われたくはないわね」


 冷静な言葉を返す女性を置いて、悠月はちょっとした錯乱状態に陥った。


 何なの……この状況? どうして女を尾行してたら化け物に会ってんの? これって特撮の撮影現場じゃないのよね? それとも超ド級のドッキリか? むしろドッキリであってほしい。落ち着け、俺。これは夢だと思いますよ、はい。もう夢で大決定でしょ。そう思ったら納得……。


「ギシャアアアアッ!!」

「うがあっ!?」


 現実逃避していた悠月の目の前に突如として爬虫類の化け物が向かっていき、凄まじい勢いで悠月を殴り飛ばした。殴られた悠月はそのまま横に吹っ飛んでいき、床へと激突して倒れてしまう。

 脳がシェイクされたような頭痛と全身に響く激痛を感じながら、悠月は肘をついて起き上がろうとした。

 その時、自分の顔から何かが垂れている事に気がつく。ふと悠月は額を触ってその手を見ると、その手には赤い液体が付いていた。それが血だという事に気付くまでしばらく掛かり、徐々に血の気が引いていった。

 全ては夢ではなく……現実なのだ。自分は実際に化け物に襲われている。


 しかし時すでに遅し。気配を感じた悠月が上を向くと、そこには巨大ゴーレムが自分を見下ろしていた。ゴーレムはその大きくゴツゴツした手で瞬時に悠月の首を持ち、そのまま上へと持ち上げる。まるで発砲スチロールを持ち上げてるかのように、悠月の身体は軽々と宙に持ち上がった。


「あがっ……がっ……。こ……の……」


 悠月は力を振り絞って首を掴んでいるゴーレムの腕を殴りつけるが、全くビクともしない上にどんどん絞める力は上がっていく。殴っている腕が痛くなっただけだ。


 い、息ができ……ない……。


 すでに目の前にはフラッシュバックが起こっており、次第にジタバタしていた手足も動かなくなっていく。まさに悠月は死の境地に晒されていた。歓楽的に女を尾行していて危険に晒されるとは思っていなかった悠月は、自分の軽率な行動を後悔する。

 ゴーレムの手の力は更に勢いを増していき、首を握り潰さんとする程に力は上がっていた。すでに虫の息状態の悠月は思考する事も許されず、死が待っている暗黒の世界へと意識は溶け込んでいこうとしていた。


「グガアアッ!?」


 だが次の瞬間、激しい激痛と共に悠月の意識は現実世界へと唐突に舞い戻ってきた。

 そこで自分がまだ生きているという実感を得た悠月は、咳き込みながらも肺いっぱいに空気を吸い込む。そこでようやくフラッシュバックが薄れていき、混乱しながらも立ち上がって辺りを見渡した。


「い……いったい……。何が……」


 そこで悠月は辺りの状況を見て驚愕した。悠月の周り一帯には『黄色い炎』が広がっており、自分はその近くに倒れていたのだ。


「うわっ! 火が、火が燃え移って……ない?」


 自分の体が燃えていると思っていたが、体を見渡しても火は悠月には燃え移っていなかった。こんなに火が近くで燃えているのに変だと思った悠月は、何を思ったのかその火に手をかざしてみたのだ。すると、驚く事に全く熱さを感じなかった。それどころか火に触れたところで、燃えるどころか感触すらしなかった。まるでCG映像に触れているかのような違和感である。


「ゴガアアア……!!」


 混乱が加速する中、辺りに野太い声が響き渡る。

 そちらを振り向くと、そこには片腕が失くなったゴーレムが咆哮を上げていた。そのゴーレムの向こうでは、例の女性がゴーレムの方を向いて何かの構えを取っていたのだ。

 だが女性はすぐに体勢を崩し、膝をついてしゃがみ込んでしまう。


「お、おい……!?」

「あんたはさっさと逃げ……」

「キシャアアッ!!」


 悠月が女性の方へと向かおうと立ち上がった途端、横から爬虫類人間が飛び込んできて急に女性の顔を殴りつけてきた。

 女性はそのまま吹っ飛んで棚のダンボールへと激突した。透明なラップのような物で固めていたダンボールは崩れていき、女性は複数のダンボールに埋もれながら倒れて動かなくなった。


「くそったれ……!!」


 それを見た悠月は形振り構わず、その女性の方へと走っていく。いったい今何が起こっているのか見当もつかないが、女性が危険だという事だけは理解した。たぶん気絶してしまっただけだろうとは思うが、当たり所が悪かったら洒落にならない。


「どけ、邪魔だっ!!」


 走っている悠月の目の前に先ほどのゴーレムが現れ、無事な方の腕を振り下ろして悠月に攻撃を仕掛けてきた。しかし悠月はなけなしの勇気を振り絞って突っ込んでいき、ゴーレムが腕を振り下ろしてきたと同時に上体を後ろに倒し、そのままスライディングをするかのように滑って攻撃を回避した。

 そして、その状態のままゴーレムの(また)の間を抜けていき、即座に立ち上がって再び走り出す……が。


「うぐあっ!?」


 走り出した瞬間に爬虫類(はちゆうるい)人間の飛び蹴りを脇腹に喰らい、悠月は横に勢いよく吹っ飛んで床へと転がっていった。


「ぐう……がはっ……。く、くそ……」


 悠月は痛む脇腹を手で押さえつつ、顔を上げた。気絶する女性とは数メートルの距離があり、まだここからでは女性の様子を窺う事すら出来ない。


「ゴアアア……」


 そうやっている間にも、後ろからは二体の化け物が悠月へと近づいていた。すでに状況は絶体絶命のピンチに陥りつつある。

 悠月は必死に手を動かして這いずるように移動するが、痛みと疲労のせいで体は言う事を聞かず、思うようには動かない。ポケットもまさぐるが携帯電話もどこかに落としたらしく見当たらない。警察に電話する事も出来なくなってしまった。


 こ、こんな訳分かんない状況で死ねるかよ……。


 そう思いつつ這いずる悠月の手の先に何かが当たった。それが何かは分からないが、悠月は無意識の内にそれを手に取った。


「……ナイフ?」


 そう、それは直径十八センチくらいの銀色のナイフであった。前に歴史の教科書で見た模造品のナイフに形が似ている。ナイフは蛍光灯の光を受けて淡く光り輝く。

 なぜナイフが落ちているのだろうか? と疑問に思っていると、悠月の中で何かが鼓動を打った。それは心臓のような音で大きく脈打ち、身体の中が見る見る内に熱くなっていく。その謎の熱さは瞬時に悠月の頭の先からつま先まで浸透していき、それと同時に激しい頭痛と目まいが起こる。


「な、なん……だ………」

「ゲギャアアッ!」


 歪んでいく目の前には、爬虫類人間がこちらへと歩いてくる光景が薄っすらと見えた。こんな状態ではまともに立つ事も逃げる事もできない。爬虫類人間が自らの腕を悠月へと振り下ろそうとしている光景がスローモーションで見える。

 そこで悠月の視界は急にブラックアウトした。


「………あれっ?」


 だがすぐに視界が戻っていき、悠月はなぜか自分が立っている事に気がついた。すでに謎の頭痛や鼓動を打つ感覚もない。

 いったい自分に何が起こったのか理解できず、意識自体も寝起きの時のような虚ろな感じであった。


「ギシャアアアアアアアアッ!?」


 呆然としていた悠月は、その甲高い叫び声で完全に意識が覚醒した。

 叫び声がする方を振り向くと、そこには先ほど悠月に襲い掛かろうとしてた爬虫類人間が居た。いや……居る事には居るのだが、なんとも見るも無残な姿となっていたのだ。

 爬虫類人間の体はなぜか横に真っ二つに切断されており、黄色い炎を放ちながら豪快に燃えていたのだ。そしてしばらく経たない内に、そのままボロボロと体を崩しながら倒れていった。


「こ、これはいったい……ってなんだこりゃああっ!?」


 悠月はそこで、自分の両手が銀色の剣を握り締めている事に気がついた。昔の神話に出てくるようなシンプルなデザインの長剣が自分の手の中にはあった。

 この剣はいったい何なのか? なぜ自分が持っているのか?

 あまりにも立て続けに訳の分からない事が起こり過ぎて、頭の処理速度が追いつかなくなってしまい、悠月はその場を右往左往しながらアタフタとする。

 だが燃えゆく爬虫類人間を見た悠月はピタリと動きを止め、一つの結論へと辿りついた。


 もしかして、この化け物を切ったのって……俺?


 気付いたら立っている自分。いつの間にか持っている剣と真っ二つの化け物……。

 これらを総合して考えてみると、悠月が斬ったと考えるのが妥当である。正直理解に苦しむが一番それがしっくりくる考えだった。

 そんな中でも悠月に分かっている事が一つだけあった。自身の身体に流れている膨大な未知のエネルギーの感覚というモノだ。

 全身を満たしているエネルギーを感じ、悠月は今なら何でもできるような気さえしてきた。痛みや恐怖さえも上回る異常な感覚が瞬く間に悠月を支配した。


「ゴガアアアアッ!!」


 そんな事を考えていると急に叫び声が聞こえ、悠月は瞬時に大きく上へと跳躍した。

 四メートルはあろう高さまで悠月が飛んだ途端、その真下では大きな破壊音と砂煙が巻き起こった。どうやらゴーレムが攻撃を仕掛けてきたようで、悠月が元々居た所の床を破壊する程のパンチを放っていたのだ。

 つまり、悠月はその攻撃を回避したという事だ。まるで攻撃を感知したかのように人間ではありえない高さを跳躍し。

 自分とは思えない超人的な動きに驚いたが、それと同時に悠月は一つの確信を得た。


「理由は分からんが、倒すなら今しかない!」


 悠月はそのまま回転しながら地面へと着地し、すぐに深く腰を下ろして踏ん張ってまるで飛び跳ねるようにゴーレムへと向かっていった。

 飛んでいる最中に構えてる剣の刃が黄色く輝き始め、ゴーレムの目の前へと行った悠月はその剣を凄まじい速さで振りかぶってゴーレムの前で着地する。


「ゴガアア……ガッ?」


 ゴーレムは動こうと体を振る……のだが、動いたのは前に突き出そうとした肩だけ。

 本当に動かそうとしていただろう腕は、ゴーレム本体から離れて燃えながら地面へと落ちていった。ゴーレムの腕は悠月が斬り落としたのだ。人間とは思えない剣捌きによって。

 ついに両腕を失ってしまったゴーレムは、よろめきながら後ずさる。光る目は、まるで悠月に恐怖しているかのように輝きが薄れていく。

 動きが鈍くなったゴーレムに、悠月は険しい表情をして近づいていった。


「悪いな。俺にも何がなんだかよく分からんが……」


 そう言いながら悠月は剣を構える。同時に刃の光がとてつもない輝きを帯びる。


「とりあえず往生せいやあああああっ!!」


 悠月は目にも止まらぬ速さに剣を振るい、瞬く間にゴーレムの体がバラバラに切り刻んだ。ゴーレムはそのまま爬虫類人間の時のように黄色い炎を発火させて燃えながら崩れていった。

 すると悠月が持っている剣からは光が消え、白い光を放ちながら先ほど拾ったナイフになった。

 燃えながら消えゆくゴーレムを見ながら、悠月は構えを解いて大きく息を吐く。


「俺が化け物を倒した……のか。全く状況が分からないままだが、とりあえず危機だけは逃れたみたいだ」


 謎だらけで頭の整理が出来ていないのもあるが、とりあえずは命が助かった事を実感して悠月は安堵する。そして改めて手に持っているナイフを観察した。


 このナイフがさっきの剣に変わったなんて信じられねえな……。


 燃えゆく黄色い炎の明かりを反射し、ギラギラと輝く手元のナイフを見ながら悠月はそう思った。最初こそは畏怖の対象でしかなかったナイフだが、今はまるで筆箱のシャーペンを見ているかのような自然体で見る事ができる。


「おっと、そういえば……」


 炎もすっかり消えた後に悠月は今までの騒動ですっかり忘れていた謎の女性の事を思い出し、ナイフをポケットに入れてから女性の方へと歩いていった。

 その途中で落ちていた自分の携帯電話を回収して崩れたダンボールが散乱する棚へと行き、悠月は倒れて気絶しているらしい女性の上半身を抱き起こした。


「おい、大丈夫か? しっかりしろ」


 安否を確認しようと声を掛けるが、女性はうんともすんとも返事をしない。

 女性の顔に耳を近づけてみると息はしているので、死んでいる訳ではないようだ。しかし、万が一の事を考えると早急に病院に連れて行く必要性がある。

 仕方なしに悠月が携帯電話を取り出そうとした瞬間、急に出入り口の方から眩い光が発生した。それは悠月方面へと向かれる。

 携帯電話を取るのを止め、悠月は棚の隙間に隠れながら出入り口側を覗いた。

 すると少し先には作業服姿の男性が懐中電灯を持ちながら、辺りをキョロキョロと見渡していた。どうやら先ほどの戦闘での音が外に漏れていたようだ。

 辺りを見渡しながらも悠月の方へと着実に歩いてきており、それを見て悠月は焦りながら急いで身を隠した。


「……この状況をどうやって説明すりゃいいんだ?」


 ご丁寧にあのゴーレムが燃えていた場所はまるで最初から何もなかったかのように炎は消えているが、これが逆に今の悠月をピンチへと追い込む材料にもなった。

 今現在の悠月の状況を見た人はどのような印象を受けるのだろうか? もしかしなくとも悠月がか弱い女性を倉庫に連れ込んだように見えるだろう。そうなれば完全に警察のお世話にならなくてはいけなくなる。

 どうすれば良いのか悠月が慌てて考えている間にも、作業服姿の男性は着々と近づいてきている。絶対絶命の危機、第二弾だ。


 追い込まれた悠月は形振り構わずに女性の体を持って自分の背中に乗せ、そのまま背負いながら立ちあがってその場からこっそりと逃げだした。

 当然向かう先は男がやってきた出入り口。真正面から向かう訳には行かず、大きく回り道をして見つからないように出入り口へと向かった。

 そして必死に逃げた末に見つからずに倉庫を脱出する事に成功。悠月は誰かに見つからない事を祈りつつ、今度は倉庫地帯から出る為に再び走り出す。


 チキショー、このヤバイ状況でもしっかりと柔らかい感触を感じる自分が悔しい……。


 背中に当たるこの世のモノとは思えない膨らみの感触に耐えつつ、悠月は命掛けで走っていく。この状況はある意味『天国と地獄』なのだろう。すでにどんな感情でいればいいのか分からず、悠月の頭の中は混乱する一方だった。

 そんな複雑な心境と戦いながら、悠月は奇跡的に厄介な事が発生せずに倉庫地帯を脱出した。その後、そこから少し離れた所にある小さな公園へと入っていった。


「ふう、周りに人は居ないみたいだ。なんだか本当に犯罪をやってる気分だな……」


 悠月は何とも言えない罪悪感に浸りつつ、公園のベンチにとりあえず女性を寝かせようとそちらへと歩いていく。


「ん……。あたし………」


 そんな最中に背負っていた女性が目を覚まし、ゆっくりと顔を上げて虚ろな目をしながら辺りをキョロキョロと見渡し始めた。


「……やっと起きたか」

「あんたはさっきの……って。あれっ?」


 そこでようやく自分が背負われている事に女性は気付き、しばし呆然とした顔となる。しかし何秒か呆然とした後に唐突に顔を真っ赤にし、すぐに暴れだした。


「どどど、どうして、あんたに背負われてるのよっ!? この痴漢、変態っ!!」

「うわ、ちょ……!? わかったわかったからよ!」

「はなし……きゃあっ!?」


 いきなりの展開に戸惑った悠月は手を急に離してしまい、さすがにそんなに急だとは思っていなかったのか女性はしっかりと地面に着地できす、千鳥足でよろめきながら尻餅をついてしまった。


「す、すまん。急に暴れ……」


 さすがに悪いと思って謝ろうと振り返ったのだが、当の悠月は中途半端に言葉を切って固まってしまった。その祐二の視線がこけて盛大に捲くれ上がったスカートに向かっているのに気付いて少女はさらに顔を赤くする。


「ちょ、ちょっとっ!? ど、どこ見てんのよっ!!」

「おわっ!?」


 怒りを露わにした表情で女性が立ち上がり、すぐさま悠月に殴りかかった。だが、悠月はひょいと身を引いてそのパンチを回避する。


「避けるな、変態っ!」

「見えたのは不可抗力だっての!」

「そういう事を言えば許されると思ってるわけっ!?」

「いやいや、悪かったって。落としたのも見ちまったのも」

「もっと心から………。はあ……もういいわ」


 女性は深く溜息をつきながら不機嫌な表情はそのままに、身を翻して公園の出口の方へとスタスタと歩いていってしまった。


「おい、まだ聞きたい事が……」

「うるさい」

「あの倉庫での事でよ……」

「うるさい」

「……お前、名前は?」

「うるさい」

「………」


 何も受け付けませんというオーラをあからさまに放たれ、諦めた悠月はただ女性が去るのを見送った。先ほどの化け物に関して聞きたい事は山ほどあったのだが疲労と有無も言わさぬ態度で聞きそびれてしまった。

 悠月はそのままそこで立ち尽くしており、女性が去ってしばらくしてから一回だけその場でジャンプした。三十センチも飛べていない普通のジャンプだった。


「……今までのは夢だ。きっと最初から俺はこの公園で寝てて、今は寝ぼけて立っているだけだろう。もう俺はそれで良いと思う」


 そんな事を言いながら、悠月は家へと帰る為に公園を後にした。あの倉庫での事は確かに気になる。しかし、悠月の中には今になって少し恐怖心が芽生え初めてきた。

 いくら今回の事件が奇々怪々で興味を引く出来事だったとしても、それに下手に首を突っ込むのは命知らずの行為だと悠月は考えた。

 倉庫から必死の思いで女性を外へと連れて行ったのに、結果として罵倒されただけだ。しかも名を名乗らず礼も言わずに去るという礼儀知らずっぷり。正直に言うと腹が立つ事この上ないのだが、あの女性とは無関係の方が平和な気がした。悠月はそちらを選択した。


 最初からそんな女性にも会わなかったし、倉庫にも行かなかった。自分は疲れが溜まって、いつの間にか公園で寝てしまった。悠月はそうやって無理矢理に自分を納得させた。

 だがさすがにあんなインパクト大な事が頭から離れる訳もなく、悶々とした気持ちで自宅へと辿り着いてしまう。

 腕時計を見て現在が八時過ぎである事を確認し、小さく溜息をつきながら悠月は扉を開けて家の中へと入っていった。


「あ、お兄ちゃん。お帰り、遅かったね」

「おう……」


 玄関先に居た風呂上りであろうこよりとそんな会話をしながら、悠月は靴を脱いで中へと上がった。


「……どうしたの? ボケっとしちゃって」

「いや、なんでもない。今日はもう寝るから飯はいらねえってお袋に言っといてくれ」


 悠月はそれだけを言い、さっさと階段を上がっていってしまった。こよりが何やら心配そうな表情をしていたが、悠月はあえて見て見ぬフリをした。

 自分の部屋へと入って蛍光灯のスイッチを入れ、悠月は学ランの上着を脱ぎ捨ててそのまま倒れるようにベッドへと身を投げた。そしてゴロンと仰向けに寝転がりながら深い溜息をつき、ゆっくりと目を閉じる。


 ……疲れた。とんでもない事件に巻き込まれちまったぜ。いや、アレは夢って事にするんだっけ。


 そんな事を考えていると、何分もしない内に悠月の意識は本当の夢の中へと溶け込んでいった……。


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