6 温泉街、最北ニューグランドホテルへ。
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温泉街に着いた。
別にこれといってぱっとしない、どこにでもあるような温泉街のようだった。
谷間にうねる細い道をはさんで、ぽつぽつと、木造や鉄筋コンクリートの建物が並ぶ。道にそって川が流れていて、湯煙があちこちに立ち上っている。川には時々、橋がかかっていたりするが、これといって風情もない。工夫もない。個性がない・・・というか、不況で客足が途絶え、廃墟になる一歩手前の温泉街にみえた。
もう少しましな、もっと思い切りひなびているとか、秘湯だとか、極上の古い日本とかを感じさせる文化財みたいな温泉家屋建築とか、なんか、もっとましなものがあればいいのに。
「どこがいいかな?どの宿が?」
老人が乗客に望みの旅館をきいてまわった。いくつかの旅館の名前をあげて、いろいろ講釈していたが、課長には、てんで耳に入らなかった。
それよりも、あの、赤い着物の少女のことが気になった。ひょっとして、死んでしまったのじゃなかろうか。
「最北ニューグランドホテル」という旅館で、課長以外の乗客はみんな降りた。
「やっぱりなあ」
老人は満足そうに、にたにた笑って客たちを見送った。
「だんなも、ここがいいんだろ。降りろ。気取ってないで」
「ここ、いいホテルですか?」
「ですよ。もちろん。昔からある老舗だで。あんたも、昔、来たんじゃないの?」
そういわれてみると、見覚えがあるような気もした。
それは、およそ「ニューグランドホテル」という、横浜のクラシックホテルと同じ名前からは程遠い建物だった。
倒壊しそうな木造建築の本館、斜めに近接して、古ぼけた、高度経済成長期末期に建てられたと思しきコンクリートの4階建てが川に面して、地震でもきたら一発で滑り落ちそうな危ういバランスでたっている。
すこし傾いているかもしれない。きっとこれが新館だろう。
その建物の背後には、すすけたアスベストを連想させる壁面の、これまたコンクリートの、おそらく、「西館」か「東館」がある。
その館は、頭に日本風の切妻屋根をかぶっている。
屋根の後ろから、湯煙がたちのぼっていたが、火災だといわれたら、信じてしまいそうな、獰猛な煙・・・。煙の後ろには、まだ、知られざる建物が隠されているかに見えた。
「はあー・・・」
見ればみるほど、複雑で乱雑で、「老朽」と「昔のおニュー」とが、せわしなく渡り廊下でつながれたという印象の、これは・・・。という感じで、課長はうなった
。
「すごい建築ですな。宿泊代はいくらです」
「高くないよ。普通だよ。2万くらいだよ。でも、お気に入りのお遊び代は別だけどな」
「お遊び?というと?」
「研究だよ。まめの研究だ。あんた、昔、やってたって、いったべ!」
老人は、下品な声で、かかか、と、また笑った。
それには答えず、課長はきいた。
「この子、大丈夫ですか?病院につれていったほうがいいんじゃないですか?」
「ハア?」
老人は気分を害されたような声をあげた。
「この子って、このガキだかね」
「ええ」
「気になるか」
「はい」
「とっても気になるか」
「とっても?はい、まあ、気になるっていうか・・・」
すると、会話をきいていた運転手の若い女性が、素っ頓狂な声をあげた。
「そりゃあロリータだぞ、ろりーた!」
「ロリータ?」
老人が若い女に聞きかえした。
「このおっさん、ロリータが趣味だぞ、ろりーた!」
「ロリータってなんだあ?」
老人がきくと、女は答える。
「子供のまめが好きなオヤジだ」
「フ―ン・・・」
老人は感心していた。
「そうかね。じゃああんた、やっぱりここに泊まるといいだ。こどものマメもいるだ」
何いってるんだ。課長はバカバカしくなった。しかし老人はしつこく説得した。
「なに白けた顔してるだね。このガキはな、ここのガキだで」
「ここの?」
課長は思わず聞き返した。老人はまたニヤリと笑う。
「ここに泊まれば、このガキとも遊べるだ」
「・・・」
課長は言葉につまった。勘違いもはなはだしい。
「まだ迷ってるだかね。ここの従業員だ。このガキは。希望すれば遊べるだよ。ええい、じれってえなあ。大丈夫だ、ここに医者も来るだよ。世話になってる医者がいるだ。おめえ、お遊びがありゃあ、衛生管理も必要だあね。そことこはしっかりしてるだ、安全だって。心配すんな」
「私は、お遊びしたいのじゃないよ」
課長は憤然として答えた。
「なにをまだ気取ってんだ」
老人は首を横に振った。続けていう。
「おんなばかりじゃねえ、まず、料理だって、温泉だって、てえしたもんだ。うん、そうだ、おんなより、てえしたもんだって。うん、そんだ、そんだ。なあ、おめえ!」
老人は運転席の女に同意を求めた。若い女は、運転席から半身を乗り出して、面倒くさそうに課長にいった。
「泊まれ。おっさん。ここ泊まれ。泊まらねえと、うちの父ちゃんが、ひどく辛えだよ」
「父ちゃんっていうのは・・・?」
課長は若い女にきいた。
「このじじいだ」
女は老人を指さした。
やっぱり。この若い女は、老人の娘だったのだ。
「親子だったんですね。あの。つかぬことをうかがいますが、おとうさんは、食堂を経営なさってたんじゃないんですか。あなたは、小学生のころ、食堂で、ときどきお手伝いなんかをしてたんじゃないですか」
娘は、怪訝な顔でこたえた。
「そうだ。あんたあ、なんで知ってるだ。変なロリータのオヤジだな」
「人違いかもしれませんが、私、20年も前に、食堂の二階に下宿して、農業試験場で仕事してたんですよ。その食堂のご主人と娘さんに、あなたがたが、よく似てるんですよ」
「へえ・・・」
娘は、不意をつかれたような表情で、課長を見つめた。娘のかわりに老人が答えた。
「じゃあ、あんた、俺んちの二階にいたかね。覚えてねえけどなあ。いろいろいたからね、店子は。まったく覚えてねえなあ。でも、だったらこれは縁だ。思い出すから、ここに泊まれ」
娘がたたみかけるようにいった。
「そうだ、泊まれ。農業試験場なら、ここにあっただよ。このすぐ近くに。ますます、泊まらんとだめだぞ!」
これには老人が疑問を呈した。
「試験場がここに?うそつけ。おめえ、でたらめはだめだぞ」
「でたらめじゃねえ!ここにあっただよ。山形県農業試験場最北支場、だ。あっただ」
「おめえ、よく、すらすら名前がでたな。よく覚えてたな。でも、ここにあったか?なかったべえ!こんな山ん中に、あるはずねえ!」
「あっただ!」・・・。
親子喧嘩がはじまった。果てしなく続きそうな親子喧嘩だった。課長は面倒くさくなったし、この宿に興味も覚えた。そして赤い着物の少女を、医者にみせてあげるのが先決だとも思った。課長は、喧嘩する二人にむかって、きっぱりと言い放った。
「わかった!泊まります!泊まります!泊まりたくてしょうがなくなった!」
・・・つづく




