5 バスに乗って・・・
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丸顔の老人は課長を駅前に停車していたマイクロバスに案内した。運転席には若い女。心なしか老人に似ていた。あの娘か?かわいげなかったあの娘か?
乗り込むと、客が3人、すでに乗り込んでいる。みんな、若い男の一人旅らしかった。
「さていくか。今回は、こんなもんだ」
運転席の若い女は、うなずづくかわりに、いきなりバスをスタートさせた。
課長は席につく刹那だったので、発車の衝撃で、体のバランスを崩し、あやうく転びそうになった。
「うあ!」
「しっかりしな!!」
たしなめる老人の席の後ろの席にしりもちをつくようにして、どすん、と座った。
無事に席につくと見るや、老人が話しかけてきた。客の中では一番、年かさに見える課長が、一番、話しかけやすかったのか。
「あんた、この町は初めてか?」
「いえ」
「前に来たか」
「来たと思います」
「思います?たよりねえな」
「・・・おたく、もしかして、昔、お会いしませんでしたか」
「はあ?」
老人は席から身を乗り出し、振り返って課長を見た。
「あんた、さっきも駅の婆に向かってそんなこといってたな。そういうのクセかね。変なだんなだな」
「・・・」
無言の課長を老人はまじまじ眺めた。
「さあなあ。わかんねえ。そのうち思い出すべかなあ。わかんねえ」
「でしょうな。そんなはずないですな」
「何いってるだね、あんた」
老人は顔をくしゃくしゃさせて笑った。
課長は話題を変えた。
「このバスはどこへ行くんですか」
「銀河温泉」
「そんな温泉あったんですか」
「あったよ。あんた、昔、来たんじゃないの?」
「この町にあった農業試験場にいたことがあるんです。近くの食堂の2階に下宿してました。下宿の仲間と、何度か温泉にいったことがありますよ。この近くには、たくさん温泉がありましたねえ。でも、名前は覚えてない。たよりない話だが。ああ、そうだ銀山温泉というのはあったな。でもそこには泊まらなかった。そばまで車で行って、フィリピン人のダンスショーの看板があるのを見て、へえ、こんなところまで、フィリピンのお姉さんたちが、働きにきてるのかと、みんなで関心しました」
「見なかったの、その、フリピンショー」
「みなかった」
「なんだあ。つーまんねえなあ」
「すみません」
「あやまるこたあ、ねえ」
「で、なんという宿に行くんです」
「いろいろあるよ。このバスは温泉街の共同送迎バスだ。いろいろあって、お楽しみだ。あんたのお気に入りも、きっといるだ」
老人は小指をたてて、にやにや笑った。
「別に温泉旅行にきたんじゃないんだけど」
「だろうけどな」
老人は目と口をへの字にして課長の身なりを見た。
課長はコンビニに焼酎とライムを買いに出た姿なのだ。
ブルーの半そでシャツに白いチノパン。・・・でもいい年の男だから、財布くらいは持ってるだろう。でも中身は少ないか。でも一晩泊まるくらいの持ち合わせはあるか・・・
老人は前を向き、席に身を沈めた。前を見ながら課長に話しかけた。
「あんた、ふしあわせだかね」
「いいえ別に」
「うんにゃ、不遇だろ」
「そんな・・・」
「そうだべ。そんな身なりで、朝一番の電車で新庄さ来て、きっとあんた、蒸発人間だあね」
「・・・」
課長が沈黙すると、老人は急に、かかか、と下品に笑った。
「でも、安心すべし、安心すべし。ここは、おもしろいべ。そんで、今夜は、もっとおもしれえぞ。不遇は消えれ。消えるぞ。芸者もいるんだ。それ、宇宙からきた芸者だぞ!宇宙いちのええ女が、お出迎えだってさ。フリピンよりも、おもしれえぞ。カラオケもあるだ。酒もあるだ、うまい飯もあるだ。もちろん、温泉も、お星様もきれいだ。なんせ、銀河温泉だからな!」
・・・銀河温泉?
そんな温泉、聞いたこともない。銀河鉄道ならまだしもだ。北海道の洞爺温泉が、火山爆発の後の客よせに、「宇宙一のお風呂」という宣伝コピーをテレビで流していたのを思い出した。あれに匹敵する迷コピーか?どんな温泉か、だいたい、想像がつくんではないのか?
・・・宇宙からきた芸者?
何だそれは。タコやイカ型の古典的宇宙人の格好をしたおばさんが、「きれいなオべべ」を着て出てきて、盆踊りでも踊るのか?酒といったって、この辺に有名なうまい酒があったか?この先の山奥に、どんな「ご馳走」があるというのだ・・・。
課長は、ぶつぶつ考えた。
バスはサスペンションがえらく悪く、走行の振動が尾てい骨に響き、痛いくらいだった。山道にさしかかると、その痛い振動は、課長の尻と腰に、さらに痛く響いた。
乗り合わせた他の客たちの顔を見ても、一様に、仏頂面で、楽しい旅行、という雰囲気ではなかった。
苦行に耐えるようにして、バス旅行する若者たち。
何を考えているのだろう?やはり、ひそかに売春か何か行われている温泉街へでも行くのだろうか。だからこんな苦行に耐えてでも、この青年たちはバスに乗り続けているのか?
突然、急ブレーキがかかった。乗客はつんのめり、前の席の背中に額をぶつけた。
「何だあ!!」
運転席の若い女が怒鳴った。つづけて、
「農家のくせにい!!」
と、どすのきいた声で唸った。
・・・あ!聞いたことがある、このセリフ。課長がいた食堂で、あの娘がおんなじ言葉で唸ったのを思い出した。若い女がまた叫ぶ。
「気をつけろ!」
誰かが、山道の脇から、急にバスの前に飛び出したものらしい。
うわあああああ!
バスの前から悲鳴が聞こえた。
驚いて、老人が立ち上がり、バスの外に飛び出た。課長やほかの客も、野次馬となって、運転席のそばに歩み寄った。
あああああああああ!
激しい悲鳴だった。バスの前に、ちいさな赤い着物姿の女の子がうずくまっていた。
小学生低学年くらいだろうか。ちいさな女の子だった。
髪はふさふさした、真っ黒のおかっぱだった。
老人が彼女の近くにしゃがみこんで、様子を覗き込んでいた。
道の両サイドはうっそうとした草むらで覆われていた。草むらから、狸かなにかのようにして、飛んで出てきたらしい。
・・・しょうがねえな!しょうがねえべし!!
怒り心頭に発した老人の声が窓ガラスごしに遠く聞こえる。赤い着物の少女は、しばらく断続的に悲鳴をあげたが、やがて呻き声にかわり、そして静かになってしまった。
人形でも抱きかかえるようにして、老人は赤い着物の少女を持ち上げ、車の中へと運びこんだ。
「どうしたんですか!」
課長がたずねた。
「事故じゃねえべ。事故じゃねえぞ!」
老人はいいながら、課長には目もくれず、少女を運転席の脇の助手席に置いた。まさに、人形でも置くようにして、置いた。
少女の顔は真っ黒な髪に覆われて、目も鼻も口も、まったく何もみえない。そして少女は、ぴくりとも動かない。
「いけ!」
老人は運転席の若い女に命令した。
バスはまた、がくん、と激しく飛び上がるように、しゃっくりでもするようにして発車した。課長は、さっきと同じように、その振動につんのめり、転びそうになった。
バスは勢いよく山道を走った。
・・・つづく