4 やまがた新庄にやってきた
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課長は目を細く開けた。
ここはどこだ?ひょっとして、あの過去の農業試験場に飛んでいったか?
まだあの列車の中らしい。列車は停止していた。あたりは明るかった。まぶしい。一気に目を開けたら、まぶしくて目が痛くなる。課長はゆっくり、そうっと目を開けてみた。
あたりは、真っ白な昼間の光につつまれていた。
くだんの列車の中ではあったが、車内には誰もいなかった。がらあんとしていた。運転席にも誰もいない。
列車のドアは開いていた。向こうにはホーム。ここはどこかの駅だった。それもかなり大きい。予想したよりも、はるかに大きい駅。ホームの向こうには、またホームがあって、近代的な流線型の特急列車が停車している。
・・・つばさ号だ。
課長はつぶやいた。ホームの駅名の看板を探した。
「新庄」
そうだ。やっぱり。ここはヤマガタ・新庄市。
昔、この駅を旅立つとき、下宿にいたみんなが、見送りに来てくれた。宮田さん、富樫さん、風車の矢七さんの3人。課長の乗った列車が動き出したのを追って、手をふり、叫びながら、走って追いかけてきて、別れを惜しみ、また手をふった。
ちょっと信じがたい光景だった。後にも先にも、あんな光景にはめぐり合えないだろう。
なんとかのドラマに出てきそうな光景。登場人物は、若い「野郎」しかいなかったが。
彼らと過ごしたのは、たった3か月かそこらだったろう。だのにあんなに親友になってくれたのが、とても信じられないことだった。
課長は、前から、うすうす、知っていたのだ。
あの夏、あの人たちが登場してくれて、課長は生かされて、その後の人生を切り開けたのだ。
課長の胸は高鳴り、しめつけられるような、感動の入り口にきたような、本当にひさしぶりな気持ちになった。どういったらいいだろうか、この気持ち?
「やっぱり、ここに来たんだ」
しみじみつぶやく。
しかし、あの、記憶の駅は、今、目の前にある駅に比べたら、よほど小さな駅だった。新庄が、新幹線のターミナル駅になったことは知っていたのだが、やはり新幹線が来ると、こんなに立派になっちゃうのか。
駅のホームは、全体に屋根の中にあった。課長が知ってる昔のこの駅は、ホームなんて野ざらしだった。手を振りながら走ってきた彼らのバックには、すこし曇ってはいたけれど、目にしみるように青い大きな空が、屋根なんかにさえぎられることもなく、果てしなく、果てしなく、広がっていたなあ。
「しかし、おかしいよなあ」
課長は列車から降りようと立ち上がりながら、一人でつぶやいた。
「うちの社宅のそばの駅から、この新庄まで、電車は、一本道で、つながってたかなあ?」
クビをかしげつつも、清算を済ませ、改札口を通り出る。
「それに、朝だ。そんなに長い時間、電車に乗って、眠りこけてたわけだろうか?」
駅は新しい、キレイな建物になっていた。
天井が高く、あちこちが大きなガラス張りで、朝の光がさんさんと降り注いでいた。小奇麗なカフェテリア、売店、観光物産コーナー、など。「都会的」だった。
しかし、広場では、地元の農産物の直売などもやっていて、農家のおばさんたちが、しっかり、農家のおばさん的コスチューム(もんぺみたいなパンツ、あねさんかぶりみたいなハットなど)で、各売り場に、笑顔で座っていた。
そこで、やはり、課長は、あれをさがした。ダイズ・・・。
「あった」
やはり、あった。「だだちゃ豆」というカードがついていた。
「オクシロメ・・・。そうだ、オクシロメ、だ」
農家のおばさんが、笑顔で課長を見上げた。課長は笑い返した。
「おくしろめって何?」
質問の声が、そのおばさんから課長によせられた。
「品種の名前ですよ。その品種を使って、研究していたんです」
「研究かい」
「はい」
「まめの研究だね」
「はい。だいずまめの研究です」
「研究していたのは、それだけかね?」
「ええ」
「そうかね?」
課長は、おばさんの顔を見つめた。おばさんは、ただ笑っていた。
「研究していたのは、だいずです・・・」
課長は、はっとした。そしてたずねた。
「おばさん。あなた、あのおばさんですか?」
「ええ?」
・・・あの昔。下宿を出て駅に向かって歩き始めたところで、軽トラックとでくわした。それを運転していた若い女性。研究の滞在を終えて、これから帰るのだ、と告げたら、「またこいよ!」と、手を振って、大きな声でエールを送ってくれた農村女性。試験場に農作業手伝いにきていた女性。
「あの、軽トラの、あの女性・・・」
おばさんは、首をかしげた。そして笑った。
「誰だなあ、あんた?どこかで、会ったって。いやだよ、こんなおばさんつかまえて」
何か勘違いしたのか、ゲラゲラ笑った。
その笑いは、周囲のおばさんたちにも伝染して、あちこちから笑い声が聞こえた。
どうも変な具合になった。
失礼、といって、課長は、そこを立ち去った。数歩歩くと、「にいさんや」と、ひとつ向こうの売り場から、課長に声がかかった。
「探してんだべ?」
声をかけたのは、丸顔の、背の低い老人だった。
課長は振り向いた。そしてまた、はっとした。
・・・また。これは、あの、下宿の1階の食堂のおやじじゃないか?
課長は頭をかかえた。
いや、そんなに都合よく、過去の人物が登場してくるもんじゃない。課長はかぶりを振った。
「どうしたあ?」
老人は近づいてきて、課長を見上げた。どこかの旅館の半纏を着ていた。
「探してんだべよ?」
「ウーン」
課長は煮え切らない声をだした。
「どうしたんだあ?」
ちょっと語気を強めて、老人は課長をにらんだ。
似ている。やっぱり似ている。あの食堂。毎朝、毎晩、食事した、あの食堂のおやじ。奥さんと二人で切り盛りしていた。たしか小学生の娘と息子がいて、彼女と彼は、いつも、食堂の中をうろうろしてた。あんまりかわいげのない子供だったな。
「いくのか、いかねえのか?」
老人はたたみかけるように聞いてくる。
・・・いく?どこへ?話が飛躍したな。
「あんまり大きい声じゃいえないけんど、あんたのお気に入りみたいのは、たんといるからの。朝っぱらから。あんまりいえないけんどな。いるから。お気に入り。行くべし。行くべし」
「行くって、宿ですか」
「決まっておらんのだろ、宿は」
「ええ。別に泊まる予定もないものですから」
「泊まればいい。泊まれ。泊まれ」
課長はまた、はっとした。そうだ。今日は平日じゃないか。会社へ年休の電話をしなくてはいけない。すっかり忘れてた。思わず声をあげた。
「そうだ、連絡しなくちゃ。会社に」
「連絡?休みの連絡か。いいよ。ほれ、これで連絡しろ」
老人は課長にケータイを差し出した。
食堂のおやじも、こんなもの使ってるのか・・・。
やや感慨に浸り、ケータイを借りて会社に連絡した。あっさり年休が認められた。予想したとおり、今日は休んでも大丈夫な日だ。
「どうも」
課長はケータイを老人に返した。
「さあ。これできまりだ。うちの宿へ来い」
老人は自信にあふれていった。
「はい」
課長は思わずうなずいた。
つづく
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