六月の花嫁
モーツァルトのシンフォニーを『哀しみの疾走するがごとく』と譬えたのは小林秀雄だった。それが『第四十番』だけを指して云ったのか、そのすべてをか、ぼくの記憶は曖昧だ。いずれにしても、チャイコフスキーの『悲愴』がしばらくぼくの耳に張りついていたころのことで、含蓄のある氏のことばの意味をしばらく掴むことができずにいた。
所詮、学生時代のぼくにとって、モーツアルトはいつもぼくの頭上を素通りしていく応用数学のようなものだったのだ。その鋭い氏の一矢が、どのようなはずみで彼のこころから引き出されたのかを知るには、いま少しの時間が必要だった。
単位ギリギリで学業を終えたぼくは、ある機械メーカーで働くことになった。
「君はどんなところで仕事をしたいかね」と社長に問われて、いまだ左も右も皆目見当がつかないのに「できましたら、是非とも営業部で・・・」。
ぼくは、なんと民主的な会社だろうと、武者震をしながら即座にそう答えた。
「う-ん?」社長は、まるで息子に問い直すように、禿げはじめたばかりの額を傾げてぼくの目を覗き込んだ。
ぼくは一瞬、気後れしながら空かさず言った。
「机にしばりつけられるより、動き回るほうが自分の性に合っていますから。それに・・・」。
「それに、なんだね?」。
社長の目が、艶光りするその額以上に輝いたような気がした。
ぼくはもうしどろもどろになって、ヘビの射程に入ったカエルのようにつぎの句が継げずに硬直してしまった。青年らしい生き生きしたところを今から売り込んでおけば、きっと後々おメガネに適うと計算していたのだ。しかし、初っ鼻から機転に欠けるところをさらけ出してしまったんだと思うと、ぼくの頭の芯が立ちどころに火事後の赤茶けた風景に取って変わるのを覚えた。
『ボンド・・・、ジェームズ・ボンド』のように黒いアタッシュケースを引っ提げて、社の密命を帯びたぼくは、あてがわれたわが専用車で颯爽と事務所を出る。それに、一歩事務所を出てしまえばもうぼくのペースだ。何にも増して営業部は花形だ。もちろん、女子社員からも注目の的であるはずだった。お互い何も知らない同級生たちと卒業前に申し合わせていたことを、咄嗟に想い出していたのだ。
ところが、初出勤からかぞえて三日目の朝のことだった。
ボーッと突っ立ってるぼくをめがけて「ちょっとアンタ、今日から営業部出荷係!」と辞令書もなしに、痩せぎすの年増の事務員からいきなり甲高い声で伝えられた。
まったくのところ、ひどく拍子抜けしたものだ。
かりに、名刺に「出荷係」と刷られたところで、みっともなくて到底相手に配る気も起こらないではないか。いや、真面目にそう思った。
なんとも見栄えのしない肩書きをいただいて、やがて”007”は選りにも選って、三人の行かず後家の真正面に座らされることになったのである。
業界では大手と言われていても、資本規模の小さな同族会社だった。
この年の新入社員は四人だ。営業部に配属されたものは、ぼく一人だった。
ライバルはいない。『是好日』と、気楽な初陣を張れるはずだった。
ある日、行かず後家のなかでも、いちばん年若いササ孃が入れてくれた煎茶を呑気にススっていると、いきなりぼくの後頭部から「アンタ、なにしてんの!」と年増の一人が浴びせてきた。けたたましいその一声に、ぼくは反射的に飛び上がった。
「お茶なんか飲んでる時間じゃないでしょう。掃除よ、ソ・ウ・ジ!」と古池に住み着いたカメのような首筋を伸ばしてぼくを威嚇してきたのは、上からかぞえて二番目の行かず後家のタケ孃である。
「ちょっとササちゃん、わざわざお茶なんか入れんでもええのよ。自分で勝手に入れさしヨシ!」。
今度は一番年増のツキ嬢もひどい剣幕だ。向こうの厨房に隠れていたササ孃のクスクス嗤う声が聞こえていた。
ところで、タケ孃の予想だにしない叫び声にいきなり直立したものだから、ぼくは自分の机の引き出しでしこたま下腹を打ちつけた。その拍子に電話の受話器が吹っ飛んで湯飲みが倒れた。忽ちに、机の上がお茶浸しになって、湯気がもうもうと立ち昇っていくのである。
木床に油を引いた粗末な事務所だった。
茶ガラを撒いて先輩たちが出勤する前に掃き清めておかねばならい。
”007”は、車の変わりに、ちり取りと箒をあてがわれることになったのである。
これは、ぼくにとって予期せぬスジ書きであった。そればかりか、世間知らずの失態が追い打ちをかけてくるにつれ、一週間もしないうちに、ぼくの眉間から「好日」の掛け軸は日を追うごとに、チビリチビリと引き裂かれていった。
手際のよいツキ孃から荷造りの特訓を受けてもなかなかさまにならない時は、その古池の主から事務所中に響く辛辣な言葉で罵しられる始末だった。
「はやく日当に追いつかないとね、日が暮れますよ。アナタ!」。
ツキ嬢の舌先から出るそれは、まるでカミソリの刃にも勝る鋭い痛みが残った。
日ごとに萎縮していったぼくは、電話の取り次ぎにも脂汗をかかねばならなかった。
せいぜいが、悪友たちと交わすぐらいのマナーよりほかに持ち合わせのないこのぼくのことだ。心にもない社用語など、いきなり滑らかにこなせるわけがないと、アタマから納得していた。しばらくは机の上でけたたましく叫ぶ呼び鈴に、ピクピクする日がつづいた。
「早う取りよしな!」と後家どもにせっつかれ、すでにタイミングもはるかにずれてしまって「えーっと」と立ち往生するばかりだった。
「きのうあなたに言ったわね。『毎度ありがとうございます、H機械株式会社です』。早う取って、早ウ言イヨシナ!」
知恵おくれの子ではないんだ。前から、そして後ろからもこれほどまでに煽られると、簡単にできることでも、ブラックホールに吸い込まれて途方に暮れてしまうようになるものだ。
とどのつまりは、出だしでつまづいたが最後、受話器を握ったまま棒立ちになっているぼくを見かねて、二番目の行かず後家のタケ嬢が、ぼくの手から受話器を取り上げた。
「アッ、どうもどうも、大変お待たせいたしました。ハイ、毎度ありがとうご座います。ご用件のほどは?」
しばらく間を置いて、「はい、ございます」。
まったく手慣れたものだ。あとはおマカセだ。
食事休憩になると、食堂の控え室にあつまっていた女どもがキャーキャーと騒いでいる。
たぶん、このぼくをエサに笑っているのだろうと思った。
まだ冬のコートが離せない初春の造り酒屋にあっては、酒搾りの真っ只中だ。
ちょうど屋形船をひと回り小さくした『フネ』と呼ばれるヒノキ造りの槽に、百トンもあろうかと思われる、分厚い油圧式の鉄板が降りて搾られる。知っての通り、ぼくたちが街の市場で目にする酒粕がその時の産物だ。子供が一人、すっぽり入ってしまいそうな厚手の袋の中に、モロミがどっさりまじった濁酒のような液体がドドドッと流し込まれる。
はち切れんばかりにデップリと膨らんだそれらは、次から次と規則正しくフネの中に積み上げられていく。その作業が終わると、いよいよ鉄板が音もなく静かに降りてくるのである。
もし仮に、盗み酒でもやらかしてその圧搾機の中で昼寝でもしようものなら、どんなメタヴォリックの太っちょでも間違いなく骨もろとも酒カスになる。
この作業は、酒造りの工程の中でも気の許すことのできない作業の一つだ。
それだけに、稼働中に故障でもすれば待ったなしの電話がかかってくるのである。
ある日、その電話が事務所中に鳴り響いた。
「ちょっと、アンタ、山本酒造にこのボルト届けてんか!」。
年長をほしいままに居座るこの事務所の二番目の主、タケ嬢から命令が下った。
彼女たちの目の前に毎日置き去りにされていてはぼくの息が詰まる。
いやまったく、呼吸困難をきたすくらいだ。
願ってもないことと、メモ書きの地図を口にくわえたぼくは、喜び勇んで自転車に飛び乗った。
”走れ、メロスよ!”だ。
ちょっと待て、荷物は?。
自転車のハンドルをクルッと返して振り返ると、いちばん下のササ嬢が金切り声を上げてぼくを追っかけてくるではないか。
「ニモツ。これ、荷物よ!」
ササ嬢は、細い肩とあるか無しかの薄っぺらい乳房を揺らし、息を切らして走って来たから、後のことばがすぐに出てこない。
「伝票も忘れてるやんか、アホ!」。
やっとのことでそれだけのことばを吐き出した彼女の目を覗き込むと、ぼくにはほんの少しだけ緩んだように見えた。
伏見はその昔から酒造りのメッカだ。
古色蒼然とした門構えをいまだに遺しているところがあるから、しばしば時代劇のロケーションに使われることもある。
一度は明治時代の設定で、夜中に石原裕次郎のロケ隊がやってきた。
その時はどこからそんな情報が入ってきたのか、三日も前からたいへんな騒ぎになった。
もちろん、わが事務所の“後家ども”のアタマも顔も紅潮しっ放しだ。
当日には、ある通りの酒屋の蔵が建ち並ぶ数百メートルはその入り口からすでに綱が張り巡らされて、歩行者どころか、犬や猫も立ち入り禁止になった。
闇夜の向こうから恐ろしいほど強烈なサーチライトが点くと、ハンドマイクが叫んだ。
「ハアーイ、行こう。スタート!」。
高下駄を履いた明治時代のバンカラ学生の裕次郎がゆっくりと歩いてくるシーンだ。
ぼくは立ち入り禁止の綱の中に人熱れの群衆といっしょに隔離されたようになっていたので、彼の顔がつぶさに見えなかった。なるほど、もともと背の高い国民的大スターには違いない。その彼に高下駄を履かせていたから、なおのこと、ぼくの目にはこの世の者とは思えなかった。
「もう一度いきたいんだが、いいかな!」。
メガホンを口に当てた助監督の声が、照明に光る銀板の向こうから響いた。
わずかそれだけのワンカットに、どれだけの時間を掛けていたか。
さきほど『自分が隔離されていた』と言ったが、ぼくなんかにはとても手が届かない世界があるんだという、どうしようもない淋しさを覚えたのだ。
彼らの晴れがましい世界が本物で、ぼくがいま舐めている生活は、虫ケラにも届かない虚空の領域にぶらさがっている、とでも思っていたのだろうか。
荘厳な造り酒屋の門をくぐると、丸髷を結った娘がまだそこにいそうな、檜造りの古めかしい事務所がある。
受付の女の子に指差された方角に目をやると、薄暗い蔵の入り口に数人の蔵人が立って「早く来い。こっちだ、こっち!」と叫びながら、必死の形相で手招きをしている。
ぼくは、甘ったるい麹の香りが漂う蔵の中へ走っていった。
部品の到着を心待ちにしていた様子だ。
蔵人たちが「きた、来たぞ!」と、声を合わせて半分小躍りしながらぼくを迎えてくれた。
行かず後家たちが牛耳るあの事務所から一歩出れば、僕にとってはそこはどこでもオアシスになるに違いないと思っていたのが本当にそうなった。
「ボウズ、一杯呑んでいけ」ということになったのだ。
「いやあ、仕事中に、いいのかなあ」。
そう言いながら、すでにぼくの手は一人の蔵人が差し出す蛇の目のぐい飲みをつかんでいた。三口ほどで飲み干すと「もう一ついけ、そんなに早く帰ることもなかろう」とひときわ年長の杜氏が言うが早いか、なおも、圧搾機からしたたり落ちる生粋の原酒を柄杓に受けて、ぼくの蛇の目の杯に注ぎ入れてくれた。
酒は飲める方だと思っていた。
「卒業祝いだ!」と言って、あるいは「シャバに出る予行演習だ」と勝手な都合をつけて出来の悪い同窓たちと飲酒にはしゃぐことがあっても、彼らを先に酔わせておいて見下すように観察することができた。いや、手前勝手にそう思っていたに過ぎなかったかもしれない。
餌食になっていたのは僕のほうだったかもしれないからだ。
いずれにしても、悪友どもを介抱したことはあっても、ぼくの方から真っ先に面倒をかけることは一度もなかったはずだ。
「そんなに早く帰ることもなかろうによ」。
蔵人たちが気前よく効き酒の蛇の目に注いでくれるのをいいことに、ひと口すすってみた。
ふた口目はグイッと口に含んでみる。蔵人たちが舌の上でその純生をころがすようにしているのを真似てみた。
なんと美味いもの、と思った。
そりゃそうだ、いま目の前に滴り落ちている蔵出し前の原酒を木杓に掬ってくれているのだから。
神社の名水と比較するのも可笑しいが、舌の上で転がしたときのその味の貴意の高さは、芳香からしてとても説明することが出来ない。マッタリとはこういう舌触りのことを言うのだろう。搾りたてのそれを受けた杯をうっかりこぼしてしばらく卓上に置いておくと、酒蜜で糸底がピタッとくっ付いていることがある。一般の市場に『蔵出し原酒!』と謳われていても決してこのすがたで出回ることはない。
「おーいボウズ、もう一杯やってゆけ!」。
心待ちにしていたのかどうか?。多分そうだろう。
なにしろ杜氏のひと声と時を同じくして、手中の杯に注がれるのを見つめるぼくの目が、いままで以上にゆがんで輝くのを感じたからだ。
やはりそうだった。
蔵の搾り立てはアルコールの度数がひときわ高い。
その上、空きっ腹でやったものだからそれはすでに臨界点だった。
なにも分からないのに「マコトニイイデキバエ・・・、ヒック・・・、デス」とやらかしたからだ。
やがて後ろ髪を引かれる思いで、世間知らずのボウズは蔵人たちに別れを告げた。
ぼくは、事務所の娘たちに手を振って自転車にまたがった。
しかし、自転車のハンドルがフラフラする。
「いい若い者が昼っぱらから」と行き会う通行人が振り返って見ている。
自転車を降りて引いて帰ることにした。
まさにぼくの気分は『なんてったって青天井』だった。
「もはや地球は、ぼくのものだ。あの三人の行かず後家の前で、ビートルズの『プリーズプリーズ・ミー』だって唄えそうだ。たぶん、そうなりゃあ、彼女たちだってあっけにとられてぼくを仰ぎ見ることだろう」。
そんなシーンを想像した。すると、とうとう自分を抑えきれずにクククッと忍び笑いを漏らしたから、傍らの通行人のひとりが、足を止めてぼくをジーッと物見するに相成った。
「遅くなってすいません。蔵人さんたちがどうしてもイッパイ、ヒック・・・、飲んでいけとおっしゃるものですから」。
ここは正直に報告した方が無難だ。しかし、二杯目からのことは黙っていた。
彼女たちはきっと上司に告げ口をするはずだ。
(なんとでもしてください。今となっては)
酔いにまかせて開き直りのハラができていた。
ところが、三人ともうつむいて笑っているではないか。
ぼくは自分の椅子にドッカリと腰をおろして、しばらくはボーッと彼女たちを見ていた。
目の前で素知らぬ顔を装って事務を執る彼女たちが二重にも三重にも見えてきた。
そのうちに、こともあろうに彼女たちが、ふくよかな観音様に見えてきたのだ。
重症だ。
「部長にことわって、二階で休みよし!」。
年長の観音様がそう言うのを合図に、事務所の中は大笑いになった。
何も知らない新入社員は、まず、蔵の中でこのような”洗礼”を受けることになっていたのだそうだ。
モーレツ社員が、不当な労働で過労死に追い込まれることがさほど不思議でなかったその少し前の、比較的暢気な企業風土がまだこの国に生き残っていた時代であった。
搾り立ての”原酒”の洗礼を受けて、ぼくは、ようやく事務所のひとりになることを許されたようである。
なけなしの金を叩いても手の届かない背広を月賦で誂えることにした。
いまでは安易なカードローンで自己破産の憂き目に遭う人がいるが、割賦払いは信用の裏付けがいる。
この町に、幼いころの悪ガキ仲間だった子のオヤジが、仕立て屋を営んでいたので頼み込んだ。このオヤジは囲碁にばかり夢中になっててんで仕事に勢を出す素振りがないということで有名だったが、腕のいい職人だとあとで知った。
「これはなあ、ボン、とっておきのイギリス製の生地だよ、007のスーツなんかに決して引けはとらないよ」。
久々に値打ちのある仕事ができると、ぼくに巻き尺を巻き付けながらオヤジさんは笑っていた。仕事場を碁会所にするのをしばらく中止しても、出来上がりに半月は要したようだ。
気を良くして、ぼくは間をおかずに、さらにもう二着の月賦を頼み込んだ。
「ボンは目が利くねえ。代金なんかあるとき払いの催促なしだよ。いつでもいいからね!」。
奥の方から仕立て屋の奥さんがそう言ってくれた。
ぼくは照れ笑いを浮かべて誤摩化していたが、内心は気が気でなかったのは言うまでもない。その仕立て屋の借金を完納するのに、一年と半年はかかったのだから。
「馬子にも衣装だ。ラララッラ」と使い古しの常套句に節をつけて、ぼくはネクタイを日ごとに取り替えて出勤する。そのうちに食堂の賄い婦にまでからかわれた。
なにしろ先輩たちのスーツはみんな既製品だ。椅子ズレした尻がテカ光していても、いつも決まって同じ既成スーツを羽織ってくる。それを見るたびに、ぼくはこころの中でニタニタしていた。
そのようなことがあって、ぼくの仕事ぶりも一段とはかどりをみせるようになった。
少なくとも三人のうち、下二人の行かず後家が一目置くようになっていた。
いま少し明瞭ではないが、人はある程度ハッタリをかます習慣を根気よく維持することによって、いつしか思いもよらぬおまけが食らいついてくる場合があるのだ、ということが立証できたわけだ。これはやがて、出荷部から外商部へ配属されるようになって自ら確かめることも出来た。
それでも、最年長のツキ嬢が、ある日伝票の束をぼくの机に投げつけたかと思うと、こんなことを言った。
「そんなええもん着て、アンタ、何処へ行くつもりなん。こんな会社に似合わへんやんか。周りをようく見よし!」
そのあとにも彼女の言葉がつづいたが、耳に入らなかった。
ぼくの新たな出鼻を挫くにはこれだけで十分だった。
いきなり浴びせ倒されたような気持ちに追いやられたのだ。
ところが、彼女の目もとをのぞくと、笑っているではないか。
ぼくはその時、ツキ嬢は、同族経営のこの事務所を暗に批判しているのかもしれないと思った。
それから数日後、そのツキ嬢が結婚するので会社を辞めるらしいという噂を耳にした。
何より喜んだのはこのぼくだった。
この時期にあって、跳び上がるほどの愉快な気分を味わったのはまったく久々のことだ。
ぼくにとっては、彼女が結婚できるというそのこと事態がラクダの針を通り抜けるより以上に、奇跡だったのだ。おそらく、当人よりもこのぼくのほうが、心の底から幸福感を噛み締めていたに違いない。
何しろ、樽漬けの一番重い石が魔法使いのお婆さんによって取り除かれたのだ。
あと二つの重石は『”おねえさん”の結婚ばなし』が広まったときには、すでにぼくの前では軽石に変身していた。今から思えば、彼女たちもそれなりに、ツキ嬢の圧搾機の中で酒粕袋のようになっていたのかもしれない。
「結婚されるんですってね?」。
何よりも、確証を得ないと安心できないと思ったぼくは、ある日、製造現場の廊下でツキ嬢と鉢合わせしたときに切り出してみた。
「あっという間にひろがってしまうのね、せまい事務所のことだわ」。
なんだかいつもの彼女に似合わない落ち着いたトーンでそう言った。
「お辞めになるんですか?」。
ぼくは、いかにも彼女がいなくなることを惜しむかのように、まったく残念至極と思われるような大袈裟な表情をつくって訊いてみた。
なにしろ、ぼくにとってもこの先の精神的運命が左右される、最大の関心事なのだ。
「いいこと、どうか誤解しないでね。わたしが結婚するのはあなたが来る前から決まっていたの。わかるでしょう?。わたしがいなくなった後、たった一人だけ営業部に配属された《金のタマゴ》を、社長から『早く使えるように』って、アナタをあずかったのよ
「もう一つ、いいこと。仕事は仕事以上のものではないわ。どのように考えるかはあなたの自由だけど『これだけは他人に渡せない!』というものを持っていてほしいわ」。
彼女はなおもつづけた。
「後に言ったわたしの言葉を忘れないでね」。
ブンブンと激しい機械音のうなる工場のなかで、ようやくそれだけ聞き取れた。
ぼくはもう黙ってうなづくよりほかはなかった。
ツキ嬢は、人差し指を彼女の唇に押し当てたかと思うと、すぐにその指の腹をぼくの方に裏返してみせた。ぼくはどのように返答すればいいのかドギマギするばかりだった。
しかし、その後すぐに、これは多分「このことはアナタだけのこころの中に仕舞っておきなさい」という意味以上には何もない彼女独特の仕草なのだ、と思い直すことができた。
そしてぼくは、彼女の思いがけない人差し指の印象が消えないうちに「よかったですね。June bride!」と、うなりつづける工場の機械音に負けぬくらいに叫ぶことができたのである。
ことのほかこころを喜ばせてくれる幸福は、思いがけず予告もなしにやってくるものだ。
でも、同じように哀しみだってそうだ。これもまた何処からか、まるで黒雲の透き間を縫って貫きわたる雷光のように、舌を分かち、大地を震わせながら疾走してくる。
勤め先からの帰りは、路面電車で京都駅まで乗る。そこからは、この街をかたどる碁盤の目の北端まで市バスに揺られる。もう気を使う必要がなくなったツキ嬢の顔がぼくの神経から消え去るにつれて、定時で会社を後にすることが多くなった。
それにはもう一つの理由があった。
もし、京都駅から発車する始発の路線バスに間に合えば『あの人』が乗っている可能性があるからだった。
いつしかそんな光景を夢見るだけで、事務所でこんがらがってズタズタになったぼくの自尊心を繕ってくれるようにさえなっていた。
それだけに、この人に言葉をかけるなんて、ぼくにとってはとんでもない無作法ことだった。
さりとて、じーっと見つめるなんてことも恥ずかしくて、第一に、それはとても卑しいことだとも思った。チラッと見て彼女の残像を大切に仕舞い込んでおくだけで、ぼくはこの上なく幸せだったのだ。
えも言われぬその人の清楚な雰囲気をどのように喩えようか。
このがさつなぼくには、近寄りがたくも、はるかにほど遠い人には違いなかった。
今でも、クッキリと脳裏に張り付いている。
抜けるような白い肌に、ほんのわずかだが、頬に差す今にも消え入りそうな薄紅色の輝きを。
ところが迂闊にも、いったい何処で降りているんだろうと注視しているつもりが、湯船のなかの花びらが指の間からスルリと抜け出るように、肉欲的な欲望ばかりか、ぼくの精神そのものまでが、自分の手の及ばない異質な世界へ押しやられてしまうかのように感じて見失っていた。
しばらくは不思議なこととは思わなかった。
しかし、ある日、この人が乗っているバスが走り出してしばらくすると、ぼくは夕闇に暮れゆく車窓に流れる街の風景に吸い込まれたように微睡んでしまうことに気づいた。その時間はほんの束の間にしても、一定の経過があることを実感した。そして目を開くと、彼女の姿は忽ちにぼくの視界から消えているのである。
ある日、事務所で特別に濃くしたコーヒーを胃の腑に流し込んで、今日こそは必ず彼女の降りるところを突き止めようとバスの中で身構えていた。
バカなことをしたものだ。始めのうちは緊張が助けてくれていたのだろう。気にならなかった濃いコーヒーだったが、あいにくこの日はお目当ての彼女から外れたのかも知れないと思ったとたんに、胸がムカムカしてきた。ただ、ぼくの上気した血まみれの頭だけが一つ、バスの床に転がっているようだった。
(確率的にはいずれ適うことがあるはずだ。世間はだいたいそうなっている)
ぼくは自分にそのように言い訊かせながら、わずかに首を垂れてバスの発車を待っていた。
漱石は『虞美人草』の中で美しきヒロインを、つぎのように表現している。
「波を打つ廂髪の、白い頬に接く下から、骨張らぬ細い鼻を承けて、紅を寸に織る唇が・・・(略)唇をそっと滑って、頬の末としっくり落ち合う顎が・・・、(略)顎を棄ててなよやかに退いて行く咽喉が」
あるいは「丸顔に愁い少し、颯と映る襟地の中から薄鴬の花が幽なる香を肌に吐いて、着けたる人の上にこぼれかかる。糸子はこんな女である」
女の美しさを表現することは、学問に縁遠いものにはまったくお手上げというところだ。だから、ぼくはファンタジー作家の手法を支持する。つまり、うんと先を急いで「彼の国の王女さまは世界一うつくしい人でした」とはじめてもいいわけだ。
それに比べれば、毎日否応なしに目にする事務所の観音さまたちは、ぼくにとってはすこぶる安心できるひとたちだ。
ひとりはポパイのオリーブのように痩せぎすでメガネをかけていたし、もうひとりの相棒はブルータスを女にしてしまえば出来上がりだ。それぞれに褒め上げることができるとすれば「健康そうでなによりです」。この一言で足りる。かりに、何かの拍子に歯車が狂うことがあって、彼女たちから「お茶に」さそわれることがあっても、多分、ぼくは三枚目のままで平気な顔をして笑わせてもあげよう。
いずれにしても二人の人となりは、小悪魔も避けるほど人が良くて、ツキ嬢が結婚をしてこの事務所を去ってしまったあとも、ぼくの忠実なアシスタントとして助けてくれることになった。
ぼくはそのころ、すでに車をあてがわれて外商部へ配属されていたのである。
今から思えば、この二人のイカズ後家たちは、ぼくの青春形成期の幾枚かを飾る大切な存在だったと思う。とは言え、やはり、ぼくの青き美意識を導いてくれるにはほど遠い存在であったことは許してもらわねばならない。
梅雨の最中に偶然隣り合わせた紫陽花とも想える水玉模様の人は、すでに時を経て、今は質素な生活に甘んじているこのぼくを心配するイタリアの友人が、わざわざ航空便で地場産ワインとオリーブの実を送ってくれた時の思いがけない喜びと似通う。
期待をしていないときにこそ、あり得ないことがふいに目の前に現れる。
喩えの世界が違っても、こころに遺る奥深さのレベルは同じだ。
無遠慮な人の流れに押されて梅雨時の路線バスに詰め込まれたぼくは、たとえそのひとが目に入らなくても、甘い想像に身勝手な幸せをかぶせながら、一人つり革にぶら下がっていたことが愛しく想い出される。
あきらめかけていたある日、一瞬バスが前後に揺れてわれに帰ったぼくの視界へ、偶然にその彼女が入ってきた。
ぼくが目にする時は、わずかに玉虫色に変化するワンピースか、裾広がりの青いドレス、そうでなければ初春の薄氷を手のひらにのせればすぐにでも溶けてしまいそうな、淡黄色の縦縞のブラウスと組み合わせて、ややうつむき加減に静かに座っている。
しかしこの日は、白生地に水玉模様をあしらったノースリーブの肩口から、車内灯に浮かんだパール色に輝く二の腕が、青春のぼくの目にまばゆく映った。
堀川通りのバスストップ「紫式部の墓碑」の前で降りることもわかった。
ぼくと同じバス停で降りていたのに、トンマにもほどがあると苦笑いしたが、その笑いも何故かすぐに消えた。
恋人同士なら並んで歩けるものを、と思いながら、男らしさを装うためにわざと追い抜いて先を行く。ぼくの引っ込み思案な性格からして、もうそれだけの情報で十分だったからだ。
男と女のなかは、雷に見舞われるがごとく『ひょっとすると、この人がわたしの生涯の伴侶になるかもしれない。いや、是非ともそうでなくては困る』と、直感の無理強いのままに引きずられて間違いを犯すことがある。でも、同極の磁石が永遠に交わることがないように、あるいはまた、あんなにこころが愛おしく弾んでいるのに、深層のずっと奥の方で執念の激流に橋渡しをしてくれる機会が見つからぬまま、いたずらな時とともに霧中に消えて行く人々もある。
ぼくの場合、理由は分からないが、藁をもつかむ思いで必死に言葉を探してみても、沈黙のままに空しく過ぎてゆくことばかりを想像した。たとえ、吊り橋を組み立ててみたにせよ、女の手をつかんだとたんに二人はもろとも谷底の濁流に飲み込まれて行くことを直感していたのだ。
この世に等分で存在する「男と女」の引き合いと別れの姿はさまざまだ。
こんなささやかなぼくの人生にも、もはや言葉にもならなくて、再び顔を合わせることがないまま去って行かなくてはならないひとコマが設けられていることを、不憫に思う。
二人の恋愛が着かず離れず穏やかであれば、風説に耐え抜いて幸福なカップルになる確率がそれだけ高くなる。しかし、激情の中から飛び出した偏愛は悲劇を伴いやすい。それぞれに自らを聖化したナルシスの思いに酔いしれて、まことの愛の区域からはすでに逸脱しているからだ。
『なによりもまず私が愛しい』
『私は、自分のために、この愛を征服しなければならない』
悲劇の予兆はこんなところに隠れている。
世間に出たばかりのそのころのぼくは、まだ恋愛の何たるかも知らなかったが、どんなに手を尽くしてみても、何ともならぬ世界がぼくの周りにはあるんだと言い聞かせることはすでに経験していた。
にもかかわらず、それなのに、同僚の遊び人達からせっかくの『酒とバラ』の据え膳の誘いを受けても、彼らを振り切って帰り道を急ぐ日がつづいた。
たった一本しかないそのバスに遅れないがために。
アジサイを”紫陽花”と記すが、その名付け親は白居易であると言う人がいる。
彼が杭州の長官であったころ、郊外に在る招賢寺という山寺にひっそりと咲く名も知らぬ花を見いだして、彼は大変こころを引かれた。
白居易は、さっそくその花に「紫陽花」と名付けたと言われている。ただ『紫陽』というその言葉自体はすでに用いられていた。古来多くの神仙や求道志たちが、号として好んで使用していたのである。言わば、仙界のシンボル的な語であった。
何れの年か仙壇上に植えし、
早晩か移し裁えて、凡家に到る、
人間にありと雖も人識らず、
君が与に名づけて紫陽花と作す、
(この花はいつから仙境に植えられ、いつこの寺に移し植えられたのだろう。この世に誰にも知られず、神秘な姿でたたずんでいる。あなたのために、そうだ!《紫陽花》と呼んであげよう) 白居易
あれは決して幻ではなかった。
傘に繁くたたきつける雨音を抜けてぼくの耳元まで届いたその声も、肩口に染み込む雷雨の感触も、紫陽花のころになると遠く蘇ってくるのである。
その日は、明け方のどんよりした空を仰ぐと、わずかに薄日が射していたので傘を持たずに出かけた。やはり梅雨明け間近かの空である。昼過ぎから細い雨が降り出してきた。
かと思うと、のっぺりした雨雲が開いて、真夏の前の煮え切らぬ陽が事務所の窓ガラスをジリジリと照りつける。
「変な日だ、今日は」。
不快指数も限界点に達していた。
仕事を終えた帰り道でまた雨に打たれた。朝の青空にだまされてぼくは傘を持たない。
京都駅で乗り換えのバスを待っていると、客待ちの列にその人がいた。
成り行きの流れで彼女の近くに行けるかどうかを占っても、この大勢の乗客では無理だ。
それに、雨の日の路線バスは彼らの持つ傘で余計に膨れ上がる。
それより、このバスに乗れるかしら?。
始発の扉が開いて、押されたり押したりでやっと乗れた。
そのひとはいつもの席に座っているはずだ。
街の灯火を打ち消すような稲妻とともに、バスの中の空気まで切り裂くような雷鳴が走り抜ける。それは意表を突きながら、宵の街をひた走るぼくたちを射程に納めているかのようだった。
(雷は、梅雨明けの知らせだ。そう言えば今日は祇園祭の宵山なんだ)
四条のバス停で乗客の三分の一が降りた。
この思いがけない驟雨で窓も開けられずにムンムンしていた車内が幾分涼しくなったように感じた。つり革にぶら下がっていたぼくが、フッと短い息を吐いて目の前の座席に目を落とすと、一人分の空席を空けて彼女が座っていた。
(いつの間にこんなところに?)
彼女はもっと運転手に近い前の方にいるはずだと思い込んでいたから、それ以上のことは考えなかった。
「どうぞ」と言う意味だろうか、彼女は、ぼくを意識したように、わずかに窓際に身体を寄せてくれた。座ってよいものかどうか、しばらく躊躇った。
《座るべきか、座らざるべきか、それが問題だ》った。
(チャンスだチャンス、おい、チャンスだ!)。
決断した。
「シツレイシマス!」
ぼくはとうとう覚束ない動作を曝しながらも、彼女の隣に腰掛た。
(なんと言うことが起こっているんだ!)。
ぼくの身体が、まるで天女と連れだってはるか空中に浮いているようだった。
これは間違いなく銀河鉄道バスだ。
もう何処にも停まらず、このまま永遠に走りつづければいいと思った。
しかし、片方で、どこかもどかしい雨のバスがあった。
ただ黙って、時折稲光に浮かび上がる街と、雨の闇間に沈む街並みを交互に映しつづける窓を見つめていた。
《紫式部の墓碑》の前でバスを降りたのはぼくの方が先だった。
雨は先ほどよりも一層激しく通り道の紫陽花の葉を打ちつづけていた。
すでにもう夏の雨だ。
傘は持たない。
その人を後に走ろうとすると、
「あのう・・・、どうぞ、この傘へ!」。
雨の音にかき消されてやっと聞こえる細い声にぼくが振り向くと、その人が小走りに近づいてきた。
「よろしければこの傘の中へお入りになりませんか?」。
彼女は、そう言いながら、真珠のような眩しい腕に支えたその傘をぼくの方へ差し伸べた。
ぼくは半袖の開襟シャツを着ていた。ノースリーブのその人の腕に触らないように、つとめて歩調を合わせながら歩いた。それでも、思いがけない出来事に戸惑っていたぼくの歩幅が覚束なくなると、ほんのわずかに肘が触れ合った。
雨に濡れた二人の腕は、あたたかくもヒヤッとした。少なくとも、ぼくの腕だけはあたたかかったはずだ。驚きに満ちたぼくの脳髄が、瞬く間に狂おしいほど熱くなっていたからだ。
その時だ。熱を帯びたぼくの肘に、彼女の冷たい腕が巻きついてきた。
ぼくたちが寄り添う傘にも、傍らの大通りにも、驟雨は未だ衰えずにたたきつづけている。
雨水に稲光が吸い込まれていく路面を車が水しぶきを上げて走り去って行く。
もし、これらの共鳴音がなかったら、ぼくは抑えがたい興奮とためらいのうちにぶっ倒れていたに違いない。なにしろ、息詰まる沈黙のなかで、ぼくは、この先どうすればよいのかとガチガチに凍りついたようになっていたのだから。
ドッキン、ドッキンと不整に脈打つぼくの心臓の鼓動が、彼女の耳元へ届くことがないようにと、ひたすらこころの中で祈りつづけた。
何故ぼくは咄嗟にそう祈ったのかは、今も説明ができない。
こころもとない判断を承知の上で述べるなら、《日常ならぬ精神の平衡》を取り戻すために、ぼくたちが未だに持ち永らえている本能にすがったのかもしれない。
「あいにくの『宵山』でしたわね。でも、四条で降りられるかもしれないと思いましたわ」。
まるで、このぼくの首筋を包囲するかのように、柔らかい声音で彼女はそう言った。
「以前からぼくを知っておられたように聞こえましたが?」。
冷たい腕に巻かれたままだったが、ぼくはしきりにそれを解きほぐす機会をうかがいながらそう言った。
「時々、バスの中でお見かけいたしますもの。それだけではなくってよ。あなたが、わたくしをいつも捜していらっしゃることも気に掛けておりましたわ」。
車のサーチライトに青白く浮かぶ彼女の目がキラリと光った。その時、同時に、ぼくが彼女の腕を解き放そうとするのを阻むかのように、その全身をヌルっとした印象に変えて、なおも肘を組み直そうとした。その瞬間に、思わずぼくの手が彼女の胸に触れたかに思えた。しかし、実際には、ぼくの手にはまったく抵抗がなかった。
彼女は、何事もなかったようにつづけた。
「すべての理由を今ここでお話することは、このわたくしには許されません。ただひとつだけお伝えできることは、あなたとお会いするのは今宵が最後になるということだけですわ」。
ぼくは立ち止まって、彼女の顔を覗き込んで言った。
「どうしてですか。せっかく、いま、たった今、息が詰まるように幸福な瞬間をぼくがこの腕につかんだというのに。どうか、お願いですから、そのわけをおっしゃってください」。
激しい雨音の響く傘の中で彼女と向き合ったぼくは、その後、たしかにこんな言葉を耳にした。
「なぜ・・・?、何故もっと早く、あなたとお遇いすることができなかったのかしら。この世界がとても不憫で哀しく思いますわ。あなたを知ったとき、わたくしの運命はすでにある男に委ねられてしまっていたのですもの。でも、あなたの若さとわたくしでは、もともと現実的ではなかったのね。神様がご承知だわ。わたくしは、あなたを見てすぐに閃いたの。どうしても越えてはならない世界というものがあると言うことを。ここにきて初めてお話するのに、いきなりあなたの腕を抱えたりして・・・。わたくしも恥ずかしいことですわ。失礼な女とは、どうかそれだけはお思いにならないでね。わたくしたちの生涯で、たった一度だけの瞬間ですもの。ねっ、そうでしょう?」。
三つ目の分かれ道に差し掛かったとき、ようやくぼくたちの腕が解けた。それは、彼女が肩に提げていた自分のバッグから、一枚のレコードを取り出してぼくに手渡すためだった。
ぼくはそのLPレコードを受け取った。
そして、彼女の胸元から飛び出すように、勢いをつけてその傘から出た。
「あなたがおっしゃる『二度と合えない』という理由が、このぼくにいまひとつ分からないけど、ぼくは、もうそんな簡単にあなたのことを忘れるわけにはいかなくなっています。何故でしょうか。ぼくはどうかしているんでしょうか?いま・・・、たった今、あなたからいただいたレコードをぼくは手に持っています。このレコードもあなたとともに、いずれぼくの前から消えてしまうのでしょうか?どうか、教えてください。抱きつこうにも、掴もうにもできないあなた。いったいこれはどういう意味なのでしょう。しかし、もう時間がないとおっしゃるんですね。さようなら、なんですね!」。
ぼくは泣いていた。
少しでも雨にかからないよう、自分の胸にそのレコードを抱えて、雨中を彷徨うように走りながら泣いていた。
ほんの、わずか数分の出来事だった。振り返ってみれば、こんなに張りつめたこころに、なんと永い時間をくれたものかと思う。そしてたしかに、そのひとが言うように、その宵を最後に、京都駅のバス・ストップでも、バスの中でも、今にいたるまで二度と会うことはなかったのだ。
ただ、この他愛無い話を思うとき、ぼくのこころにはいつも辻褄のあわない謎が浮遊する。
それは、ぼくたちが雷雨に見舞われた宵山の日に別れたあのブロックの分かれ道の表通りから、嫁入り道具を満載にした《菊水幕》で覆われたトラックが今にも発車するのを、ぼくは偶然に見ていた。その記憶は今でも明瞭だ。
ところが、その出来事は《雷雨の傘の夜》からひと月前の、六月初旬にあった大安の日のことだ。しかも、この目出たい出荷の日から数えて二週間後に、この荷の主人公、つまり花嫁が、湖北で浮かんだという噂を耳にした。ぼくは、この時期に、同じブロックからもう一人の花嫁が出たということは聞いていない。
数ヶ月の間、ぼくは生半可な気分ではいられない日がつづいた。
すくなくとも、その間は心身ともに憔悴した。
あの女人がどのような存在であれ、ぼくの手の平にはモーツアルトのレコードが乗っている。
このことが、このぼくを今でも混乱させる。
だから、余程自分のこころが信念に満ち、厳かにならないかぎり、この人からあずかった『シンフォニー』を聴く気にはなれないのである。