3ファイアオレスト
カディさんは少なくとも一週間は酒屋の二階にある自室で暮らすということなのでそれまでに届けに行くということで話はまとまった。
あの後、お礼にとおじちゃんにご飯をサービスしてもらったので「お代はいただいているから」ということで遠慮気味だったカディさんも首を縦に振ったのだ。
実を言うと私の魔術書が役立つのかは不明だ。
誰にでも合う合わないはあるので賭けみたいなものなのである。
私の魔術書は遠くの森の深くにある小屋に結界を張ってそこに保管している。
メイリスになった時にその場所は教えてしまったので見張られていることだろう。
結界はそのままなので誰も入ることはできないが、もし移動の術でそちらへ行ってしまえば気づかれる。
そんな危険を冒してまで一介の魔術師のために動くこともない。
魔力をこめられないため精度は落ちるが、紙に術式だけパパッと書いて渡してしまおう。
ちなみにファイアオレストは上級魔法の中でも初歩に過ぎない。
これからいろいろとこの術を応用した形のものも出てくるので基礎固めという形でしっかり習得しないとお話にならないのだ。
住み込み先である宿屋の仕事を早々に切り上げて自室に戻ると、念のために持っていた術式用の分厚い紙を丁度良い大きさに切る。
指先から小さな炎を出すと素早く書いた。
私の術式は人型を書いてそれに直接魔力の流れを書き込んだものだ。
こうすることによって脳への抽象的命令が具体的命令に切り替わることにより魔術の発動が促進されるという仕組みである。
この当たり前ともいえる理論が浸透していない理由は、魔力の流れは感じるしか確かめる方法がないからだった。
魔力の流れを感じるというのは人それぞれだが一般的には小さな虫の言葉を聞き取るようなものだといわれているほどに難しい。
そんなことに時間をかけるくらいなら他の術式を試した方がよっぽど賢い。
今更ながら本当にこの術式を教えてもいいのかと不安になってきた。
まあ、いいか。
これは私の知り合いの術式ですと言えば。
楽観的な考えのもと善は急げと酒場に向かう。
酒場の近くまでくると、またピリピリとした感覚が来た。
お、これは中級魔術だな。
急いで人だかりによると、丁度人を浮かせているところだった。
術式なしだと人間を大きく浮かせることは難しいが、少しだけ女の子の足が宙に浮いている。
魔術への感動なのか、カディさんへなのかよくわからない声をキャーキャーと楽し気に上げているたくさんの女子。
男どもは「おおっ」と野太い声を上げている。
「おい、カディ!瞬間移動とかできねぇの!?」
一人の男がそう声を上げるとカディさんは驚いたように首を横に振った。
「移動の術なんて高度上級魔術ですよ、そんな魔術が使える人はトイになってます!」
トイノール=騎士または重要な役職だ。
簡単に言うと「王のもとで重宝されてますよ」ということだ。
ましてファイアオレストで躓いてる彼にとってはあと何年かかるんだろうか、というほど遠い話だろう。
確か魔術師がトイになるには魔術検定八段以上が必要だったはず。
またはいくつか出されるお題の魔術を一定数以上習得するとか。
でも結局それも実力的には八段以上のものになるので難易度は変わらない。
カディさんの視線がふと私の方へ来る。
目が合うと嬉しそうに笑った。
そんなにファイアオレストで困っていたのか。
藁にでもすがりたいような状況だったことはあの後の会話でよくわかってはいたが。
魔術書なんて本当に一か八かのものでしかないのに。
「そろそろ疲れてきたので続きはまたあとで。まだ此処にいますから」
丁寧にそうカディさんがいうと女子は悟ったのであろう私の方をちらりと見て(いやギロリと睨んで)残念そうに去っていった。
男どもはそのまま酒場に入っていく。
おい、仕事はどうした。
疑念の目を向けていると、一人がその視線に気づき苦笑して頭を掻いた。
呆れた男たちだ、まだ夕方と言えるほど日も沈んでいない時間帯だというのに。
「あ、カディさん。遅くなりました」
「いえ!わざわざありがとうございます」
「役に立つかはわかりませんが」
「そんなの気にしないでください」
にこりと微笑むカディさんは本当に絵になっている。
此処は人が多いのでと少し街はずれまで行く。
道中の鋭い視線の数々は本当に不快なものだったが、原因のカディさんは全く気付いていない様子だった。
「この辺りなら大丈夫そうですね、ネシアさんは平気なんですか?」
「あ、はい。昔、魔術街にいる知り合いの魔術師のところに居候していたことがあるもので」
全くの嘘ではない、メイリスになった後は魔術街の豪邸に住んでいた。
ただ私は居候ではなく、居候させてあげていた立場だが。
魔術街とは認められた魔術師が集まる街で、街全体に結界が張られておりその中ならいくら魔術を使っても結界の外にいる人には伝わらないという不思議な場所である。
魔術士ばかりが住んでいるので街はどこにいてもピリピリした感覚が付きまとう。
最初の内は不快だが世は慣れだ。
一度あそこに住めばピリピリも不快ではなくなる。
まあ、私の場合は幼少期の内にすでに慣れていたけど。
「そうだったんですか、凄い知り合いがいるんですね」
ええ、凄いのは私だけどね。
「これ、言っていたやつです」
それっぽい封筒に入れて持ってきた術式を書いた紙を渡す。
「その術式を思いながらファイアオレストと言えばいいそうです」
丁寧にやり方まで説明すると、カディさんは封筒を開け紙を取り出し不思議そうに眺めた。
「こんな術式初めて見ました」
だろうね、それ私のオリジナルだから。
ちょっとやってみます、と言ってカディさんは目を瞑る。
右手を前に出して深く深呼吸をし「ファイアオレスト」と唱える。
その瞬間、つい目を背けてしまうほど強い光を発し炎が出現した。
しかも、とてつもなく大きい。
普通ファイアオレストというのは人の頭サイズの炎が掌から浮かび上がるように出てくるものなんだけど、この炎は人間の子供くらいの大きさがある。
ピリピリと久しぶりの強い感覚。
これにはカディさんも驚いたようで呆然と炎を眺めている。
ああ、どうしよう、やってしまった。
下級魔術師にメイリス・ティの位を与えられた魔術師の私が術式を教えるなんてもっと深く考えるべきだった。
私の術式をどれだけの人が欲しがったか、王様にも見せなかったというのに。
だめだ、このままいけば絶対に怪しまれる。
私はわずかに混乱した脳で短く考えた。
よし、これでいこう。
「カディさん!私を見習いにしてください!」