ニコラス・バルマー
元レインラント帝国陸軍大尉、現レインラント共和国市民軍中将
ようこそ。フィッツ伯から話は伺っている。
私はニコラス・バルマー、共和国市民軍中将だ。本日はよろしく頼む。
まずは、座り給え。
緊張はしていないようだが、お茶の準備をしてある。
どうかくれぐれも、遠慮しないでくれ。フィッツ伯にご紹介頂いたお客人が茶に口をつけないとなると、私も自分の茶に口をつけるわけにはいかん。
(執事とおぼしき男性がサーブしてくれたお茶を、一口飲んだ。
正直言って不味い部類に入るお茶だが、バルマー中将は質素倹約を公言している人なので、こんなものだろう)
君は随分、自分の感情に素直な人間のようだな。顔に「まずい茶だ」と書いてあるぞ。
いや、構わん、構わん。それで結構。
私は昔から、味音痴でね。高い茶を買ってみたこともあるのだが、客人に味を褒め称えられると、逆にどう返答していいのか分からなくなるのだ。
茶を褒めて会話を転がそうと目論んでいた客人は困惑、予定外のところで話が停滞する私は迷惑、どちらにとっても不利益しかないから、庶民的な茶を選んでもらっている。
それに今は、そういう時代ではないかね?
さて、伝書使について、話が聞きたいのだったね?
フィッツ伯からは、できるかぎり協力せよという依頼を受けている。半分、命令みたいなものだ。伯爵は今でも上司筋にあたるし、なにより私を戦士として鍛えてくださった方だからな。
だから、共和国軍機密のギリギリのラインまでなら、答えよう。場合によっては、ちょっと機密の内側に踏み込んだ話も、できる。その場合、機密保持の宣誓書にサインしてもらうことになるがね。
(「その必要がないことを祈ります」と答えつつ、私は本題を切り出した)
――ふむ、ふむ。ふーむ。ふーむむ……。
(彼は奇妙な唸り声をあげつつ、しばし考え込んだ。
フィッツ伯からは、彼が「沈思黙考」するときは、何があっても邪魔をするなと忠告されていたので、私は黙って不味いお茶を飲む)
興味深い。実に、興味深いな。
あの戦争が終わった直後あたりから、君が調べようとしている疑惑にとりつかれた愚か者は、既に散見できた。
定期的にぶり返す話題だし、最近またぞろ市民の間で盛り上がっているのも知っている。
なにしろ、あの話題が市井に噴出するたびに、私が出処ではないかと治安警察がやってくるからな。私としてみれば、不機嫌になったとしても、上機嫌になれる話題からは、程遠い。
(私は黙って恐縮してみせた。
彼はそんな私の様子を見て、小さく笑う)
心にもない謝罪は不要だし、君の価値を損なうだけだ。それに私は今、かなり上機嫌なのだよ。
これがそこらのブン屋だったら、必要に応じた手段を用いて、この場から追い出しているだろう。
だが君は、フィッツ伯に認められるほどの人物だ。そして実際に会って感じたが、なるほどそれに相応しい胆力をお持ちだ。往年のフィッツ伯なら、君の返事など待たずに、親衛騎兵隊見習いとして兵舎に引きずっていっただろうな。
それほどの人物が、下衆の噂を調査している。
こんな面白い状況は、なかなか出会えるものではない。
私には、君がいったい何を目論んでいるのか、俄には判断できない。
共和国陸軍にとって、君の目論見がプラスになるのか、マイナスになるのか、ここで判断することは不可能だ。
だが、君は「面白い」。それはとても、大事なことだ。
私の直感は、君を勢い良く泳がせれば泳がせただけ、この問題は早期に解決すると告げている。
なぜなら君は、この問題における王や女王などでは決してなく、騎士でも司教でもない。私の見たところ、歩兵としても、不十分だ。
君は、この盤面に乗る正統な資格を、持っていない。胆力はあるが、それだけでは資格にはならない。
にもかかわらず、君は盤面にその姿を表した。そうである以上、君は道化として、この行き詰まりきった盤面を、根底から変貌させる可能性がある。
ゆえに私は、王や女王ではなく、騎士でも戦車でも歩兵ですらなく、道化に自分の手札を張ることにしよう。
まず最初に、はっきりさせておくべきことがある。
それは、旧帝国軍と、伝書使の関係性について、だ。
我々は、旧内務省を信用していなかったし、していない。むしろ我々と旧内務省は、敵対関係にあったと言ってもよい。
というのも、旧帝国軍は、その任務として、国内の治安維持と、それに付随する業務も行う。つまり、国外から浸透してきた工作員の摘発や、国内において危険思想を持つ煽動者を拘束するといった作戦も、旧帝国軍が本来担うべき任務だ。
しかし旧内務省は、この領域に対して独自の組織を作り上げ、旧帝国軍の職分を侵犯していった。
旧内務省が作った秘密組織はいくつもあるが、中でも最も強力だったのが、内務省外事8課と呼ばれる組織だ。
外事8課は、練達の間諜から暗殺者まで、いわゆる裏仕事を稼業とする人材を、カネでかき集めて作られていた。当然、彼らに法律を遵守するなどという概念は、ない。ゆえに、あくまで帝国法に則って――つまり皇帝陛下の威光の下で――任務を遂行していた帝国軍との間に、大きな軋轢を生んだ。
だがある時、帝国陸軍の秘密工作部門と外事8課が直接の衝突を起こし、双方に人的損害が生じた。しかもこの衝突によって、双方が狙っていた肝心のターゲットを取り逃すという、大失態となったのだ。
責任の所在を巡る議論は紛糾に紛糾を重ねたが、最終的には互いに数歩ずつ譲歩することで決着した。つまり、帝国軍と内務省を結ぶ連絡会議と、組織間の相互研修制度の確立。そして、ここが最も重要なことだが、相互研修制度を前提とした、特殊機関の設立だ。
もうだいぶ昔の話になるが、これが、伝書使という組織が生まれた、その第一歩だ。
伝書使は内務省直属の組織ではあったが、帝国軍もその訓練には参与していたし、当然ながら帝国軍の息がかかった隊員もしっかりと潜り込んでいた。
伝書使という情報の坩堝がもたらす利益は、内務省が完全に独占していたのではなく、帝国軍と内務省が分かち合っていたのだ。
このことは、それほど意外ではなかろう? あれほどの潜在的な力を持った組織を、ひとつの政治勢力が独占していたのであれば、そんな組織は早晩、政治的に崩壊させられていただろう。
敵対する2つの政治勢力が、利益をそれぞれに得ていればこそ、伝書使という組織は維持し得た。
それに、新人伝書使に、会戦クラスの大規模戦闘が発生している状況下における生存術や戦闘術を教えられるのは、帝国軍だけだ。そして内務省は、彼らに一線級の暗殺術や隠密術を教える。
この極端に偏ったエリート教育なしには、伝書使たちが残した数々の伝説的偉業は、あり得なかった。
誰に向けて言うわけでもないが、「意図的に刷り込まれた、盲目的忠誠心」だけでは、伝書使のようなプロフェッショナルは、決して、生まれないのだ。
さて、政治的に生臭い話はともあれ、平均的な帝国軍人にとってみると、伝書使は、信頼できる戦友だったと言える。
前線の兵士にしてみれば薄気味悪さのほうが先に立ったかもしれないが、伝令という最重要任務の1つを、尋常ならざる信頼性をもって達成し続けていたのが伝書使なのだから、その出自がどうであれ、信頼感を抱くなというほうが無理な話だ。
だがその一方で、伝書使が実際にどんな形で任務を遂行していたかを知るものは、極めて少ない。
世間的には、伝書使はいつでも単独で困難な任務を成し遂げてきた超人たちだと思われているフシがある。
だが現実は、そこまで上手くできてはいない。
我々帝国陸軍が伝書使に任務を出す場合、その危険度や必要性に応じて、護衛を同伴させていた。
また伝書使側でも、状況に応じて、複数人の伝書使によるチームを編成して、任務にあたることもあった。
人間、一人でできることには、限界があるのだ。
しかしながら、伝書使の護衛という任務は、恐ろしく損耗率の高い任務となった。
理由は様々だが、最大の理由を挙げるならば、伝書使たちは、護衛が損耗することをまったく意に介さないというのが、大きい。それどころか、積極的に護衛を犠牲にして、その場を切り抜けることも多かったという話だ――この情報が伝聞形になっている理由は、察してくれたまえ。
同様に、伝書使は、仲間の伝書使も、躊躇なく見捨てるという。彼らが成し遂げた不可能の影には、不可能を可能とするための人身御供が、大量に埋まっている可能性が高い。
その上、生還した護衛兵士からも、伝書使を良く言う言葉は、滅多に聞かれなかった。
伝書使は、おおむね誰もが寡黙だ。しかも流浪民だから、護衛兵士の方から声をかけることも、まずない。護衛兵士に聞き取りをしたこともあるが、特に意識することもなく、食事の場所は分けていたとも言う。このあたりの流浪民に対する差別意識は、彼らが二等市民に昇格した今だって、ごく普通に見られるものだ。
自分がごく自然に見下している相手の命を、己の命を賭けて守りながら、特に何のコミュニケーションもなく、数週間に渡って一緒に旅をする。
しかもその旅の途中で何らかの危機が発生した場合、自分が見下している相手のほうが、自分より力量で圧倒的に上回っていることを意識させられる。
友情を育むには、悪条件しか揃っていない。
革命戦争の中期以降において、伝書使の単独行動が増えているのは、これが理由だ。
どんなに高い報酬を提示しても、伝書使の護衛任務につこうとする兵士が出なくなった。命令しようものなら、その夜のうちに脱走するか、伝書使と数日同行してから、安全なうちに逃亡する。
伝書使たちにしても、そういう兵士に対して何ができるわけではないから、結果としての単独行動はどんどん増えていった――それに比例して、任務の失敗率も急激に増大していったというわけだ。
だが、「伝書使は仲間を見捨てる」という噂は、意図的に広められた形跡もある。
というのも、革命継承戦争が始まって以降、革命軍兵士が伝書使の護衛任務を拒否することは、まずなかったからだ。
革命継承戦争における伝書使護衛の損耗率は、革命戦争時期よりも高かったが、ついに停戦まで「伝書使は仲間を見捨てる」という噂が再度盛り上がったことは、なかった。
むしろその時期には、敵側に「伝書使は戦闘においては素人」という、あらぬ噂ばかりが広まっていたとも聞く。
いやはや、この巧みな情報操作には、我らが栄光ある共和国市民軍参謀本部長殿の匂いを感じはしないかね?
とはいえオンドルフ閣下の悪口を言う前に、落ち着いて考える必要もある。
「伝書使は仲間を見捨てる」という噂の広まり方とは関係なく、伝書使につけた護衛の損耗率が異様に高かったのは、紛れも無い事実だ。
しかも、護衛が損耗するときは、ほぼ間違いなく全滅だったから、いったい何が起こって全滅したのか、知るためには伝書使本人から聞くしかない。
そして彼らは決まって、「護衛の兵士たちは、自分を守って勇敢に戦い、名誉の戦死を遂げました」と答える。我々は黙って頷いて、護衛兵士たちを2階級特進させ、遺族に見舞金と勲章を発送する。
(彼はここで、ふと言葉を止め、不味そうな顔をしながらお茶を飲んだ)
今でも私は時折、伝書使とは何なのか、ということを考えるのだよ。
何だったのか、ではない。何なのか、だ。
革命戦争と、革命継承戦争は、悲惨な戦争だった。
我々はおそらく世界で初めて、武装した市民が組織的に戦争に参加したとき、そこで何が起こるかを、知った。
なるほど、そこからは我らがかつて知っていた、名誉と栄光ある戦場の姿は、消え失せていた。
とはいえ、名誉や栄光といった世俗の概念はともかく、勇気や決意、自己犠牲や信頼といった、人間としての美徳までもが消え失せていたかと言えば、そんなことはなかった。
私はもともと帝国軍人だし、革命軍とはさんざん殺しあった間柄だが、革命継承戦争が始まる前から、革命軍兵士やその指揮官には、敬意を抱いていた。
彼らは勇敢で、誠実で、揺らがぬ信念を抱く、真摯な人々だったから。もちろん、戦場の狂熱が、彼らから理性を奪い去ってしまうことは、あったにしても――それから、我らがオンドルフ閣下に限っては、誠実と真摯の美徳など持ちあわせていないにしても。
だから私は、自分が革命軍を率いることになったとき、興奮を隠せなかった。
今も、共和国市民軍を率いるという立場に、大きな誇りを感じている。
だが――この偉大な戦争は、いつまで「保つ」のだろう?
(彼のその抽象的な言葉に、私は言いようのない怖気を感じた。
それは、彼の言葉を借りるならば、「直感的な」恐怖だった。
それでも彼は、敵陣に突撃する騎兵隊のごとく、その恐怖に向かって突っ込んでいく)
伝書使の成しとげてきた業績は、偉大という言葉以外に、適切な言葉が思いつかない。また彼らの人柄も、優れた軍人の資質にあふれていた。巷で話題になっている件の女伝書使も、数回会ったことがあるが、尊敬できる軍人だと直感したものだ。
しかしそこに、何か、どこか、違和感が残ったのも、事実だ。
もし伝書使が、軍人として望ましい資質を完全に備えていると言えるならば。
軍隊はやがて、伝書使のような人材こそを、育てていくことになるだろう。
そうやって育てられた軍人たちが戦う戦争は、どんな戦争に成り得るのか?
そこには本当に、あの革命戦争においてすら輝いていた、人としての生き様が、残り得るのだろうか?
むしろ戦争は、人を人たらしめるものを……あるいは人そのものを、不要としていく――つまり最終的には、人間は戦争から阻害されるのではないか?
そしてその前段階として、人間は戦争において、人間であることを拒否されるのではないのか?
(彼はここで口をつぐむと、本格的な沈思黙考に入った。
私は彼の思索を邪魔しないよう、静かに一礼すると、その場を去った)




