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大山勝三:『伝書使の帰還』2章;2021

『エルシュペー伯爵夫人の取材手記』に記録されているのは、当然ながら、伯爵夫人が『伝書使は還らず』を執筆する以前の状況である。

 ここでは取材手記に登場している人物のその後を、簡潔に紹介する。


■デニス・ミコラーシュ

 エルシュペー伯が、とある新聞記者に語ったとされる談話を理由として弾劾された「新聞裁判」において、ミコラーシュは首都防衛軍を率い共和国裁判所を包囲することで、エルシュペー伯の無罪を勝ち取った。この「赤い木曜日事件」によって共和国の司法は機能不全に陥り、共和国警察と共和国軍(ミコラーシュ派閥)の対立は頂点に達する。

 レインラント共和国の司法制度を破壊したという点において、「赤い木曜日事件」は10年戦争勃発に向けたターニングポイントとなった。これに対しては長年、ミコラーシュの軍事的な暴走が10年戦争を引き起こしたという解釈が支配的であったが、1990年に「新聞裁判」の記録が発見されたことにより、裁判そのものが極めて歪な形で進行していたことが明らかになった。「新聞裁判」の段階で、既にレインラントの司法は有名無実化していたというのが、現在の定説である(もちろんこれは、ミコラーシュによる軍事的な司法乗っ取りを肯定するものではない)。

 旧革命軍兵士に対する特別恩給の削減に端を発した5月暴動においては、暴徒と直接対峙して説得を試みるも、何者かに狙撃されて重傷を負う。これに乗ずるように、旧貴族派の共和国軍が治安警察と共同でデモ隊に発砲を開始(「皇帝通りの虐殺」)。これにミコラーシュ派と旧革命軍派が対抗する形で市街戦が始まり、ここから10年に渡る悲惨な内戦が始まった。

 ミコラーシュは一命を取り留め、その後はミコラーシュ派を中心として形成された白軍の総司令官として内戦を最後まで戦う。戦後はファールン王国に亡命し、その地で生涯を閉じた。


■イグナーツ・オンドルフ

 混迷する共和国政界において、優れた調整役として、また容赦なき脅迫者(ブラックメイラー)として、中心的な存在であり続けた。

 しかし「新聞裁判」は、彼の調整能力が限界を超えたことを露呈させた。旧貴族系支持者のパーティに参加した彼は、エルシュペー伯が起訴されたという知らせを聞き、「そんな馬鹿なことをした奴は、どこのどいつだ!」と叫んで激しく取り乱したと伝えられている。

 その後しばらく、共和国政府における彼のプレセンスは急激に弱まっていった。「オンドルフ閣下が腑抜けていなかったら、赤い木曜日事件で共和国警察がメンツに泥を塗られることもなかった」とは、当時、共和国警察に勤務していた官僚の言葉である。

 だがこの段階で、オンドルフはこれから先のレインラントで何が起こるかを、正しく予測していた可能性がある。

 10年戦争の発端となった「皇帝通りの虐殺」が発生したとき、彼は共和国市民軍参謀本部長としてヴージェ皇国に外遊している。続く10年戦争の間も、彼はヴージェ皇国にとどまり続けた。

 そして10年戦争が終結し、半ば焦土と化したレインラント帝国に戻った彼は、レインラント帝国警察局で長官を務めることになる。


■フィッツ伯クレーメンス

 高齢を理由にレインラント政界にコミットしてこなかったフィッツ伯だが、10年戦争の勃発に際しては黒獅子軍(旧貴族系共和国軍派閥と治安警察を母体にした連合軍)にその席を置いた。

 もっとも、実際に彼が戦場に出ることは、一度もなかった。10年戦争が始まってから、3年後には病没している。

 フィッツ伯は、帝国において騎兵隊がいかに勇猛に戦ったかを伝える『帝国騎兵讃歌』を書き記したとされているが、その『帝国騎兵讃歌』は10年戦争の中で失われたものと思われる。


■エルシュペー伯トーレス

 政治から距離を置いていたエルシュペー伯は、「新聞裁判」で一躍政局の中心人物となった。だが彼は「帝都を騒がせ、市民と皇帝陛下の心を悪戯に乱した」ことを理由に職を辞し、自領での自主的な謹慎に入る。

 無論、これはエルシュペー伯もまた、来るべき戦争に備えたというだけに過ぎない。ミコラーシュが狙撃されたという情報を得た彼は、自領で練兵を重ねていた黒騎兵隊を率いて首都に進出。ミコラーシュ派が多数を占める首都警備隊と連携して一時的に首都を完全制圧すると、ミコラーシュが回復するまでの間、ショーシュ・バルマーとともに混成軍の指揮をとった。

 ミコラーシュの回復後は、結成された「白軍」における主力として活動。彼が率いる黒騎兵隊は、レインラント内戦における最強の部隊として畏怖と恐怖を集めた。

 主に練度の面で他勢力を圧倒していた白軍だったが、10年戦争が始まった6年目の9月、ラーデボイル会戦において大敗を喫する。長引く戦争の中で、政治的バックアップが弱い白軍は十分な補充を得ることができず、また練度に頼った戦いを繰り返してきたがゆえに、連戦による損耗が限界に達していたのである。

 ラーデボイル会戦において、黒騎兵隊は壊滅的な損害を受け、エルシュペー伯も戦死した。


■ニコラス・バルマー

 「新聞裁判」においてはエルシュペー伯側の数少ない弁護人として出廷し、「赤い木曜日事件」では首都警備隊の陣頭指揮をとり、「皇帝通りの虐殺」では旧革命軍派を糾合して前線で指揮をとった。

 10年戦争においても、彼は白軍の中心的人物となった。レインラント全土で常に戦い続け、最後まで決定的な敗北は喫しなかった。派手さには欠けるものの、彼が指揮する部隊は白軍のワークホースとして、確実な戦果を挙げ続けたのである。

 戦後はミコラーシュと同じくファールン王国に亡命した。亡命から5年後には、ファールン国軍に彼の名を見ることができる。また後に発生する北方戦争(ファールン・レインラント戦争)でも彼の名が参謀本部のメンバーとして確認できるが、実際に彼がそこでどれほどの仕事を成したのかは、今後の研究が待たれる。


■ショーシュ・ティサ

 「赤い木曜日事件」まではミコラーシュに対して批判的であったが、「皇帝通りの虐殺」を機にミコラーシュ派に所属することを決意する。

 白軍の参謀本部長としてその才能を遺憾なく発揮し、純軍事的に見れば極めて勝算の低い戦いにおいて、何度も奇跡的な大勝利へと白軍を導いている。

 だがそんな彼の神算鬼謀も、ラーデボイル会戦において限界を迎えた。この会戦において、黒獅子軍はショーシュがこれまで巧みに利用してきた散兵戦術を模倣し、これをもってエルシュペー伯の黒騎兵隊を撃破したのである。

 この敗戦が彼に与えたショックは大きかった。それでもなお彼は、バルマーを中核とした機動防御で戦線を支え続けたが、10年戦争が始まって9年目の12月、何者かに暗殺される。

 彼の死はすなわち、白軍の決定的な崩壊を意味した。事実、19世紀から21世紀中葉に至るまで、「ショーシュ・ティサは人格的に多大な問題を抱えた指揮官であった」という説が、レインラント帝国においては定説となっていた。それくらい、敵にとってショーシュは、忌むべき指揮官であったのだ。

 ちなみに、彼の名はレインラント史以外にも残っている――数学史においても、「ショーシュ予想」という形で、彼の名は刻まれているのである。


■フェルディナント・ヴラナー

 彼の評価は、非常に難しい。特に同時代人からの評価が、人によって大幅に異なるためだ。

 現状で定説となっている範囲で言えば、彼は10年戦争が始まった段階で自分の生まれ故郷に帰り、戦争中はずっと故郷から一歩も出なかった。

 だが彼が何もしなかったというわけでは、ない。彼は〈最も名誉ある貴族〉の館の警備責任者として、血と硝煙があふれる首都から、ビューラー1世を己の故郷へと「避難」させたのである。

 彼の一連の行為は、似たような立場の軍人や政治家たちを自分の基盤となる土地に引きこもらせ、そこで事実上の独立国を作ってしまうという風潮を、一気に推進させた。10年戦争がここまで長く、また犠牲者の多い戦争になった原因のひとつは、この「群雄割拠」状態の成立にある。

 彼の同時代人のうち、軍人を筆頭に、実際に戦場で戦った人々は、彼のことを極めて低く評価する傾向がある。だが彼の故郷の人々からは、「ヴラナーのとっつぁん」として、今なお愛される人物となっている。


■エリアス・ザートペク

 彼の名前は、「皇帝通りの虐殺」を報道する記事の中に、見ることができる。

 だが彼がいつ、どこで死んだかすら、現状では判明していない。


■アレンカ・マーショヴァー

 10年戦争が始まってからは、共和国警察外事2課を辞し、エルシュペー伯爵夫人の護衛として行動していたようだ。

 戦後はヴージェ皇国に一時期亡命していたようだが、オンドルフと共に帰国し、帝国警察局の外事部長としてその名を残している。

 生涯未婚だったが、晩年に養子をとり、「マーショヴァー家」を継がせた。マーショヴァー家は現在も続いており、2013年には「エルシュペー伯爵夫人との約定に基き」、マーショヴァー家に代々伝えられてきた『エルシュペー伯爵夫人の取材手記』が公開された。


■ヴォイグ

 彼の名前は、『エルシュペー伯爵夫人の取材手記』以外には見ることができない。


■オチェナーシェク公ヤロスラーフ

 「新聞裁判」「赤い木曜日事件」「皇帝通りの虐殺」のいずれに関しても、オチェナーシェク老の関与ないし関係を裏付ける史料は存在しない。実際、直接的な関与はしていなかった可能性も高い。

 10年戦争が始まって、4~5年目に病没しているものと思われる。

 現在のオチェナーシェク家は、巨大な資産を運用する国際企業であり、その総資産額は想像を絶する。多くの学問や芸術にも出資しており、歴史と伝統こそあれど、オチェナーシェク財団なしには立ち行かない芸術祭や国際学会といったものは、枚挙にいとまがない。


■ラウラ・クリムコヴァ

 「赤い木曜日事件」によって、クリムコヴァ大統領とミコラーシュ大将の対立は決定的かつ不可避なものとなった。

 だが「皇帝通りの虐殺」は大統領にとっても予想外だったようで、何度も「至急発砲を止めるように」という大統領令が発行されている。

 白軍が共和国の持続を公約し、黒獅子軍が帝政の復活を掲げるなか、大統領は黒獅子軍にその身を寄せた。この選択は長年に渡って謎とされており、現状においても決定的な史料は見つかっていない。

 また、クリムコヴァ大統領は白軍支持者によって暗殺されたというのが定説になってきたが、それが何年のことかははっきりしていない。これについては最新の研究が「クリムコヴァ大統領は自殺した可能性がある」ことを示しているが、現状では詳細は不明という結論を下すほかない。


■ビューラー1世

 「皇帝通りの虐殺」にあたって、〈最も名誉ある貴族〉であるビューラー1世から、発砲と交戦の即時停止を訴える声明が出されたが、いずれの側からも完全に黙殺された。これは、それまでは漠然と存在した〈最も名誉ある貴族〉に対する敬意が、名実ともに雲散霧消した瞬間でもあった。

 首都での騒乱が拡大するにつれ、ビューラー1世が謹慎していた館の警護責任者であったヴラナーが、ビューラー1世を拉致する形で(直衛のコール傭兵に戦死者が出たという記録が残っている)地元へと連れ戻した。

 これによって〈最も名誉ある貴族〉の権威と名誉は完全に地に落ちたが、それゆえに、血で血を洗う10年戦争において、〈最も名誉ある貴族〉およびその家族が暗殺や誘拐の標的となることもまた、なかった。「黒獅子派」すら、次期皇帝はファールン王室からビューラー皇帝の縁戚を迎える方針であることを、公言していたのである。

 だが10年戦争は、誰もが想像した以上に、レインラントを荒廃させた。当初は乗り気だったファールン王室すら、内戦後のレインラントに親族を送り込むことを拒んだのである。

 かくしてビューラー1世は新生レインラント帝国(第2帝政)最初の皇帝として、復位することになる。

 ビューラー1世が復位してからの治世は12年に及び、病没後はアーデルベルト3世がその後を継いだ。復位後は詩人として、また公的な詩集の編纂者として名を残し、ビューラー1世が自ら書いた恋の詩は、今なお流行歌の歌詞の一部として引用されることがある。


■エルシュペー伯爵夫人リュシール(またはリュシール・アルダン)

 『伝書使は還らず』で一躍人気ジャーナリストとなった彼女は、その後も活発な活動を続けた。

 だが、当時はまだ愛人であったエルシュペー伯が自領に謹慎するのにあわせて、リュシールもそれに付き従い、首都での活動を停止する。伯爵の謹慎中は、伯爵領の豊かな田園風景を讃える詩を書いたり、領内に点在する温泉地を紹介する文章を首都の新聞に寄稿したりしている(なお彼女は、詩の才能には恵まれなかったようだ)。

 10年戦争が勃発してからは、黒騎兵隊の制服を着て、彼らと行動を共にした。白軍結成後は白軍のスポークス・ウーマンとして対内・対外の折衝や交渉を一手に引き受け、タフ・ネゴシエーターとしてその名を知られるようになった。彼女と交渉した外交官や政治家たちは、往々にして彼女を激しく罵倒しつつも称賛する日記を残しており、ここからも彼女の人となりが伺える。

 ちなみに、この頃の彼女の姿は、オストワルトの代表作『演説するリュシール女史』に見ることができる。画面中央で何かを訴えかける彼女の背後には、アレンカ・マーショヴァーとクラリッサと思しき人物も確認可能だ。

 10年戦争が始まって4年目の3月、暗殺未遂事件が発生する。同じ年の4月に、彼女はエルシュペー伯と正式に結婚しているが、この暗殺未遂事件が決定的なきっかけとなったのは、ほぼ間違いないだろう。

 エルシュペー伯が戦死してからも、彼女は精力的に活動を続けたが、10年戦争7年目の11月に病に倒れ、1ヶ月ほど死線をさまよった後、年を越すことなく没した。

 享年29歳。遺言に則り、伝書使の制服に身を包んで葬られたという。


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