有能という名の迷惑
ルーデン国にて行われた近隣3国を招いた外交会議、そして晩餐会は滞りなく終了した。
オードブル、スープ、メインディッシュ、デザートに至るまで、見た目も美しく、味も素晴らしいものばかり。
「いやあ、実に見事な料理でしたな」
「ええ、全く。メインの牛肉はノルディア地方ですかな? 旨味が凝縮されていて非常に美味でした」
「はい、ノルディア地方のものです。コックに伝えておきます」
そう穏やかに交わされる会話の中、ヴェスパリア国の若き宰相であるニコラス・ハルトマンは内心では少々落ち着かなかった。
何故なら彼は半年ほど前に、この国の伯爵令嬢であるアメリア・クロイツェルと婚約を結んでいる。
彼女を見出したのは、使節団として訪問した時だった。滞在時間は限られており、国王との謁見や各大臣との会談など、予定はぎっしりと詰まっていた。しかし、組まれた日程には無理がなく、移動時間や休憩時間まで考慮され、会談の順番も議題に応じて適切に配置されていた。
よって予定した交渉は全て滞りなく終えることができ、ニコラスはこれほど複雑な日程を見事に組み上げた事務官がいることに驚き、興味を持った。
さらに晩餐会でヴェスパリアでは馴染み深い、羊肉の煮込みが出されたのにも感動した。
紹介して欲しい旨を伝えアメリアと出会い、言葉を交わせば交わす程彼女の聡明さに惹かれ、ヴェスパリアに迎え入れたい旨を申し入れたら、『はい、わたくしでよろしければ是非』と微笑んでくれた時には嬉しかった。
当時アメリアはルーデン国第二王子の婚約者だったが、政略であること、さらに2人の仲が冷え切っていたこともあり、比較的スムーズに迎え入れることが出来たのだが。
(このことについて、全く触れられないのが気にかかる。だが、私の方から切り出すのも……)
アメリアからは「私がいなくなれば、ルーデン国は立ちいかなくなるでしょう。戻って来て欲しい、などと請われましても断ってくだいませ」と言われている。
ニコラスはその言葉を、決して大げさだとは思わなかった。むしろ、アメリアほどの才覚を持つ者が一人欠けただけで国が傾くのなら、それは彼女一人に頼り切った国の問題だと考えていた。
しかし、今に至るまでそのことに触れる者は、誰一人いない。
さらにルーデン国が立ちいかなくなった、という話すらも出ていない。いや、立ちいかなくなったらこの場に呼ばれることすら無い筈だ……とここまで考えたところで。
「ハルトマン殿は、いかがでしたかな?」
ルーデン国宰相ローレンツ・ケルンにそう尋ねられ、ニコラスは内心で慌てつつも口を開いた。
「はい、大変美味しくいただきました」
「それは何より」
ローレンツの目が静かに細められる。
その底知れない光に妙な胸騒ぎを感じ、ニコラスはそっと膝の上で手を握り込んだ。
「以前いただいた羊肉も美味でしたが、こちらもまた格別ですね」
瞬間。
空気が明らかに変わった。
「……あれは『特別』にお出ししたものですので」
ローレンツが静かにそう答えた。
他2国の宰相は互いに顔を少しだけ見合わせたが、沈黙を保っている。
「お気遣い、ありがとうございます」
ニコラスはそう答える他はなかった。
笑顔はきちんと出来ているだろうか、と思いながら。
「……」
ベッドに身を横たえたものの、なかなか眠気が訪れない。
外交会議、そして晩餐会で張り詰めた空気、そして何故だか分からないが妙な胸騒ぎがして落ち着かなかった。
目を閉じ、何度目かも分からない寝返りを打ち……ニコラスは上体を起こして、はあ、と溜息を吐いた。
少し外の空気を吸ってみよう。
幸いにも、ある程度の散策は許されている。
ニコラスはベッドから降りて、ドアをそっと開けた。控えていた護衛に散策をしたい旨を伝えれば「承知いたしました」と頷いて、後ろへと付く。
上品な調度品や、色鮮やかな花が並ぶ廊下を静かに通り抜け、庭園へと出てみる。
月光に照らされた庭園は、昼間とはまた違った神秘的な美しさだった。少しひんやりとした空気の中に混じる甘い香りは、花のものだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると。
「あー、疲れたぁ、朝の仕込みやっと終わったよ」
「お客様が多いと大変だよな~」
聞こえて来た声に、思わず足を止める。
話している内容からして料理人のようだ。何時の間にかこんなところにまで入ってしまったか、とニコラスが歩を戻そうとすると。
「ヴェスパリア国の宰相様が来るとはなぁ」
己のことを言われている、と自然と足が止まった。
「あー、あの時はまいったよな。三日前だったっけ?」
「そうそう、晩餐会のメニューが変更になったの」
「ありえねーよな。材料取り寄せて、あと調整だけだって時によ」
三日前?
いくら何でも非常識なことぐらい分かる。
驚愕しているニコラスを他所に、料理人たちの会話は続いた。
「ウィリアム殿下の婚約者だったクロイツェル様の指示だったんだろ?」
「ああ、ヴェスパリア国の文化に合わせてってな。こっちじゃ、羊を食べる文化は無いってのにマジか? って思ったね」
「『食用』の羊は飼育してないってのにな」
ほんとほんと、とけらけらと笑い声が響く。
「食用の羊取り寄せるんじゃ間に合わないからって、無理やり『羊毛用』の羊買い取ったんだろ? あれ高かっただろうな」
「依頼に来た文官の人、めっちゃ恐縮してたよな。『申し訳ありません』連発してさ、ほんと可哀想だったよ」
「で、肝心の味は、理長の腕でもあれが限界だったよな」
「あー、俺も味見したけどさ……うまかぁない、って感じ」
「それそれ。微妙だったよな。あんなものお出しするなんて、外交問題に発展すんじゃないかって冷や冷やしてたよ」
そんなに酷い味だったのか、とニコラスは愕然とした。
こちらの文化に合わせてくれた、それが嬉しくて舌が正常に機能していなかったのだろうか。
「でも、宰相様は『美味しかった』んだってさ。今日も言ってたんだと」
「マジか? 馬鹿舌ってヤツ?」
「おいおい、不敬だぞ。味オンチかもしれないだろ」
「お前だって不敬じゃねーか」
言いたい放題だが、ニコラスは動かなかった。
いや、動くことが出来なかった、と言った方が正解かもしれない。
「それにしてもさ、座れば自動的に食事が出て来る身分の人って、考えが足りないよなー」
「あー、分かる。材料があればいいでしょ、じゃないって。それを料理にする人がいるってこと分かってないよな」
「まさかとは思うけど、肉がもう処理済みの状態で歩いてる、とか思ってんじゃね?」
「うわー、怖いこと言うなよ。けどあり得なくもないのが、もっと怖い! でもその考え目の当たりにしたのって、やっぱクロイツェル様だよな」
ぎく、と己の身体が強張るのを感じた。
心臓の鼓動が、どく、どく、と速く鳴る。
「あの方がいた部署に友達がいるんだけどさ、すっげー愚痴られたよ。一人で勝手に仕事抱え込んで、分担させてくれないってさ。手伝いますって言っても『わたくし一人でやった方が早いので結構です』とか何とか言って断られるんだと」
「なんだそれ? 手伝ってもらった方が効率良いじゃん。仕事の内容にもよるけどさ」
「だよな。しかも殿下の婚約者だから強くも言えねーし」
「えー? まさか『仕事を一人でやっている健気なわたくし』みたいに悲劇のヒロイン気取ってるとか?」
「あり得そうで怖いな」
力ない笑いが妙に鼓膜を打った。
確かに出会った際、アメリアは酷く疲れて見えた。化粧でも隠せない目の下のクマ、血の気の無い白い肌は明らかに栄養が足りていない。
あの時は気丈に振舞っていた、と思っていたが、勝手に自分に負担をかけて勝手に疲れていたとしたら……?
『悲劇のヒロイン気取ってるとか?』
先程聞いた言葉が、妙に脳裏に響く。
まさかそんなこと、アメリアが。
あり得ない、と言い聞かせるが、一度芽生えた疑惑は消えてはくれない。
「辞める時も一切引継ぎなしだったんだってさ」
「そりゃ酷い。俺らは引継ぎなしでも何とかなるけど、文官だろ? しかもあの方一人でやってたんなら、絶対引継ぎしないとダメじゃねーか」
「そうだよな。だから数ヵ月は大混乱だったって。勝手に妙な勘定科目作るわ、書類の書式を勝手に変更するわ、帳面の収納位置が妙な記号になってるわ」
「え? 位置が記号ってなに?」
「あの方曰く『効率化された独自の略記法』だったんだってさ」
「それ暗号だろ。ってかその方以外に読めねーって意味ないじゃん」
「な? 自分が抜けて困ればいい、とか思ってたんだろうな」
「それ働く人の姿勢としてどうなんだよ」
無しじゃね? と一人が言うのに、だよなぁ、ともう一人が答える。
「まー、今は落ち着いてるから良かったよな」
「確かに。ってかさぁ」
一人がそう前置きしてから、言った。
「あの方が辞めてくれて良かったよな」
「……っ」
妙な声を出しそうになるのを、ニコラスは咄嗟に手で押さえた。
それを知らずに、2人の会話は続く。
「貴族会議の時にお出しする菓子にも口出してきてさぁ、正直鬱陶しかったぜ」
「ほんとほんと。やれあそこのご貴族様は甘いものが苦手だから、とか、やれあちらのご貴族様はナッツ類が苦手だから、とかさぁ。いや、身体に合わないものだったら、お命に関わるから注意しないとだけど、好き嫌いの範疇まで把握できねーっつの」
「そうだよ。一人一人に違うお菓子作るだけでも手間だってのにな。しかも当日に『こちらのお菓子に変更してください』とかさぁ、ほんっと作る人間のこと考えてないよな」
「あの方が辞めて、菓子の統一ができるようになって良かったよな。材料が無駄にならないし」
「てか気に入らなきゃ残せば良いだけだしな。それは俺たちが食う!」
「胸張るなよ、そんなことで」
微かな笑い声が、何故か自分を責めているようにニコラスは感じられた。
「あの部署も絶対同じこと思ってるよ」
「戻って来てほしい、とか絶対無いよな」
トドメ、ともいえる言葉に、思わず強く胸を押さえる。
「あー、こんな時間かぁ。もう帰ろうぜ」
「そだな」
さく、さく、と草を踏みしめる音が、徐々に遠くなった。
それが聞こえなくなったところで、ニコラスは大きく息を吐く。
「……大丈夫ですか?」
護衛が気遣うが、彼もまた顔色が悪い。
「ああ……。我々も戻ろうか」
ニコラスは拳を痛い程握り締め、彼らとは全く別の方向へ足を進めた。
「おかえりなさいませ」
アメリアの出迎えに「今戻ったよ」と答える。
「いかがでしたか?」
「ああ、会議は無事に終わったよ」
そう答えると、アメリアの瞳が変わった。
「いえ、そうではなく……」
言い淀む彼女の口元が、持ち上がりそうになっている。
瞳に宿る光は、何かを期待していると分かってしまった。
「特に変わったことは無かったよ」
淡々と事実だけをそう答えると、アメリアの瞳が僅かに見開かれる。
そんな筈は、と言いたげな顔に気付かないフリをして、ニコラスは自室へと向かった。
(考えてみれば、『お役に立ちたい』と妙に職務の中枢まで探ろうとしていたな。意見を述べる時も控えめな態度を装いながら、主張を強引に押し通す姿勢が見られる)
第二王子との仲が冷え切っていたのは、その辺りが原因なのだろうかと思わずにはいられない。
だとすれば、あっさりと婚約を解消したのも、ルーデン国との間に何の問題も起こらなかったのも納得がいく。
徐々にメッキが剥がれているのが感じられて、溜息を吐く。
未だ婚約中でまだ結婚していないのが救いだろうか。
(考え直す必要がありそうだ)
だが見出してしまった責任は取らないといけない。
ニコラスは少々痛み始めた頭を、そっと手で押さえた。
(終)




