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見えない傷

作者: 霜月希侑
掲載日:2026/05/31

精神科病棟の食堂は、昼になると妙に明るかった。


窓から差し込む光は白く、テレビからは賑やかな音が流れている。


私はいつもの席に座りテレビを見ていた。


すると近くの椅子に腰をかけた患者さんが笑いながら言った。


「芽以ちゃん、めっちゃ元気やん」


私は曖昧に笑った。


「そうですね」


「そうやって普通に話せるし、いつも笑ってて元気そうだし、ご飯も全部食べてるし。早く退院しないの?」


周りの人も頷く。


「わかる。元気そうやもん」


「羨ましいわ」


悪気なんてないのはわかっていた。


それでも胸の奥がぎゅっと痛んだ。


私は笑ったまま頷き、話題が変わるのを待った。


部屋に戻ると、急に涙が出てきた。


元気そう。


何度も言われた言葉だった。


ご飯を食べているから。


笑っているから。


眠れているから。


だから苦しくないと思われる。


だけど本当は違う。


夜になると理由もなく心が空っぽになる。


未来が怖くなる。


誰かに嫌われたのではないかと不安になる。


幸せなはずなのに、なぜか消えてしまいたくなる。


そんなことは誰にも見えない。


見せ方もわからない。


私は布団をかぶって泣いた。


泣いている自分が情けなかった。


他の患者さんにはもっと大変な人がいる。


食べられない人もいる。


眠れない人もいる。


私は元気な方だ。


そう思おうとするほど苦しくなった。


夕方。


少し気持ちを落ち着けようとデイルームへ向かった。


そこには年上の男性患者がひとりで座っていた。


私の顔を見るなり言った。


「泣いた?」


驚いて顔を上げる。


「え?」


「目、赤いよ」


私は困ったように笑った。


「いや、ちょっとだけ」


男性はしばらく黙っていた。


そして窓の外を見ながら呟いた。


「みんな元気そうって言うけどさ」


私は顔を上げた。


「ちゃんと芽以ちゃんにも闇があるの、わかるよ」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で固まっていた何かがほどけた。


大丈夫、と言われたわけではない。


励まされたわけでもない。


病気だと認められたわけでもない。


ただ、


「わかるよ」


そう言われただけだった。


それなのに涙がこぼれそうになった。


見えていたんだ。


私の笑顔の向こう側を。


元気そうな顔の奥にあるものを。


誰にも伝わらないと思っていたものを。


男性は少し笑った。


「人の苦しみなんて、外からじゃわからんからね」


私は小さく頷いた。


窓の外は夕焼けだった。


病棟をオレンジ色に染める光が、静かに差し込んでいる。


その日初めて私は思った。


もしかしたら、自分の傷は見えなくてもいいのかもしれない。


誰にでも証明する必要はない。


たった一人でも。


「わかるよ」


と言ってくれる人がいるなら。


それだけで、人は少しだけ明日を迎えられるのかもしれなかった。

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