見えない傷
精神科病棟の食堂は、昼になると妙に明るかった。
窓から差し込む光は白く、テレビからは賑やかな音が流れている。
私はいつもの席に座りテレビを見ていた。
すると近くの椅子に腰をかけた患者さんが笑いながら言った。
「芽以ちゃん、めっちゃ元気やん」
私は曖昧に笑った。
「そうですね」
「そうやって普通に話せるし、いつも笑ってて元気そうだし、ご飯も全部食べてるし。早く退院しないの?」
周りの人も頷く。
「わかる。元気そうやもん」
「羨ましいわ」
悪気なんてないのはわかっていた。
それでも胸の奥がぎゅっと痛んだ。
私は笑ったまま頷き、話題が変わるのを待った。
部屋に戻ると、急に涙が出てきた。
元気そう。
何度も言われた言葉だった。
ご飯を食べているから。
笑っているから。
眠れているから。
だから苦しくないと思われる。
だけど本当は違う。
夜になると理由もなく心が空っぽになる。
未来が怖くなる。
誰かに嫌われたのではないかと不安になる。
幸せなはずなのに、なぜか消えてしまいたくなる。
そんなことは誰にも見えない。
見せ方もわからない。
私は布団をかぶって泣いた。
泣いている自分が情けなかった。
他の患者さんにはもっと大変な人がいる。
食べられない人もいる。
眠れない人もいる。
私は元気な方だ。
そう思おうとするほど苦しくなった。
夕方。
少し気持ちを落ち着けようとデイルームへ向かった。
そこには年上の男性患者がひとりで座っていた。
私の顔を見るなり言った。
「泣いた?」
驚いて顔を上げる。
「え?」
「目、赤いよ」
私は困ったように笑った。
「いや、ちょっとだけ」
男性はしばらく黙っていた。
そして窓の外を見ながら呟いた。
「みんな元気そうって言うけどさ」
私は顔を上げた。
「ちゃんと芽以ちゃんにも闇があるの、わかるよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で固まっていた何かがほどけた。
大丈夫、と言われたわけではない。
励まされたわけでもない。
病気だと認められたわけでもない。
ただ、
「わかるよ」
そう言われただけだった。
それなのに涙がこぼれそうになった。
見えていたんだ。
私の笑顔の向こう側を。
元気そうな顔の奥にあるものを。
誰にも伝わらないと思っていたものを。
男性は少し笑った。
「人の苦しみなんて、外からじゃわからんからね」
私は小さく頷いた。
窓の外は夕焼けだった。
病棟をオレンジ色に染める光が、静かに差し込んでいる。
その日初めて私は思った。
もしかしたら、自分の傷は見えなくてもいいのかもしれない。
誰にでも証明する必要はない。
たった一人でも。
「わかるよ」
と言ってくれる人がいるなら。
それだけで、人は少しだけ明日を迎えられるのかもしれなかった。




