エピソードゼロ 思い出のイルフロッタント
春の陽射しで柔らかな午後…翔子は喫茶店「樹」で紅茶を飲みながらスマホを操作しています。
「ん!?なになに…
「美食の国フランスで愛されるデザートはこれ!フランスで食べるべき人気スイーツTOP10」
か…」
翔子はスマホの画面を見ながら、喫茶店「樹」で次に出す新作スイーツについてリサーチをしていたのでした。
「ちょっと参考までに…」
翔子はそのサイトのランキングを見てみる事にしました。
1位フォンダン・オ・ショコラ
2位クレープ
3位チョコレートムース
4位イルフロッタント
5位リンゴのタルト
6位ティラミス
7位クレームブリュレ
8位シュークリーム
9位ミルフィーユ
10位いちごタルト
「成る程ね、やっぱり王道のスイーツが並ぶよね」
と思っていましたが、
「ん?イルフロッタント?」
翔子は聞いたことがないスイーツが4位になっている事にちょっと驚きました。
「えっと…
イルフロッタント
かなりのフランス通でない限り聞いたことのないデザート、イルフロッタント。イルフロッタントとは、浮いた島を意味します。名前の通り、カスタードクリームの上にメレンゲが浮いたスイーツです。 メレンゲとカスタードクリームの組み合わせが絶妙なデザートです。
へー知らなかったな…
そうだ!次の新作にこれはどうかな?シャロンさんに提案してみよう!」
翔子はシャロンにイルフロッタントを新作スイーツにどうかと話してみました。
「イルフロッタントか…」
「?気が進みませんか?」
シャロンの反応が余りに良くないので、翔子は戸惑います。
「あ、ごめんね…イルフロッタントは…」
「イルフロッタントは樹の大好きなスイーツだったんだヨ」
厨房からカウンターに出てきたジャンがそう言った。
「お父さん…」
「あ…ごめんなさい、私…」
知らなかったとはいえ、亡くなった最愛の人を直接連想させるような事を言ってしまったと、翔子は後悔した。
「ノンノン!ショウコが謝る事ではありませーん、ほらRire(笑って)Rire(笑って)!」
そう言ってジャンはおどけてみせた。
「ショウコは17歳だったネ…ボクが樹と出会ったとき、樹も17歳だったんだヨ」
ジャンは翔子にそう教えてくれた。
「…でも、もう随分と作ってないですネ、イルフロッタントは…」
店の奥に飾られてある、少し色褪せた写真を見ながらジャンは思い出を語り始めた。
『ボクはジャン・ピエール、フランス人だ。
今ボクは、日本でパティシエをやっている。
フランスで天才シェフなんて呼ばれてちょっとした有名人だったボクが何故日本なんかにいるかと言うと…
『本場フランスの味を店で出したいんだ、ぜひ日本に来てくれ、いや、来てください!』
と、日本の有名フランス料理店のオーナーから直接頼み込まれて日本にやって来たのさ!
カラン…
『いらっしゃいませ』
都内でも名の知れた有名店、ここに入店するにはちょっと不釣合な格好の若い女性が来店してきた。
『お客様、ただいま当店ではフランスのデザートフェアをおこなっております。』
『ではイルフロッタントをお願いします。』
彼女はメニューも見ずにイルフロッタントを注文してきた。
『イ、イルフロッタントでございますか?』
『そうよ?知らないの?』
『あ、いえ少々お待ちを…』
ホールから戻ったウェイターが、慌てた様子でボクに聞いてきた。
『ジャンさん!イルフロッタントってできますか?』
『へぇ~、イルフロッタントを頼む日本人なんているんだな…』
ボクはちょっと驚いてオーダーしてきた客の顔を見たくなった。
『あれ?なんだよ女の子?それも随分若そうだな』
雑誌のフードライターか何かだと思っていたのに…
『いいよ、作ってやるよ』
とオーダーを受けることにした。でも…
『あんな子供に、どうせ味なんか分からないさ』とボク適当に作った。
『お待たせしました、イルフロッタントでございます。』
『ありがとう』
だけどボクの作ったイルフロッタントを食べた彼女は…
『こんなのイルフロッタントじゃない!』
と怒りだした。
『も、申し訳ありません、只今シェフを呼びますので』
『シェフ?専門のパティシエではないの?』
『あ、さようでございます(汗)』
ボクが彼女の前に姿を見せると、
『あなたが作ったの?』と聞いてきた。
『そうだよ』とボクが答えると、
味の悪さ、見た目など、彼女は全て的確に指摘した。
正直ボクは驚いた。
『キミ、何者なんだ?』
『私はデザートが好きなだけよ、特にイルフロッタントがね。』
とだけ彼女は答えた。
『オーナー!』
『なんだねジャン君?またトラブルを起こしたみたいじゃないか…』
全く呆れたという様子のオーナーだったがボクはそれどころじゃ無かった。
『さっき来店したあの娘を雇って下さい!』
彼女の味覚の鋭さとデザートの知識の豊富さに、ボクは樹を雇えとオーナーに直談判した。
『…君は一体何を言ってるんだね!』
しかし今までのボクの態度も含め、今度もまたボクのわがままに嫌気が差したオーナーは
『もう付き合ってられん!君を解雇する!』
と、ボクはクビになってしまった…
『はぁ、参ったな…』
行き場をなくしたボクは公園のベンチで、これからどうしたものがとため息をついていた。
『あらあなた、有名なパティシエさんではなくて?』
散歩中だろうか、ボクは上品な老夫婦に声をかけられた。
落ち込んでいたボクは、喫茶店を営んでいるという老夫婦にクビになったいきさつを話した。
『それは大変ねぇ…行くところがないのなら…』
と、成り行きで老夫婦が営む小さな喫茶店に、ボクは転がり込むことになった。
『ここですよ』
老夫婦に連れてこられた喫茶店は、大通りから一本入った路地裏。そこは、時代に取り残されたような静寂を纏った喫茶店だった。
中に入ると青いメイド服姿の店員がいる…
『!』
『何であなたがここに!?』
そこに彼女がいた。
彼女は…樹はこの喫茶店でアルバイトをしていた。
これがボクと樹の出逢いだった。
その後
仕事が無いのならと、ボクはその喫茶店に雇われる事になった。
最初は嫌々仕事をしていただけだったけど、老シェフが作ったイルフロッタントを食べてボクは驚いた。
『こんな豊かな味わいのあるイルフロッタントは初めてだ…』
ボクはレシピを教えて欲しいと老シェフに頼んだ。
でも彼は『自分で見つけなさい』とやんわりと言われてしまった。
それからボクは老シェフに付いて仕事をするようになった。
端から見れば真面目に見えるように振舞った。
けれど樹に『シェフからレシピを盗みたいだけでしょ!』と見透かされてしまった。
だが『何も隠すつもりはないよ』と老シェフはレシピをボクに見せてくれたんだ…
翌朝、ボクは朝から出かけていた。
ボクの姿が見えないので
『アイツ、レシピを盗んだからフランスに帰ったんだわ!』と樹は憤慨していたらしい。
相変わらず失敬な奴だと思った。
老シェフが見せてくれたレシピに載っていた『サクラノシオヅケ』ってやつをスパイス専門店やフランス料理の材料が置いてある店とか…とにかく色んな店を回って探していただけなのにさ…
でも『ジャンそれは調味料じゃないよ』と笑いながら桜の塩漬けを手渡してくれたのは樹だった。
『このピンクの小さな花が、甘いソースにこれほどの深みを与えるなんて……』フランスの塩とは違う、春の香りがした…衝撃だった。
それからボクは老シェフの弟子になり、今度こそ本当に真面目に日本人の繊細な味覚に合うデザートを学んでいった。
樹は『ほら、ちゃんとすれば、ちゃんとなるじゃない!』とボクの背中を叩いた。
ちょっと痛かったけど…樹、ボクを応援してくれたのかな?
ボクは、樹の味覚の助けもあり日本人の繊細な味覚を理解していった。
そうやって一緒に働くうちに、最初は反目し合っていたボクと樹だったが、自然と惹かれ合うようになっていったんだ…
樹が18歳、ボクは30歳になった。
ボクは樹にプロポーズした。
『樹!お願いダ!僕と結婚して下サイ!』
『ずるいわよ…頼まれたら断れない性格だって知ってるくせに…』
そうしてボク達は結婚した。
ボク達の結婚式を老夫婦が喫茶店で挙げてくれた。
『私たちからのプレゼントだよ』そう言って老夫婦はボク達に店を譲ってくれた。
『シェフ…』
『私達はもう引退だけど、このお店は続いていくんだ…嬉しいじゃないか』
ボクはお礼にと、イルフロッタントを作って皆で食べた。
それから暫くして…
『これじゃお店、読めないネ』
店の看板が古くなリ店名が読めなくなった。
これを期に、老夫婦から譲り受けた喫茶店を改装する事にした。
喫茶店の名前は、大好きな樹の名前にした。
こうして喫茶店「樹」が誕生した。
『記念に店の前で写真を撮ってやるよ!』と商店街の写真館の店主がボク達の写真を撮ってくれた。
ボクはお祝いに、イルフロッタントを作り樹と食べた。
それから2年後…
ボク達の間に待望の赤ちゃんが産まれた!
『名前はシャロンにしよう」
『シャロン、あぁシャロンなんて可愛いの❤️』
ボク達は、いや三人はとても幸せだった。
ボクはこの時もイルフロッタントを作った。
イルフロッタントはボク達の幸せのスイーツだったんだ…この時までは。
シャロンが小学校に通うようになった頃
とても悲しい出来事が起こった。
『樹!』
喫茶店「樹」の店内で樹が倒れた。
『あ、ごめん…なさい、ちょっと立ちくらみしただけ…』
『すぐに病院へ…樹?しっかりして!樹!』
救急車で病院に向かう中で樹は意識を取り戻す。
『樹!』
『大丈夫だよ…心配しないで』
病院で診察を終え樹はすぐに入院する事になった。
『樹さんの病名は急性骨髄性白血病です。』
医者からそう告げられる…
『え…治りますよネ、先生、樹…治りますよネ!』
『…持って3ヶ月、早ければ数週間です。』
『!』
『残された時間を大切にしてあげて下さい。』
『樹になんて言えば…シャロンになんて言えばいいんだ…』
樹…
樹…!
樹…!!!
沢山の樹との思い出が頭をよぎる…
そうして、ボクは決心した。
ボクは樹の病室に入ると
『樹〜!明日には退院ダヨ!』
『え?本当に?良かった〜』
『樹!ほらRire(笑って)Rire(笑って)!』
そう言っておどけて見せた。
ボクは残された時間を、ボクと樹とシャロンの三人で、樹の大好きな喫茶店「樹」ですごすと決めた。
『退院のお祝いダヨ!』
『わぁ〜!イルフロッタント!』
樹のために作ったイルフロッタントは涙で少ししょっぱかった。
『…美味しい、私はジャンが作ってくれた、このイルフロッタントが世界で一番好きよ』
『!…あぁ…愛しているよ樹』
イルフロッタントを作ったのは、この時が最後になった。
樹が亡くなってから、もう15年も経ったんだね…
もうすぐ樹の誕生日…
このタイミングでショウコがイルフロッタントを思い付くなんて…
「シャロン、ワタシはイルフロッタント賛成ダヨ!」
「…お父さん、大丈夫なの?」
樹から「もう大丈夫だよね?」と言われている気がした。
「シャロン!ほらRire(笑って)Rire(笑って)!」
「もう…お父さんてば…」
父の気持ちが痛いほど分かるシャロン…
でも一歩踏み出そうとしている父に、自分も泣かずに頑張ろうと思った。
「ふ、ふえ〜ん(泣)」
テーブルの向かいに座って話を聴いていた翔子が泣き出した。
「ちょっ、ちょっと翔子ちゃん!?」
「ショウコ、なぜ泣ク?」
「だぁって〜、こんな話聞いたら、誰だって泣きますよ〜、え〜ん(泣)」
翌日、
カシャカシャカシャカシャ!
ジャンの泡立てるホイッパーの音が、いつもより力強く、リズムを刻んでいた。
横ではシャロンが、母と同じ真剣な眼差しでカスタードを見つめている。
ジャンとシャロンは新しいメニューとして、イルフロッタントを作った。
喫茶店「樹」の新メニュー「思い出のイルフロッタント」
皆さんの大切な人と召し上がって下さい
ほらRire(笑って)Rire(笑って)!
シャロンの喫茶店 エピソードゼロ 思い出のイルフロッタント 完
あとがきにかえて…
喫茶店「樹」誕生の物語をお届けしました。




