エピソード5 黒板の言葉と見えない棘
翔子が買ってきたアンティーク風の黒板は、喫茶店「樹」の入り口で、新しい「顔」として鎮座していた。
> 『今日もお疲れ様です。少し肌寒い午後には、シャロンさんが今朝焼き上げたフィナンシェをどうぞ。焦がしバターの香りが、あなたの心を温める魔法になります。――翔子』
>
翔子の綴る言葉は、単なるメニュー紹介を超えて、読む人の心に直接語りかける力を持っていた。
この「黒板メッセージ」がSNSで話題を呼び、店はかつてないほどの盛況を見せていた。
「翔子ちゃん、今日もフィナンシェ完売よ! 黒板を見て注文してくれる人が本当に増えたわ」
「ふふん、計算通りです。言葉は最高の調味料なんですから」
だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。
その日の閉店後、売上の集計をしていた翔子の手が止まった。
SNSで「#喫茶店樹」を検索していた彼女の目に、心ない言葉の羅列が飛び込んできたのだ。
> 『話題だから行ってみたけど、味は普通。JK店員が必死にポエム書いてて痛い(笑)』
> 『看板のパンケーキ、中がスカスカ。これならコンビニのスフレで十分。高すぎ。』
> 『フランス人パティシエの娘とか設定盛りすぎw 典型的なボッタクリ店。』
>
「……っ、何これ……」
一度見つけると、悪意は次々と溢れ出してきた。
特にシャロンの技術や、亡き母への想いまでをも「設定」と切り捨てる言葉に、翔子は激しい憤りを感じた。
「翔子ちゃん? どうしたの、そんな怖い顔して」
「あ……いえ、なんでもないです」
翔子は慌てて画面を隠したが、シャロンは静かに彼女の手元を覗き込み、そして、すべてを悟ったように悲しげな笑みを浮かべた。
「……そっか。私の作るもの、みんなをガッカリさせちゃってたんだね」
「違います! これはただの、顔も名前も出さない卑怯者の言いがかりで――」
「でも、そう感じる人がいるのは事実だわ。私、もっと完璧に作らなきゃ……」
翌日から、シャロンの様子が変わった。
客に喜んでもらうためではなく、「批判されないため」に。
彼女は何度も何度も生地をこね直し、少しの焼きムラも許さず、自分を追い詰めていった。当然、店内の空気は重くなり、皮肉なことに、あれほど好調だった客足が少しずつ遠のき始めた。
一週間後。
誰もいない閉店後の店内で、翔子は黒板をまっさらに拭き上げた。
そして、シャロンを客席に座らせると、一杯の「失敗作」のパンケーキを出した。
「食べてください。シャロンさんが今日、ゴミ箱に捨てようとしたパンケーキです」
「えっ、でも、それは膨らみが足りなくて……」
「いいから、食べて」
シャロンが恐る恐る口に運ぶ。
「……甘くない。それに、なんだか重い……」
「そう。それは、誰かを喜ばせるためじゃなく、誰かを恐れて作ったから。今のシャロンさんの心の色です」
翔子は黒板に、新しいチョークを走らせた。
> 『批判は、私たちが前へ進んでいる証。でも、私たちの魔法は、誰かを攻撃するためにあるんじゃない。大好きな誰かを笑顔にするためにある。明日のパンケーキは、少しだけ甘め。元気を出したいあなたのために。』
>
「シャロンさん。アンチの言葉は、ただの『ノイズ』です。私たちは、目の前で『美味しい』と笑ってくれる、たった一人のために作り続ければいいんです。……だって、ここの一番のファンは、私なんですから」
シャロンの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
自分の技術を信じてくれる軍師の、あまりに真っ直ぐな言葉。
「……ごめんね、翔子ちゃん。私、魔法を忘れてた」
翌朝。
入り口の黒板には、翔子の力強い言葉と、シャロンが描いた小さな「笑顔のパンケーキ」のイラストが並んでいた。
ネットの書き込みが消えたわけではない。だが、二人はもう怯えていなかった。
見えない相手に立ち向かう唯一の武器は、目の前の皿に注ぐ、精一杯の「愛」だと知ったからだ。
喫茶店「樹」の珠玉のフランス焼き菓子
コーヒーや紅茶に合う、本格的な焼き菓子です。
焦がしバターのフィナンシェ
アーモンドの香ばしさと、贅沢に使ったバターの風味が自慢。「焼きたて」を出すことで、路地裏に良い香りを漂わせます。
あとがきにかえて…
SNSに悪意ある書き込みをした人物は…
のちにシャロンに直接悪意を向ける事になります。
そのエピソードはまた今度…




