エピソード10 翔子の初恋ロールケーキ
喫茶店「樹」が、ジャンをフランスから呼び戻し、新たな活気に満ち溢れていた春の日。
いつものように開店準備に追われるシャロンと翔子の前に、新しい客が現れた。
スラリとした長身に、柔和な笑顔が印象的な20代前半の青年。
その清潔感のある佇まいは、まるで春風のようだった。
「あの、失礼します。こちらでパティシエを募集していると伺ったのですが……」
青年は「相葉 透」と名乗り、一人前のパティシエを目指して修行中だと翔子に話した。
最初、翔子は「また父の会社の偵察か、あるいはレシピを盗みに来ているのでは?」と警戒心を剥き出しにした。
だが、相葉の真摯な眼差しと、どんな質問にも穏やかに答える態度、そして何よりも彼の作るお菓子への情熱に触れるうち、翔子の心には少しずつ変化が生まれていった。
男性といえば、いつも厳しい口調の父親か、学校で馬鹿なことばかりしているまだ子供な同級生しか知らなかった翔子にとって、相葉透は初めて知る「大人の男性」だった。
彼の言葉一つ一つが新鮮で、時に翔子の知らない世界を見せてくれるようだった。
ある日の午後。
ドン!ガラガラガッシャーン!!「キャ〜〜!」
シャロンが厨房で派手に転倒し、スフレパンケーキの生地材料を半分以上ダメにしてしまった。
「ごめんなさい、翔子ちゃん……!」
「シャロンさん大丈夫!?」
「うん、だけど生地が…」
「あぁ…」
看板メニューを出せなくなり途方に暮れるシャロンと翔子。
「…シャロンさん、まだ生地残ってますよね?」
「あるけど、半分くらいしか…」
「だったら…」
相葉が機転を利かせ、冷蔵庫に残っていたフルーツと生クリームを使い、急遽ロールケーキを作ることを提案した。
「この生地なら、パンケーキとはまた違った柔らかさが出せます。それに、フルーツは今が旬ですから、きっと喜んでいただけますよ」
翔子も一緒に手伝い、相葉の指示のもと、普段は作らないロールケーキを仕上げた。
その日だけの特別メニューとして出された「樹のスペシャルロールケーキ」は、客たちから大好評を博し、無事にその日の営業を乗り切ることができた。
「ふ~、何とか乗り切れましたね」
「ありがとう〜!相葉君のお陰だよぉ!」
「…」
「翔子ちゃん?どうしたの?」
「あ、いや何でも…」
この一件以来、翔子の心には相葉への特別な感情が芽生えていた。
彼が隣にいるだけで胸が高鳴り、笑顔を見るだけで一日が明るくなる。
これこそが「恋」なのだと、翔子の敏感な心が教えてくれていた。
「翔子ちゃん!翔子ちゃん!」
「…はい?」
「コーヒー!溢れてる!!」
「へ?…あわわわ!」
「最近変だよ?さっきもぼ〜ってしてたし…あ、相葉君」
「❗」
「コーヒー溢れちゃたのか、翔子さん大丈夫?ヤケドしなかった?」
「だだだ大丈夫ですっ!」
ヤケドをしていないか手を取って確認する相葉と、顔を真っ赤にしている翔子を見て、シャロンは気が付いた。
「……………うふふ〜、翔子ちゃんったら♡」
しかし、そんな翔子の淡い恋心を知ってしまったシャロンは衝撃的な光景を目にしてしまう。
「…それでは失礼します。」
「はい、またよろしくお願いします!」
有名ホテルとコラボする話があり、シャロンはそのホテルに来ていた。
「やっぱりダメね…あれじゃ「樹」のクオリティが下がっちゃう。」
シャロンは紅茶でも飲んで気分を変えようと、カフェテラスまで足を運んだ。
「あれ?あそこにいるの相葉君じゃ……❗」
相葉は、有名ホテルのカフェテラスで、見覚えのある令嬢と親密そうに話していた。
令嬢の薬指には、婚約指輪が輝いていた。
二人は心底幸せそうに笑っている…
「あの女性…何処かで見たことが………ああ!」
しかも、その令嬢は、翔子の父・高城が勤めるダイナー・グローバルのライバル会社である「グランツ・フーズ」の社長令嬢だったのだ。
「…ただいま」
「あ、シャロンさん、おかえりなさい!」
「翔子ちゃん…あのね…」
「何ですか?…あ、コラボの件上手くいきませんでしたか」
「あ…う、うんそうなの、あれではクオリティがね…」
「ですよねー、やっぱりウチはクオリティが第一ですから!」
「……」
シャロンは翔子に真実を告げられずにいた。
「…お父さん、私、翔子ちゃんに本当の事、言えなかった…」
「…シャロン…」
ジャンは翔子の事を思う優しい娘の肩に、そっと手を置いた。
3月は進学や就職の季節、相葉もパティシエとしてチャンスが巡ってきた。
ある企業の支援でフランスで本格的にパティシエ修行ができる事になったのだ。
「…準備もありますので、今週末で「樹」を辞める事になりました。」
「相葉君…行っちゃうの?うるうるうる(泣)」
「シャロンさん泣かないでください(汗)」
「そうですよ!相葉さんには立派なパティシエになって貰わなきゃ!そして「樹」に戻って来てもらうんです!」
「そうね、私も頑張ってお店続けるからね!うるうるうる(泣)」
「シャロンさん泣かないで(汗)」
「えっと、相葉さん…最後のお願い聞いてもらってもいいですか?」
「ええ、勿論」
「今度の日曜日、お花見に行きませんか!?」
翔子は満面の笑みで相葉を誘った。(離ればなれにはなっちゃうけど…でもこれって、初デートだよね!?) 胸の中でときめきが弾ける。
相葉は少し戸惑った様子だったが、最終的には「ぜひ」と承諾してくれた。
満開の桜並木の下。
翔子は、相葉が差し出してくれた抹茶のたい焼きを頬張りながら、次は何を話そうかと、頭の中で会話のシミュレーションをしていた。
(えっと、やっぱりスイーツの話は鉄板だし、桜に合う和菓子とかがいいかな…でもでも相葉さんに私の事もっと知って欲しいし…)
「…翔子さん」
「はい!」
「…あ、あの辺り、開けていて桜が良く見えるんだ」
「へ〜!相葉さんてそんな事も詳しいのね!」
相葉が指差した先に少しだけ開けた場所があり、そこから見る桜は本当に美しいものだった。
「わぁ〜!本当に綺麗!」
無邪気に喜んで見せる翔子に決心が鈍りそうになる…
「ここは…この場所は、大切な人に教えてもらったんだ。」
「…えっ……」
ズキンと翔子の胸が痛んだ。
しかし、相葉の口から出た次の言葉は、翔子の胸を打ち砕くものだった。
「翔子さん。実は、僕には婚約者がいるんです。今度、清華と…グランツ・フーズの令嬢と結婚することになっています」
相葉は、翔子を傷つけまいと、できるだけ穏やかな口調で、だが一切の誤魔化しなく、事実を告げた。
彼の表情は、どこか寂しげに見えた。
翔子の目の前で、桜の花びらが舞い散る。
その美しさが、ひどく残酷に感じられた。
初恋は、呆気なく失恋に終わった。
喫茶店「樹」に戻った翔子は、そのまま厨房に籠っていた。
ジャンとシャロンが心配そうに見守っているが、翔子は一言も発しない。
ただひたすらに、あの日のロールケーキのレシピを何度も何度も書き換え、試作を繰り返していた。
「翔子ちゃん……」
シャロンが声を掛け、そっと背中に触れると、翔子の肩が震えた。
だが、顔を上げた彼女の目には、涙の代わりに強い光が宿っていた。
「絶対……泣かないんだからっ!」
翔子は鼻をすすり、書き上げたレシピをシャロンに差し出した。
「シャロンさん、あの日のロールケーキを、もっと美味しくしましょう。名前は『ファースト・ブラッシュ・ロール』。……私の初恋の味です。絶対にメインメニューに加えて、みんなに最高の笑顔を届けるんです!」
初恋の痛みを知った少女は、悔しさと情熱を混ぜ合わせ、新たな「魔法」を創造しようとしていた。
喫茶店「樹」にまた新しいスイーツが誕生しました。
『ファースト・ブラッシュ・ロール』
「桜のような淡いピンク(初恋)だけど、食べると少しほろ苦い(失恋)……まさにビター&スウィートね」
シャロンはお客様と楽しそうに談笑している翔子を見ながらつぶやきます。
テーブルには、甘く、そしてちょっぴりビターな…初恋ロールケーキ…
喫茶店「樹」の新作スイーツ
『ファースト・ブラッシュ・ロール』
皆さんに最高の笑顔を届けます。
シャロンの喫茶店 エピソード10 翔子の初恋ロールケーキ 完
あとがきにかえて…
いままで描いてこなかった恋愛要素を盛込みました。
相葉透のイメージは、嵐の相葉君をイメージしてます。




