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Fascinate  作者: 依田
舞台の縁より、声にならないものを
8/9

残滓と無自覚な一歩

この高校は、部活動に何か一つ所属していないといけない校則です

放課後、部室の扉の前に立った瞬間、いつもより声が多いと感じた。

笑い声が重なって、廊下まで漏れている。


扉を開けると、その理由はすぐに分かった。


金髪のギャルが、パイプ椅子を足で寄せながら笑っている。制服も少し着崩したまま、先輩たちと会話していた。


その少し後ろには、見慣れない小柄な黒髪の先輩がいる。

壁にもたれてスマホを見たまま、周囲の騒がしさにはあまり興味がないらしい。


「……ん、ああ天羽か」


俺の視線に気づいたのか、塚内先輩が舞台のほうを見たまま言った。


「三年の岡田摩耶と酒井花。あっちの金髪が岡田、そっちのちっこいのが酒井だ」


あっち、そっちと指をさしながら、それだけ説明する。


「部活強制入部組だ。実力は期待すんなよ」


それ以上の補足はなかった。


岡田先輩は、誰かの話に大げさに笑っている。

酒井先輩はその横で、画面を指でなぞっているだけだ。


随分とこの空気に馴染んでいるようで、お菓子片手に雑談に花を咲かせていた。


「じゃ、発声からいくよー」


いつものように誰かの声で稽古が始まる。


「あー」


岡田先輩は足を開いたまま声を出し、すぐに笑った。

酒井先輩は一拍遅れて立ち、壁際に寄る。


俺は、二人から少し距離を取った位置で声を出す。

背筋を伸ばして。


「あー」


昨日より声は出ている。

それでも、立っている場所が、もう場面の外みたいだった。


発声が終わると、台本が配られる。


「短くない?」


岡田先輩がページをめくりながら言う。


「すぐ終わるじゃん」


「ま、軽くでいいんじゃね」


そのまま、読み合わせが始まった。


岡田先輩はノリで台詞を読んで、時々笑う。

酒井先輩は淡々と文字を追っている。

悪ふざけ、というほどではなかった。

ただ軽い。そんなのでも場は回っている。


俺の番が来る。短い台詞だ。


台本を見た瞬間、そこが昨日、兎内さんが読んだ場面だと気づいた。


同じ台詞。

同じ文字。

流れも、場面も変わっていない。


息を吸って、声を出す。


――全然、違う。


声が出た瞬間、それだけははっきり分かった。


何が違うのかは分からない。

声の大きさでも、間でもない。

間違えた感触もないのに、昨日と同じ場所に立っている感じがしなかった。


読み終えても、誰も何も言わない。

稽古はそのまま流れていく。


気にしているのは、たぶん俺だけだった。


次の場面で、立ち位置を決める流れになる。


「適当にでいいよな」


塚内先輩の一言で、全員が舞台の前に集まった。


俺は一度足元を見てから、半歩だけ前に出た。

ほんの少し、舞台から遠のいた。


「え、遠くない?」


岡田先輩が笑って言う。


周りもつられて笑う。

俺は何も言わず、すぐに元の位置へ戻った。


そのとき、視線を感じて顔を上げると、兎内さんがこちらを見ていた。

目が合う前に、彼女はもう台本へ視線を戻していた。


稽古はそのまま流れ、いつものように終わりの声がかかる。


「今日はここまでで」


片付けが終盤になるにつれ、部室の音が少しずつ減っていく。


「じゃ、またねー」


最後の先輩が手を振って出ていく。

扉が閉まると、急に静かになった。

いつもの部室だ。


俺は鞄を持って立ち上がった。

帰るつもりだった。


でも、このまま帰るのは違う気がした。

胸の奥がざらついて、息がうまく吸えない。しかし何が嫌なのかは分からない。

ただ、このまま何もしなかったら、

今日の稽古が、そのままの自分になる気がした。


舞台の前まで行く。

舞台には上がらず、縁に立ったまま中を見る。


さっきしまったばかりの台本を鞄から取り出し、ページを開く。


さっき言った、自分の台詞が目に入った。


余白に、「流されてる」と書いた。


書いた瞬間恥ずかしくなってすぐに消す。

筆圧の強い俺の文字の跡だけが、紙に残った。


何が違うのかは、やっぱり分からない。


もう一度、最初から読み直す。ゆっくりと、でも確実に口に出しながら。


入口のほうで、何かが動いた気がした。

でも、顔は上げなかった。


今は、見られたくなかった。


俺は舞台に上がらないまま、台本を閉じた。

それでも、すぐには部室を出なかった。


俺は暗くなった舞台を見たまま、しばらくその場から動かなかった。



翌日。


塚内朝日は、昨日のことを思い出さないようにしていた。


うるさい部室。

軽い発声。

回っている稽古。


問題はない。

いつも通りだ。


それでも、頭のどこかに、あの声が残っている。


練習終わり舞台に上がらず、縁で止まっていた一年。

小さく、途切れ途切れの声。


別に上手かったわけじゃない。

感心するほどでもない。


それなのに、気になった。


「あ、間違えちゃった」


誰かが言う。

いつもなら、そのまま流れる場面だった。


「……待て」


自分の声だと気づくまで、少し時間がかかった。


部室の空気が、一瞬だけ止まる。


「そこ、一回止めよう」


理由は出てこない。

説明もできない。


ただ、止めた。


誰も反発しなかった。

軽く頷いて、動きを止める。


塚内は、それ以上何も言わなかった。

言えなかった。


稽古は再開する。空気も、すぐに戻る。


それでも、昨日までとは少しだけ違っていた。

昨日の声が、まだ耳に残っている。

見なかったことには、できなかった。

人生で初めてブックマークをしていただきました。こんなにもうれしいと思いませんでした。感無量です

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