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Fascinate  作者: 依田
プロローグ
5/11

選んだ場所

同じ日の放課後。

教室を出ると、廊下は一気に騒がしくなった。部活へ向かう足音、笑い声、窓の外から聞こえる掛け声。


俺はその流れに乗らず、少しだけ立ち止まる。体育館のほうを見る。見慣れた場所。慣れた空気。

それから、反対側を見る。校舎の奥にある、少し古い建物。


理由は考えなかった。気づいたら、そっちへ歩き出していた。



──演劇部 活動中

掲示板の紙は、相変わらず端が少し剥がれていた。


少し迷ってから、ドアを開ける。


「……あ」


何人かがこちらを見る。


「あれまた見学?」


声をかけてきたのは、塚内先輩だった。


「はい」


「そっか。そこ空いてるから」


それだけ言って、すぐに視線を戻す。説明も、歓迎もない。

俺は言われた通り、壁際に腰を下ろした。


部室は狭い。簡易的な舞台、剥がれかけた床のテープ、積まれた台本。誰かはスマホを触り、誰かは笑っている。

そんなグダグダとした空気のまま、練習は進んでいく。


「まあ、そんなもんでいいんじゃない?」

「次いこ次」


時間だけが流れていく。


その中で、彼女は一人、黙って立っていた。台本を持ち、視線を落としたまま。周りとは、少しだけ違う温度で。


「兎内さん」


呼ばれて、前に出る。短い台詞。動きも、派手じゃない。

それでも、目を離せなかった。


「はい、次」


間を置かずに、声が被さる。拍手はない。誰かが感想を言うこともない。

彼女は何事もなかったように、元の位置へ戻る。


(……これで終わりか)


確かに何かがあったはずなのに、それを言葉にできる人はいない。周りは興味がなさそうに雑談している。まるで何もなかったかのように。


彼女は気にしていないように見えた。それが、なぜか胸に引っかかった。

この場所で、このままでいいのか。


(……だったら)


見ているだけじゃ、分からない。それだけだった。

同じ場所に立って、同じ空気を吸って、俺が彼女の凄さを理解すればいい。


稽古が終わる。


「お疲れー」

「じゃあなー」


軽い声が飛び交う中、俺は塚内先輩のところへ行った。


「……あの」


「ん?」


「入部届、ありますか」


少しだけ、間があった。

塚内先輩は俺の顔を見て、それから引き出しを開ける。


「あるよ」


差し出された一枚の紙。思ったより、ずっと軽い。

名前と学年を書く。ペン先が一瞬だけ止まった。それでも、書いた。


「よろしくお願いします」


そう言って入部届を渡した瞬間、もう戻れない気がした。

でも、不思議と後悔はなかった。


部室を出る。夕方の校舎は、まだ明るい。

振り返ると、そこに舞台がある。


俺は、まだ立っていない。

でも─もう、何も知らなかった頃には戻れなかった。



校門を出ると、少しだけ空が暗くなっていた。昼間より、人通りも減っている。


「桔梗」


聞き慣れた声がして、足を止める。

雅がフェンスのところに立っていた。鞄を足元に置いて、壁にもたれている。


「こなさ過ぎてもう帰ってるのかと思ってた」


「……ちょっと、寄り道してた」


雅は一瞬だけ俺の顔を見る。それだけで、だいたい察したみたいだった。


「演劇部?」


「うん」


「見学?」


少しだけ間を置いてから答える。


「入った」


雅は、すぐには何も言わなかった。空を見上げてから、小さく息を吐く。


「そっか」


必要最低限の言葉それ以上、踏み込んでこない。


「バスケ、来なくなる?」


「分かんない」


正直な答えだった。雅は、少しだけ笑う。


「……そうか」


それだけ言って、鞄を持ち直す。


「先行くわ」


「あぁ」


背中を見送りながら、胸の奥が少しだけ重くなる。でも、引き止めたいとは思わなかった。


俺は、もう一度だけ振り返る。


校舎の奥。あの建物の中に、舞台がある。


俺は、そこに向かって歩き出していたのだから。

プロローグ終了です、明日からはなるべく1日1話の投稿頑張ります。

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