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Fascinate  作者: 依田
プロローグ
4/12

あいだ

朝の教室は、昨日と同じ音で満ちていた。

椅子を引く音、誰かの笑い声、窓の外から聞こえる運動部の掛け声。


俺は席に座りながら、それらをどこか遠くで聞いていた。


視線が、自然と後ろに向かう。


兎内有栖は、もう来ていた。

机に向かい、ノートを開いている。姿勢はまっすぐで、指先だけが静かに動いていた。


周りには数人、昨日より少しだけ近い距離に人がいる。

話しかけている声も聞こえる。


「ここ窓側いいよね」

「お昼一緒に食べない?」


彼女は短く頷くか、首を振るだけで、それ以上言葉を返さない。

それでも相手は離れていかない。

近いのに、どこか踏み込めない空気だけが、そこに残っていた。


何もしていない。

ただ、そこにいるだけ。


それなのに、教室の中で、彼女だけが浮いて見えた。


「おはよ、桔梗」


隣から、雅の声がする。


「……おはよう」


「また後ろ見てた」


指摘されて、少しだけ肩が強張る。


「そうか?」


「うん。まあ、別にいいけど」


雅はそれだけ言って、机に頬杖をついた。

スマホを触りながら、画面の向こうに視線を落とす。


「今日さ、放課後どうすんの?」


何気ない問いだった。


「……まだ分かんない」


「そっか」


それ以上、踏み込んでこなかった。

理由も、行き先も聞かない。

昔からそういうやつだ。


授業が始まっても、集中は続かなかった。

板書を写しながら、何度か無意識に視線が動く。


彼女は、授業を受けている。

特別な動きはない。声も出していない。


なのに、昨日の舞台が、頭の奥で何度も再生される。


休み時間になると、教室は騒がしくなった。

彼女の席の周りにも、自然と人が集まる。


誰かが話しかけ、彼女は短く応じる。

それだけで会話は終わる。


俺は、自分の席からそれを眺めていた。


近づく理由はない。

遠ざかる理由もない。


ただ、見ている。


昼休み


チャイムが鳴ると、教室は一気に動き出した。

購買へ向かうやつ、弁当を広げるやつそれぞれが当たり前の流れに身を任せている。


俺は、すぐには立ち上がれなかった。


「おーい飯食おうぜ」


雅が弁当を持ってやってくる


「……ごめんちょっと行くわ」


俺の言葉と同時に、一瞬雅は俺の顔を見る。

それから、小さく肩をすくめた。


「そっか」


それだけ言って、教室を出ていった。


彼女が、鞄を持って席を立つ。

昨日と同じ背中。


このまま、声をかけなければ。

今日は、何も起きない。


そう分かっているのに、体が動かない。


(……今なら)


少し震える足をたたき、立ち上がる。


「兎内さん」


思ったより、声は普通だった。


彼女は足を止め、振り返る。

表情は変わらない。驚きも、戸惑いもない。


「何?」


短い返事。


「昨日の……」


言葉が詰まる。

何を言えばいいのか、まだ分からなかった。


「……その、本当にすごかった」


それだけ言うと、彼女は一瞬だけ俺を見る。


「そう」


それで終わりだった。


問い返しも、感想もない。

ただ、事実を受け取っただけの声。


彼女はそのまま教室を出ていく。

足音が、廊下の向こうに消えていった。


会話と呼ぶには、あまりに短い。


それでも、声をかけなかった昨日より、

確かに一歩、前に出てしまった気がした。


俺は、しばらくその場から動けなかった。


まだ、舞台には立っていない。

まだ、何も始まっていない。


ただ――

もう、何もなかった頃には戻れない。


そんな感覚だけが、静かに残っていた。

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