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Fascinate  作者: 依田
プロローグ
2/11

その日のあと

家に帰ってからも、頭の中からあの光景が離れなかった。銀色の長い髪。吸い込まれるような青い瞳。


(なんなんだよ……)


テレビをつけても内容は入ってこないし、スマホを見ても、すぐに画面を閉じてしまう。別に、何かあったわけじゃない。話したわけでもない。目が合っただけだ。それなのに、胸の奥が落ち着かなかった。


「……考えすぎだろ」


そう言い聞かせて、そのまま眠りについた。


翌朝。

若干寝不足のまま、なれない制服に袖を通し、家を出る。


教室の扉を開けた瞬間、昨日とは違う空気を感じた。ざわざわ、と教室は騒がしい。ただ、その騒がしさは一方向に寄っていた。


「誰あれ、可愛くない?」

「昨日いなかった人だよね」


小さな声が、あちこちから聞こえてくる。はっきりとは言わないのに、みんな同じものを見ているのが分かった。視線の流れが、自然と一か所に集まっている。


俺はその先を見て、理解した。──あの子だ。


そのとき、教室の扉が開いた。


「はい、おはようございます」


先生の声が響いた瞬間、ざわついていた空気がすっと引き締まる。


「二日目ですね。もう席は大丈夫かな」


そう言いながら先生は教室を一度見回し、窓側の後ろの席に目を留めた。


「あ、そうそう。昨日お休みだった子が来てますね。兎内さん、よかったら簡単に自己紹介できる?」


視線が集まる中、彼女は静かに立ち上がった。椅子が床を擦る音が、やけに大きく聞こえた気がした。


兎内有栖(とないありす)です。よろしくお願いします」


短い言葉。淡々とした声。それだけなのに、不思議と耳に残った。


「可愛い」


誰かの声をきっかけに、静かだった教室は一気に喧騒を増した。


「マジで?」

「やばくない?」

「同じクラスとか信じられん」


「はいはい、静かに」


先生の声が重なると、教室は少しずつ落ち着いていく。


「自己紹介ありがとう。じゃあ、授業を始めましょうか」


名残惜しそうな空気を残したまま、教室はようやく日常に戻った。──けれど、俺の頭は、まだ何ひとつ戻ってきていなかった。



休み時間になると、空気が一斉に動いた。


「ねえ、さっきの自己紹介さ」

「どこの中学?」

「昨日休んでたんだよね?」


兎内さんの席のまわりには、いつの間にか人が集まっていた。小さな輪がいくつも重なっている。それでも、どこか踏み込みきれない空気が残っていた。


俺は自分の席から、その様子を眺めていた。話しかけようと思えばできたはずだ。距離だって、ほんの数メートルしかない。なのに、体は動かなかった。


「……なあ」


隣から、雅の声がする。


「お前はいかないのか?」


「……別に」


そう答えながらも、自分でも分かるくらい歯切れが悪い。雅は机に頬杖をついたまま、彼女のほうを一度だけ見てから、俺に視線を戻した。


「昨日、なんかあっただろ」


「っ……」


図星だった。


「顔に出てんぞ、桔梗」


そう言って、雅は肩をすくめる。


「まあ、無理に行けとは言わねーけどさ」


休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、人だかりはゆっくり散っていった。


「じゃ、また後でね」


そんな声が残り、彼女の席のまわりはようやく元に戻る。



一日の終わりを告げるチャイムが鳴る。教室は一気に騒がしくなり、帰る準備が始まった。俺もカバンを手に取りながら、無意識のうちに後ろの席を見ていた。


彼女は、まだ座っていた。


「ねえ、聞いた?」

「兎内さん、演劇部行くらしいよ」


どこからともなく、そんな声が聞こえてきた。


「今日、バスケ部行くんだろ?」


隣で雅が言う。


「……ああ」


そう答えながらも、視線は自然と彼女に向いていた。



体育館に入ると、聞き慣れた音が耳に入ってくる。ボールが床に弾む音、短い笛、掛け声。


「あれ、昨日も来てたよな?」


近くにいた先輩が声をかけてきた。


「はい。今日も見学で」


「そっか」


それだけのやり取り。


ドリブルをしても感触が遠い。パスを受けても、反応が一拍遅れる。


「桔梗、どうした?」


「いや、別に」


そう言いながら、分かっていた。集中できていない。


シュートを打つ。リングに当たって、外れる。


──楽しくない。


嫌いなわけじゃない。でも、心が前ほど動かない。



雅と別れてから、俺は一人で校門を出た。いつもなら、そのまま家に向かうだけの道なのに、この日は足取りがやけに遅かった。


ふと視界に入ったのは、道沿いの公園だった。桜の木が並ぶ、昨日と同じ場所だ。


足が、勝手に向いていた。


公園の中は静かだった。子どもの姿もなく、ベンチも空いている。風が吹くたびに、花びらがゆっくり落ちていく。


その桜の下に、彼女はいなかった。


当たり前だ。それでも、少しだけ肩の力が抜けて、同時に、わけの分からない落胆が胸に残った。


(何期待してんだよ……)


ベンチに腰を下ろし、桜を見上げる。


演劇部。


その言葉が、頭に浮かんだ。


向いているかどうかなんて分からない。それでも、昨日見た彼女の姿が、はっきりと思い出される。


俺は、ゆっくり立ち上がった。

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