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Fascinate  作者: 依田
舞台の縁より、声にならないものを
12/12

声にならなかったものの行き先

部室の前で突然声をかけられた。

「……あ、天羽君」


振り向くと、岡田先輩が立っている。

手にはコンビニの袋。

いつも通りの、少し気の抜けた雰囲気だった。


「今から?」

「はい」


それだけのやり取りのあと、岡田先輩は俺の隣に並ぶ。

扉を見たまま、本当に何でもないことみたいに言った。


「最近さ、ちょっと楽しいんだよね」


一瞬、言葉に詰まる。


「……え?」


「いや、ほら私って何かをまじめにやったことなくて」


それから、少しだけ間を置いて続けた。


「前より、ちゃんと青春してるーって感じしない?」


そうつぶやく岡田先輩の顔は笑っていた。


「あの……俺も、」


小さく息を吸って、続きの言葉を飲み込んだ。


岡田先輩は、そんな俺の言葉の続きを待たなかった。


「ま、いいよ」


そう軽く言って、そのまま扉に手を伸ばす。


「行こ。遅れると怒られるし」


「……はい」


部室の扉が開く。中は、少し広く感じた。実際に広くなったわけじゃない。置かれている椅子の数が減っただけだ。それでも、空気の逃げ場が増えたみたいに、音が前より遠くに感じられる。


「お、来た来た」


誰かが言って、軽く手を振る。それ以上、会話は広がらなかった。


岡田先輩は自分の椅子を引きながら、小さく言う。


「さっきのさ」

「?」

「言えなかったやつ」


俺のほうは見ない。


「無理に言わなくていいと思うよ」


それだけ言って、先に座った。


返事はしなかった。というより、できなかった。


舞台の中央を見る。塚内先輩が、昨日と同じ場所に立っていた。

「じゃあ」


短く手を叩く音。


「始めよう」


それだけで、部室の空気が静かに切り替わる。



発声練習が終わり、読み合わせが始まるまでのほんのわずかな間。その沈黙を破ったのは、岡田先輩だった。


「あのさ」


声を落として、軽く。


「さっきの発声さ。正直キツかったけどさ」


誰かが小さく笑う。


「でも、ちょっと楽しくなかった?」


冗談めかした言い方だった。けど、その言葉は本気だった。


「……楽しい、かどうかは分からない」


それは酒井先輩の声だった。


「えー、そう?」


岡田先輩が、少しだけ意外そうに言う。


「前より、ちゃんとやってる感じしない?なんていうか、ちゃんと部活っぽいじゃん!」


その言葉に、酒井先輩の指が止まった。


「部活っぽいのが、いいとは限らないでしょ。今までも、別に困ってなかったし」


視線を台本に向けたまま、淡々と告げる。


岡田先輩は、一瞬だけ黙った。


「……でもさ」


軽く、言葉を選ぶみたいに続ける。


「私、こういうの嫌いじゃないんだよね」


その瞬間、酒井先輩が顔を上げた。ほんの一瞬。すぐに視線は逸れたけど。


「……そう」


それだけだった。


「最近、摩耶が楽しそうなのは分かる。でも、急に全部それになられると、ついていけない人もいる」


誰の名前も出していない。それでも、自分のことを言っているのは、はっきり分かってしまった。


岡田先輩が、少し困ったように笑う。


「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど、確かにそういう人もいるよね」


「別に責めてるわけじゃない」


酒井先輩は、すぐに言った。


「ただ……前みたいに話す時間、減ったなって思っただけ」


それ以上は続かなかった。


沈黙が落ちる。


俺は、そのやり取りを聞きながら、どこにも入れずに立っていた。演劇の話をしているはずなのに、演劇じゃないところで、すれ違っている。


「……じゃ、始めよ」


岡田先輩が、いつもより少しだけ早く言った。


塚内先輩が、それに被せる。


「続けるぞ」


台本を開く音が重なる。


酒井先輩は、岡田先輩のほうを見ないまま、ページをめくる。

岡田先輩は、いつもより少しだけ背筋を伸ばして、舞台を見る。

そして俺は、その間に立ったまま、次の台詞を待った。



その日の練習が終わり、片づけを始める直前だった。


「あのさ」


塚内先輩の声がした。


大きくも、張った声でもない。

独り言みたいで、それでも確かに全員に届く声。


「片付ける前にさ、今さら?って思うかもしれないけど」


少しだけ、言葉を探す間があった。


「このまま練習してるだけで、終わるのは嫌だなって」


誰かが、ほうきを握ったまま固まる。


「みんなでちゃんと、一つの芝居を作りたい」


そこで一拍。


「……だからさ大会、出てみたい」


その言葉が、部室に落ちた。


ざわめきは起きなかった。

すぐに否定も、同意も出ない。


「勝つとか、結果とか、正直まだ分からない」


言い訳みたいで、でも逃げていない声。


「でも、みんなで目指す何かが欲しい」


視線が、自然と集まる。


「今すぐ決めろとは言わない」


そう前置きしてから、


「ただ……俺は、これからは大会を目標にしたい」


それだけ。


部長らしい締めの言葉も、号令もない。


「……以上。片付け続けて」


まるで、思いついたことを口にしただけみたいに言って、塚内先輩は箒を手に取った。

最初に口を開いたのは、岡田先輩だった。


「……私は、いいと思う」


軽い調子のまま。でも、目は逸らしていない。


「目標あったほうが楽しいし。どうせやるならさ」


それに続くように、誰かが頷く。


「出るだけでも、意味あるよな」

「今まで何も残ってないし」


小さな賛成が、いくつか重なった。


俺も、胸の奥で同じことを思っていた。

怖いけど、見てみたい。

この部活が、どこまで行けるのか。


「でもさ大会って、顧問がいないと出られないよね」


視線を床に向けたまま酒井先輩が言った。

その瞬間、空気が一気に現実に引き戻される。


「……あ」


誰かが短く声を漏らす。


「そうだ」

「うち今、顧問いないじゃん」

「申請、通らないよね」


賛成の余韻が、そこで止まった。


塚内先輩は、驚かなかった。

むしろ、分かっていたみたいに頷く。


「うん、それはそうだ」


誰も、すぐに続けられない。


「だからさ」


塚内先輩が、周りを見渡して言う。


「先生、探すところからだね」


笑いは起きなかった。


「……簡単じゃないよ」


酒井先輩が言う。


「今、先生余ってないし。それに演劇ってただでさえ面倒だし」


それは事実だった。

みんな、分かっていること。


塚内先輩は、一度だけ深く息を吸った。


「分かってる」


視線を上げる。


「だから、これが最初の壁だ」


大会、という言葉が、少し遠くなる。


「出たいなら、まず顧問を見つける」


誰かが言い返す。


「そんな都合よく――」


「都合よくなくていい」


被せるように、塚内先輩が言った。


「時間かかってもいい。断られてもいい、だってそれがやらない理由にはならないから」


その言葉で、賛成は覚悟に変わった。

大会を目指す。

立つための条件は、まだ揃っていない。


それでも、ここまで来てしまった。


俺は、舞台の縁を見る。

声にならなかったもの。

それは“問題”になって、確かに舞台の内側を指していた。

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