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Fascinate  作者: 依田
舞台の縁より、声にならないものを
11/12

上がった幕の内側で

登校中、後ろから名前を呼ばれた。


「桔梗」


振り向くと、雅がいた。

気づけば、ちゃんと話すのは久しぶりだった。


「今日さ、部活ある?」


「あ、あぁ」


それだけで会話は途切れる。

前に並んで歩きながら、雅は特に何も聞いてこない。

信号待ちの間、俺がスマホを見ると、雅がぽつりと言った。


「演劇部、楽しいか?」


少し言葉に詰まってから、俺は小さな声で言った。


「……楽しいよ」


嘘ではない。

つまらないわけじゃない。

ただ、昨日のことが、壊れたビデオのように何度も再生される。


「そっか」


雅は俺の顔を見て、それ以上は突っ込まなかった。

信号が青に変わる。


少し気づくのが遅れた俺に、

前を歩き出した雅が言う。


「なんかあったら、言ってくれよ」


雅の顔は見えなかった。

それでもその言葉は、

今まで聞いた雅の言葉の中で、一番重かった。


そこから、たわいもない雑談をいくつか交わして、

気がついたら教室に着いていた。


先生が入ってきて授業が始まっても、

俺はあまり集中できなかった。



放課後になると、体が先に部室のほうへ向かう。

考えて決めたというより、そうするのが当然というように。


扉の前で、一瞬だけ足が止まる。

中から声が聞こえる。笑い声もある。いつもと変わらない感じがした。


「天羽君、おつかれー」


岡田先輩が軽く手を上げる。

兎内さんは既に来ていた。いつもの定位置、舞台の端よりをキープしている。

そんな中、塚内先輩はいつもと違う位置にいた。

舞台の中央で、何かを指示するでもなく、ただ、そこにいる。


「そろそろ集まってきたかな?始めようか」


塚内先輩は開始の言葉とともに舞台を横切り、壁際のホワイトボードへ向かう。


マーカーを取る音がする。


それだけで、部室の空気が少し変わった。

今まで、発声練習にホワイトボードが使われたことはなかった。

塚内先輩は振り返らないまま、文字を書き始める。


――息

――間

――相手


三つ。

それだけを書いて、ようやくこちらを向いた。


「まずは、発声練習のやり方から変えていこう」


声は落ち着いている。強くも、荒くもない。


それなのに、今まで当たり前だった流れが、ここで終わったのが分かった。


「先に言っておく」


塚内先輩は、ホワイトボードに書いた三つの言葉を指した。


「発声って聞くと、大きい声出す練習だと思う人多いと思う」


誰かが、分からないまま頷く。


「でも、舞台は一人で喋る場所じゃない」


説明しているというより、確認しているみたいだった。


「相手が息を吸ったのを待てないと、台詞はぶつかる。

 相手が話し終わる前に出ると、空気が壊れる」


誰も口を挟まない。


「今日からやるのは、上手くなるための練習じゃない」


言い切りだった。


「同じ空間で、同じテンポで。全員で作品を作る準備だ」


一度、全体を見渡す。


「今は分からなくてもいい。合わないと思ってもいい」


でも、と言葉を切る。


「適当には、もうやらない」


そこで話は終わった。


「円になって」


短い指示だった。


言われるまま、全員が舞台の中央に集まる。

距離が近い。いつもより、少しだけ。


「最初は、声は出さないでいい」


その一言で、何人かが顔を上げた。


「最初は、息だけ合わせる」


それ以上の説明はなかった。


塚内先輩は一歩下がり、全体を見渡す位置に立つ。

数を数える気配も、合図を出す気配もない。


誰かが、戸惑いながら息を吸った。

それにつられて、別の誰かが少し遅れて吸う。


塚内先輩の合図とともに息を吐く。

しかし、何人かのタイミングがずれる。


もう一度。

今度は、合わせようとして無理に深く吸う人が出た。

肩が上がるのが、はっきり分かった。


「一回、止めよう」


淡々とした声だった。


「すごく難しいだろ?」


その言葉に数人が無意識に視線を落とす。


俺も、その一人だった。


もう一度。

今度は、誰かが吸うのを待つ。

待って、待って、遅れて吸う。


吐くとき、ほんのわずかに先に出てしまう。


揃わない。


声を出していないのに、呼吸だけなのに、妙に疲れる。


「これ、地味にキツくない?」


岡田先輩が、小さく言った。


「だろ」


塚内先輩は頷いただけだった。


「発声はこの倍は疲れる」


その言葉に、誰も返事をしなかった。


そして何度目かもわからない、今度は、誰かが吸ったあと、

一拍だけ、全員が待った。


その間が、

昨日、稽古中に止まった“あの感じ”と同じだと、

理由もなく分かった。


吸って吐く。


完全じゃない。

でも、途中で崩れなかった。


「……今のは、よかった」


初めて、評価らしい言葉が落ちる。


「声は出てないけど、分かっただろ?」


部室が、静かになる。


「じゃあ、声を出す」


「小さくでいい。“あー”だけ」


息の延長みたいな声が、いくつか重なる。

大きくはない。

でも、途中で途切れない。


二回目。

三回目。


昨日までの発声とは、明らかに違っていた。


しばらくして、誰かが口を開く。


「……正直さ」


普段隅で雑談ばかりしている3年の先輩だった。


「悪いとは言わないけど、俺、前のほうがやりやすかった」


否定でも反発でもない。

ただの本音だった。


「昨日まではさ、もっと気楽だったじゃん。急にどうしたんだよ」


塚内先輩は、すぐに答えなかった。


「気楽、そうだよな。でも、俺はそれが嫌になった」


そして一拍空き言う。


「ちゃんとやりたくなった。それだけだ」


空気が、少しだけ張る。


その沈黙の中で、

部室の隅にいた2年の先輩が、静かに立ち上がった。


「今日は、先に帰ります」


理由は言わない。

それを合図にしたかのように、何人もの生徒が扉に向かう

引き止める声もなかった。

塚内先輩も、何も言わない。


扉が閉まる音が、思ったより大きく響いた。


「……続けよう」


塚内先輩が言う。


「今日は、このやり方で読み合わせに入る」


減った人数で、舞台を囲む。


やらない、という選択をした人と、残った俺たち。


それはもう逃げれない、入り口に立ってしまった。


その感覚だけが、

胸の奥に静かに沈んでいた。



広くなった部室で誰かが言った。


「……じゃあ、続きやるか」


それに同意するように、台本を開く音が重なる。


「よし、昨日やったところをもう一度やってみよう」


塚内先輩が、ページ番号を告げる。


配役の確認はなかった。

誰がどこを読むかは、自然と決まった。


俺も、声を出す位置に立っていた。


最初の一行は、まったく上手くはない。

それでも、相手の声を聞いてから、自分の言葉を出す。

昨日――いや、今までやらなかったことだ。

タイミングが、こんなにも大事だったなんて。


その時、塚内先輩とほんの少しだけ声が被った。


「す、すみません」


俺が慌てて謝罪する。


「いや、いい。今のが悪いと気が付いたそれで十分だ」


そう言った塚内先輩の顔は、少しだけ笑っていた。


その後も練習は続いた。


何度か止まりながら、

同じ場面を繰り返す。


俺は、昨日までよりはうまくなっている

声も、さっきより落ち着いている。


――少しは、できてきた。


そう思いかけた、その時だった。


「おおロミオ、ロミオ! あなたはどうしてロミオなの? お父様を捨て、その名前を拒んでください」


突然聞こえてきた台詞。

それは、まぎれもない兎内さんの演技だった。


舞台の端にいたはずなのに、気が付けば情景が湧いて出てくる。


声は、張っていない。

感情をぶつけているわけでもない。

それなのに、その一行で、空気を変えてしまう、そんな演技。


「もしあなたがロミオでないなら、

私の恋人になって。

そうすれば、私はもうキャピュレットではなくなる」


間が、正確だった。

待つところで、待ち、入るところで、迷わず入る。


誰かの呼吸に合わせているようには見えない。

それでも、全てが噛み合っている。


相手役が、次の台詞を出す。


少し遅れた。


でも、兎内さんは、急がなかった。

その“遅れ”ごと、

場に取り込むみたいに待つ。


そして、一番きれいなところで、言葉を落とす。


上手い、と言うのも違う。

完成している、という感じでもない。


ほんの少しの読み合わせ、ただその少しでわからされる。

少し自分が演劇の基礎を、タイミングを、学んだからこそわかる圧倒的な壁。


「……ありがとうございます。」


兎内さんが短く言う。


それだけで、十分だった。

気が付けば俺の手は、台本を握りつぶしていた。

さっきまで感じていた手応えが、音もなく消えていく。


同じ台本。同じ舞台。

それなのに、立っている場所が、違う。

見ている景色が違う。

羨ましいとも、悔しいとも、まだ思えなかった。


――少しできてきた、なんて。

そんなの、勘違いだった。

目を逸らす気にはならなかった。

それでも、ここからだ。


だってまだ、

幕は上がったばかりなのだから。

本日も夜更新あります

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