県民栄誉賞の悪用
1.
森山健太は小学生時代に同級生の柴田秀人にイジメを受けていた。
森山はそう体格が悪いわけではなく、剣道の道場に通って習っていたが、教室で竹刀を振り回すわけにはいかない。
柴田は柔道の道場に通い、小3にしてもう初段を取得していた。
勉強は森山のほうができ、クラスの人望もあり、女子にもよくもてた。
それが柴田は気に入らず、よく森山を掃除の時間に投げ飛ばした。
森山が床に叩きつけられ痛みに顔を歪めると、柴田は楽しげに笑った。
2.
森山は高校を卒業すると、ある芸能プロダクションにスカウトされ、たちまち人気が出た。
特に青春ドラマに何度も主演し、その人気は他の追随を許さなかった。
彼は40歳で政治家の道を志し、2度目の挑戦で埼玉県の知事になった。
彼は知事室の豪華な椅子に座って、書類に目を通しながら、テレビで五輪の柔道の試合を観戦していた。
彼を小学校で投げ飛ばしてイジメていた柴田秀人が、五輪で2連覇していたのを知っていた。
今度優勝すれば3連覇となる。
彼は受話器を取り上げると、埼玉県のある警察署に電話した。
「女がレイプされたという告訴状は、俺が言うまで受理するな!」
「承知しました」と警察署長は答えた。
柴田が金メダルを決めると、彼は直ちに埼玉県民栄誉賞を与えると決定した。
県庁の前で行われた授賞式で、森山は柴田の元に駆け寄った。
「おめでとう。柴田」
「君にそう言われるとは、思わなかった。投げ飛ばされて痛くなかったか?」
「何のこれしきのこと」
森山は柴田とガッチリと握手し、賞状を読み上げた。
「埼玉県民栄誉賞
柴田秀人殿
貴殿は日々柔道に精進し、見事に五輪三連覇を成し遂げ、埼玉県民に夢と勇気を与えました。その功績は大であります。その栄誉を称え、ここに埼玉県民栄誉賞を与え、永く栄誉を表彰します。
埼玉県知事 森山健太」
それから記念品のトロフィーを渡した。
森山は満面の笑みを浮かべ、柴田と記念撮影をした。
式典が終わると、彼は知事室に戻り、受話器を取り警察署長に電話した。
「例のレイプの事件。告訴を受理して、捜査を始めろ!」
「承知しました」
森山は柴田が飲み会で後輩を泥酔させ、ホテルでレイプしたのを知っていた。
柴田は警察に逮捕され、身柄を検察に送致され起訴された。
「柴田に県民栄誉賞を贈ったのは失敗でした。直ちに剥奪しましょう」と副知事は助言した。
「機が熟しておらん」と森山は答えた。
「と、おっしゃいますと?」
「柴田は無罪を主張している。判決が確定してからだ」
「それもそうでございますね」
やがて、一審で柴田の主張は退けられ、懲役5年の判決を受けた。
柴田は同意の上だったと最高裁まで争ったが、ついに懲役5年の判決が確定した。
森山は、その時点で県民栄誉賞を柴田から剥奪した。
それだけでなく、表彰状とトロフィーの返還を求める手紙を内容証明で郵送した。
返還されないと、表彰状の紙とインク代、トロフィーの代償として、1万円の返還を求める強制執行の法的措置までとった。
これによって柴田の口座は差し押さえられた。
このことは、弁護士に余計な仕事をさせる効果があった。
柴田は都民栄誉賞、市民栄誉賞など、それ以外の賞も全て剥奪された。
表彰状と記念品の返還請求は、他の都道府県市町村も真似するようになった。
法的措置は金額が少ないので、やらないところもあったが、真似するところもあった。
森山は上機嫌で部下を連れて、駅近くのバーに飲みに繰り出した。
彼は悠然とソファに腰掛け、自慢げに話した。
「俺はあいつに小学校で投げ飛ばされて、何度も痛い目に遭わされた。機会を狙っていたのさ」
「機会とおっしゃられますと?」と副知事が聞いた。
「あいつにレイプされた女性から、告訴状が出ているのを俺は知っていたのさ。俺は告訴を受理しないように警察署長に指示していた。県民栄誉賞をもらったあとで、有罪になれば恥の上塗りじゃないか」
「そういう計算だったんですか・・・」
副知事は夏にも関わらず、寒さに身を震わせた。
2.
森山は、古びた木造校舎を思い出すような感傷に浸りながら、懐かしい名前を一つひとつリストに書き写していた。
そして、封筒に「同窓会のご案内」と書かれた手紙を入れ、100人ほどの同学年全員に宛てて発送した。
開催場所は、駅前の居酒屋「ふる里」。
昭和の香りを残すその店は、畳の座敷と立食スペースが混ざり合ったような、妙に落ち着かない作りだった。
50人ほどの元同級生が姿を見せた。
十数年ぶりに顔を合わせた彼らは、最初こそぎこちなかったが、やがて酒が進むにつれ、当時の呼び名で互いを呼び合うようになった。
もちろん、柴田は出席できない。
立食形式のパーティで、料理は串揚げや焼き鳥、枝豆、唐揚げといった無難な品が並ぶ。
乾杯のあと、森山はグラスを片手に、出席者の間をゆっくりと歩き回った。
「今、何してる?」
そう尋ねては、相手の答えを聞いて軽くうなずく。
ただのサラリーマンが多く、彼の興味を引く話は少なかった。
だが、ある男が「豆腐屋を継いでね」と語り始めたとき、森山の目が光った。
男は「自家製の豆腐の作り方を、自己流で工夫している」と胸を張った。
森山はすぐにポケットから小さなメモ帳を取り出し、その男の名前を書きつけた。
それを見た男が、訝しげに眉をひそめた。
「おい、なぜメモするんだ?」
森山はニヤリと笑って答えた。
「詳しいことは聞かないから安心しろ」
その夜、彼のメモ帳には、豆腐屋のほかにも、パン屋、漬物屋、手作りジャムの主婦など、工夫を誇る自営業者の名がずらりと並んでいた。
数日後、森山は彼ら一人ひとりに連絡を入れた。
「自営業で新たな工夫をしているものに、感謝状を贈ることになった」
連絡を受けた者たちは驚きを胸に、スーツや和服を整えて県庁へと集まってきた。
会議室の壇上には、立派な赤い絨毯が敷かれ、森山が知事として厳かに立っていた。
一人ずつ名前が呼ばれ、森山はにこやかに感謝状を手渡していく。
「感謝状 ーーー殿
貴殿は豆腐屋として長年に渡って精進し、新たな味を開発し、県民に貢献しました。県民を代表して感謝します。
埼玉県知事 森山健太」
その場にいた者たちは、まるで表彰式に出た芸能人のように誇らしげだった。
しかし、あまりに次々と感謝状が配られるため、中には不審に思う者も現れた。
ある男が森山に近づき、低い声で尋ねた。
「取り消すつもりじゃねえだろうな?」
森山はにやりと笑い、目を細めて答えた。
「お前が犯罪でもしなければ取り消すことはできないよ」
「じゃあ、一体何のためだ?」
「これで柴田にもっと恥をかかせることができるだろ」
「お前、あいつに一体何の恨みがあるんだ?」
「掃除の時間に、俺はあいつに投げ飛ばされたんだ」
その言葉には、長年胸にくすぶっていた小さな屈辱の炎が宿っていた。
3.
感謝状をもらえると噂が広がると、自営業者たちは我先にと森山に売り込みを始めた。
「うちの味噌は他と違う」
「この饅頭は新しい製法で」
森山は一口食べると、まるで感動したように顔をほころばせた。
「こんなうまいものは食べたことがない」
そう言って、また新たな感謝状を贈呈した。
店で感謝状を見ると、客が驚くことがある。
「この店の饅頭は知事から感謝状を受けているのか?」
「そうなんですよ。お客さん」
「そういえば、地元出身の柔道の柴田は県民栄誉賞を取り消されたんだったな」
「埼玉の恥ですよ」
「本当にそうだな」
自然にそういう会話が交わされるようになった。
4.
4年の任期を終え、森山は政界を去り、再び芸能界の表舞台へと戻ってきた。
久しぶりのバラエティ番組の収録を終えたその夜、彼は疲労と満足が入り混じり、テレビ局の玄関を出た。
夜の街は雨上がりで、街灯が濡れたアスファルトを鈍く照らしている。
黒塗りのタクシーが静かに近づき、ドアが自動で開いた。
森山は肩で息をつきながら後部座席に腰を下ろし、「新宿まで」と告げた。
車が動き出すと、彼はネクタイをゆるめ、煙草を一本取り出した。
しばらく無言のまま、窓の外の夜景を眺めていたが、やがて酒の勢いが口を軽くしたのか、運転手に話しかけた。
「俺は柴田に小学生のころ投げられた恨みを晴らしたんだ。
レイプの告訴の受理を止めておいて、金メダルを取らせ、県民栄誉賞を授与してから剥奪した。見事だろう?」
得意げに笑う森山の顔を、ルームミラー越しに運転手がちらりと見た。
その男の瞳は暗く沈み、笑っているようで笑っていなかった。
運転手は小さく息を吐き、静かに笑った。
「ところで、その柴田って人は今、どうしてますかね?」
森山は煙草の灰を指で払った。
「もう刑務所は出てるはずだが・・・」
「そうですか。着きましたよ。ついでにサイン、もらえますか?」
「お安い御用だ」
車が停まる音がして、森山は胸ポケットからペンを取り出した。
手帳にサインを書き、顔を上げた瞬間、運転手がこちらを振り返った。
後続車のヘッドライトの光がその顔を照らす。
森山の表情が凍りついた。
「お前は……柴田か?」
運転手は薄く笑った。
「これまでだな、森山」
次の瞬間、タクシーは激しくアクセルを踏み込み、夜の街を疾走した。
信号を無視し、街灯が次々と後方に流れていく。
森山はシートにしがみつき、恐怖に声も出せなかった。
やがて車は郊外へと抜け、闇の中の山道を登っていく。
森山が「やめろ!」と叫んだが、柴田は無言のままハンドルを切った。
タクシーは崖の縁に突っ込み、夜空を裂くような音を立てて飛び出した。
そして、岩肌に叩きつけられた。
翌朝の新聞には、無惨な写真とともに、こう報じられた。
「元埼玉県知事・森山健太氏、タクシー運転手とともに転落死。運転手は元五輪柔道三連覇・柴田秀人さん」
通勤者はその見出しを改札脇のキオスクでチラリとみて、無言で職場に向かった。




