焚き火と距離
火は、低く燃えていた。
枝を多くくべたわけではない。煙も少ない。それでも、闇の中に円を描くように光を広げている。魔王直属の土地では、明かりを大きくすること自体が目印になりかねなかった。
俺たちは焚き火を囲み、自然と間隔を取って腰を下ろしていた。
ガルドは剣を膝に置き、黙々と刃を拭っている。戦闘の後、彼は必ずこうする。剣に付いた血や汚れを落とす行為は、彼にとって思考を整理する時間でもあった。
リィナは焚き火から少し離れた位置に座り、杖を抱えたまま目を閉じている。魔力の循環を整えているのだろう。詠唱の疲労は表に出さないが、消耗がないわけではない。
セシルは水袋を手に、皆の様子を一人ずつ確認していた。視線が俺に向いた時、彼女は小さく頷いた。それだけで、回復は足りていると伝わる。
レインは焚き火の外縁を歩き、周囲の闇を観察している。足音はほとんどしない。いるのは分かっているのに、姿を追いづらい。
それぞれが、それぞれのやり方で戦闘を終えていた。
俺は焚き火を見つめながら、呼吸を整える。胸の奥に残る疲労は、身体的なものだけではなかった。判断を重ね、選択を重ね、繋ぎ続けた感覚が、まだ抜けきらない。
第一魔将の領域は越えた。
だが、完全に倒したという実感はない。あれは戦いだったのか。それとも、試されただけなのか。
「……思ったより、削られたな」
ガルドがぽつりと言った。独り言に近い。
「地形操作は、やっぱり厄介だ」
リィナが目を開けずに応じる。声は落ち着いているが、魔力の回復には時間が必要だろう。
「でも、致命的な怪我はありません」
セシルが言う。その言葉に、少しだけ安堵が混じる。
それは、良いことだ。間違いなく。
だが、俺の中では別の考えが浮かんでいた。
致命的な怪我が出なかったのは、運が良かっただけではないか。判断が一歩でも遅れていたら、結果は違っていたかもしれない。そう思うと、胸の奥が重くなる。
「勇者」
セシルが俺を呼ぶ。役割の名で。
「先ほどの戦いですが」
俺は視線を向ける。
「全体をよく見ていましたね」
その言葉に、返答が遅れた。
見ていた。そう言われれば、そうなのかもしれない。だが、自覚はなかった。必要に迫られて動いていただけだ。
「偶然だ」
そう答えると、セシルは否定しなかった。ただ、少し困ったような表情を浮かべる。
リィナが目を開け、焚き火越しにこちらを見る。
「偶然で、あそこまで繋げるなら、苦労しない」
淡々とした口調だった。だが、その視線は真剣だ。
俺は何も言えなかった。
評価されているのは分かる。だが、それを受け取る準備ができていない。受け取ってしまえば、自分が前に出なければならない理由を、肯定してしまう気がした。
「カイン」
レインが焚き火の向こうから声をかける。
「無茶はしてないか」
その問いに、少しだけ驚く。
「してない」
即答だった。無茶をしたつもりはない。できることを、できる範囲でやっただけだ。
レインはそれ以上追及しなかった。だが、視線は俺から離れなかった。
ガルドが剣を置き、焚き火を見る。
「俺は、正面しか見えない」
唐突な言葉だった。
「だから、さっきみたいな戦いは苦手だ」
それは弱音に近い告白だった。戦士である彼が、そういう言葉を口にするのは珍しい。
「だが、前が見えているなら、思い切り踏み込める」
その視線が、一瞬だけ俺に向く。
意味を、考えないようにした。
焚き火がぱちりと音を立てる。火の粉が舞い、すぐに闇に消えた。
仲間たちは強い。それぞれが、自分の役割を理解している。だからこそ、戦いは成立している。
俺は、その隙間を埋めているだけだ。
それを誇る理由はない。そう思っていた。
夜は静かに更けていく。魔王城は、確実に近づいている。
この先で、さらに厄介な戦いが待っていることは、誰もが理解していた。それでも、口にする者はいない。
焚き火の光が、仲間たちの顔を照らす。その表情を見て、胸の奥に小さな痛みが走る。
この中で、いなくなっても何とかなる存在は誰か。
考えるまでもない。
だから俺は、今日も距離を保つ。前に出過ぎず、後ろに下がりすぎず、ただ繋ぐ位置に留まる。
それが、勇者としてではなく、一人の人間としての、今の最善だと思っていた。




