第1魔将の領域
境界は、音で分かった。
それまで一定だった風の流れが、唐突に途切れる。葉擦れの音が消え、代わりに足音だけが強調されるようになる。地面を踏む感触も微妙に変わった。柔らかさがなく、反発が強い。
ここから先が、第一魔将の領域だ。
誰もそう口にはしなかった。だが、全員が同じことを感じ取っていた。
ガルドの歩幅が、わずかに詰まる。慎重になったわけではない。踏み込む準備だ。戦士としての癖が、身体に現れている。
俺は一歩後ろから、周囲を見る。
森の形が不自然だった。木々の間隔が均等すぎる。岩の配置も、人為的な意図を感じさせる。自然がそうなったのではない。
そう【させられている】
地形そのものが、敵だ。
次の瞬間、地面が動いた。
隆起。いや、壁だ。地表がせり上がり、視界を分断する。前後が切り離される感覚に、背筋が冷える。
「来るぞ」
ガルドが短く言う。
合図はそれだけで十分だった。
地面が割れ、魔物が現れる。数は多くない。だが、配置がいやらしい。壁の陰から、こちらの動きを測るように現れる。
ガルドが前に出る。迷いはない。剣が振るわれ、最初の一体を叩き伏せる。
だが、そこで終わらなかった。
地形が動く。足場が傾き、踏み込んだはずの一歩がずれる。ガルドの体勢がわずかに崩れた。
その隙を逃さず、魔物が群がる。
「ガルド」
声を上げるより早く、身体が動く。
俺は一歩前に出て、盾を構える。衝撃が腕に走る。重い。だが、受けきれないほどではない。
その間に、背後から魔力が走った。
リィナの魔法が、壁の陰を焼く。正確だ。だが、いつもより範囲が狭い。地形が、詠唱の狙いを狂わせている。
セシルが詠唱を始める。だが、回復の光が届く前に、足場が沈む。彼女のバランスが崩れた。
俺は振り返り、手を伸ばす。
指先が触れる。間に合った。それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなる。
レインはすでに動いていた。壁の裏に回り込み、地形を操る核を探している。だが、簡単には見つからない。地面が生き物のように応じてくる。
戦場が、こちらを試している。
ガルドが吼え、無理やり前線を押し戻す。力技だ。だが、この場では悪くない判断だった。
俺は周囲を見る。壁の動き。魔物の出現位置。沈む地面の周期。
規則がある。
完璧ではない。だが、偏りがある。
「次、左が沈む」
言葉にすると、リィナが即座に動いた。詠唱の位置をずらし、火球を放つ。沈みかけた地面が爆ぜ、動きが一瞬止まる。
その隙を、ガルドが逃さない。踏み込み、剣を振るう。魔物が倒れる。
セシルの回復が届く。遅れはない。
戦況が、わずかにこちらに傾いた。
それでも、楽ではない。地形は執拗に動き続ける。疲労が、確実に蓄積していく。
俺は剣を振るう。魔法を使う。必要とあらば回復も行う。判断を止める暇はない。
すべてを同時にやる感覚。慣れているはずなのに、負荷が重い。
ガルドの剣が止まる一瞬が見えた。
疲れだ。
「一歩下がれ」
声をかける。彼は反論しない。半歩退き、体勢を立て直す。その隙を、俺が埋める。
俺の剣は軽い。だが、止めることはできる。
レインが合図を送る。地形の核を見つけた。
リィナが詠唱を始める。長い。だが、必要な時間だ。
俺は前に出る。盾を構え、魔物の注意を引く。衝撃が続く。腕が痺れる。足場が揺れる。
それでも、退かない。
退けば、詠唱が途切れる。
光が走った。
地形が悲鳴を上げるように崩れ、壁が沈む。魔物の動きが止まり、統制が失われた。
ガルドが一気に前に出る。剣が閃き、残った敵を叩き伏せる。
静寂が戻る。
息を整えながら、周囲を見る。全員、立っている。致命傷はない。
勝った。
そう理解するまでに、少し時間がかかった。
「……厄介だったな」
ガルドが言う。額に汗が滲んでいる。
「地形操作。嫌い」
リィナが短く吐き捨てる。魔力の消耗が、顔色に出ていた。
セシルが全員に回復を回す。いつもより、詠唱が多い。
レインが肩をすくめる。
「俺一人じゃ、無理だったな」
その言葉に、俺は何も返さなかった。
確かに、俺一人でも無理だった。だが、それ以上に、俺がいなければ成立しなかったとも思えない。
地形を読み、繋ぎ、埋めただけだ。
誰にでもできる。そう思おうとした。
「判断が早かったな」
ガルドが俺を見る。その目に、疑いはない。
俺は視線を逸らす。
「たまたまだ」
本心だった。もし一つでも遅れていたら、誰かが倒れていたかもしれない。その事実だけが、胸に残る。
第一魔将の気配は、すでに消えていた。倒したのか、それとも退いたのか。分からない。
だが、この領域は越えた。俺たちは、さらに奥へ進む。胸の奥に残る疲労と、拭えない感覚を抱えたまま。
この戦いで、俺が役に立ったのかどうか。
その答えを、俺はまだ見つけられずにいた。




