第八話
屋敷に到着するとそこには人がごった返していた。
「私は関係ないわ…!」
「みんながするからしていただけよ!」
「知らなかったんだ…!」
屋敷中の使用人が縄でつながれ外へ出されている最中であった。
いつも暴言や暴力を振るってくる女中長。
ストレスのはけ口に無能に手を挙げていた料理番。
昔は優しかったが、無能と知ってからは見て見ぬふりを始めた庭師。
そして────。
「私にこんなことをして許されると思っているのか!」
「痛いわ!離して!何も悪いことなんてしてないじゃない!」
「無能に無能といって何が悪いの!何もできないのだからそのくらいしか役に立たないじゃないの!」
みっともなく喚き散らしながら最後に出てきたのは、叔父夫婦と嫁いでいなかった私と同い年の四女(幸)。
その光景は現実とは思えないほど、ひどくあっけなく、私の人生のすべてだった苦痛を連れていく。
一人の男と目が合う。
「いち!いちではないか!今がお前が役に立つ時だぞ!神通差別なぞ受けていないと、その声でいうのだ!」
その声に反応するように、二人の女も声を荒げる。
「私のために役に立ちなさい!」
「役立たずは必要ないといったでしょう!さっさと助けなさい!」
醜く喚いている奴らを拘束している警官がこちらを振り返る。
「君、こいつらと知り合いか?」
私は、何と答えればいいのだろう。
知り合いといえば、私はどうなる。
知り合いではないといえばこいつらはどうなる。
冷めた目でそれを見ていることが自分でもわかる。以前自分が受けてきた視線を、今、あいつらに返しているかのように。
背後に気配がしたと思ったら、肩を抱かれ、目の前が着物でいっぱいになった。
「やあ。こんなところにいたのかい?君の方向音痴には困ったものだ。」
こんなつまらない見世物を見てしまうなんて。
と、その声には聞き覚えがあり。体が震える。それは恐怖からくるものでもなく、寒さからくるものでもなく。この感情は、安堵。
朝、別れを告げたはずの、彼。桐生の腕の中に閉じ込められていた。
なぜ、彼がここに。
「さくら、君彼らとは知り合いだったのか?」
少し威圧的な声色から、否定しろと言われているのが分かる。
私は胸に閉じ込められたまま、首を振るしかできない。『さくら』なんて名前も偽って。何のためにこんなことをしているのか。
「なっ!何を言う!そいつは俺の姪で無能の役立たずだ!さくらという名前ではない!」
またなにか喚き始めた。その声から守るように腕に力が入り、少し痛ささえ感じる。
「ほう、ではこの子の名前は、何というのですか?」
「そんなの…。ぁ…?さ、ぁ?」
突然壊れたかのように言葉を発さなくなった男を見て女二人は更に喚きだす。
「あなた!何やっているの!この子の名前は…! …?」
「お母さままで!こいつは!こいつは!なぜ?なぜわからないのっ!」
すべての記憶が亡くなったかのような顔をして、絶望に打ちひしがれる三人。そんな様子を見て警官は逃げ出したいだけの妄言と思ったようだ。
「巻き込んでしまい、申し訳ありません。もうしばらくここは封鎖されますので、どうか引き返し、回り道をされてください。」
警官は手に持つ縄を握り直し、引っ張りながら彼らを連れていく。その間もずっと醜い叫び声は木霊し、「許さない、許さない」と私の耳に呪いをかける。
そんな呪いから隠すように彼は耳を塞ぎ、私の顔を覗き込んだ。そこには、さっきまでのさわやかな声を出していたとは思えないほど、怒りに満ちた目を見せる桐生の姿があった。
□□□
桐生に連れられ、桐生の屋敷へ戻ることになった私は、改めて先ほどの光景を思い出していた。
雇い主と使用人以下の関係ではあったが、それでも小さいころはかわいがってもらい、無能と分かってからも屋敷にはおいてくれた。
ちょっとした恩を感じていた親族が逮捕され、しかも私の名前すら覚えていなかったという事実に打ちひしがれていた。
「いち、いち。大丈夫かい」
桐生に手を引かれて歩いていると、私は無意識に足が止まっていたようだった。
周りを見渡せば、そこは彼と出会った場所。あの薄桃色の花が咲く木の近くだった。
「ずっと歩き通しだから疲れた?少し休憩しようか。」
彼は私の手を引いてあの木の根元へと行く。
日中の気温も上がりはじめ、じめっとした空気も相まって息苦しくなる季節だが、不思議とこの木の下は涼しげで、落ち浮くことができた。