第七話
翌朝いつもの時間に目を覚ますと、なぜか布団で寝ていた。
厚かましくも夜中に潜りこんでしまったのだろうか。
着物を着て、布団を畳み、人の家なので掃除をしようにも、勝手にはできず。部屋の真ん中でただ座り、じっとしていた。
足音が近づいてくる。
「起きてる?」
その声は香也のものだった。すっと障子が開くと香也は驚いたように動きを止めた。
「あ、なた。いつから起きてたの」
寝ていると思っていた人物が微動だにせずに部屋の真ん中に座っていたらそれはとても驚くだろう。申し訳ない気持ちもするが、勝手に動くことができなかった手前、許してほしい。
「香也さんおはようございます」
「えぇ、おはよう」
「こんな上等な布団も用意してくださり、ありがとうございました。」
すでに畳まれている布団に目をやった香也は、訝しむ様子で、本当に寝たのよね?と言ってくる。それに私は首で答えた。
「休んだのならいいわ。」
「朝食ができているわ、行きましょう」
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「今から、綾瀬邸へ行こうか。」
朝食を食べ終え、片付けをしようという時だった。桐生が口を開き、湯呑片手にそう言った。綾瀬邸とは私が働いている屋敷に名前のことである。
「え、っと。どのような用件ででしょうか」
彼が綾瀬邸へと向かう理由に心当たりがないといえば噓になるが。昨日の会話の中にあった「荷物は明日取りに行こう」ということを今から実行しようとしているのだろう。
私はその場に座り、頭を下げた。
「私はここに置いてもらえる存在ではありません。」
「一宿一飯の恩とは申しますが、これ以上、あなた方に迷惑をかけることはできません。」
私が話し出すと、片付けをしていた、香也まで手を止めて、そこに腰を下ろす。桐生も正座をし頭を下げるいちの頭をじっと見つめ、その表情からは、何も読み取ることができない。
「昨日、桐生様はおっしゃられました。神通の封印が解けたらどのように使いたいかと。封印されたままでもいいのかと。一晩よく考えましたが、よく分からないのです。」
二人からは見ることができないが、いちの目には涙が浮かび、もう零れ落ちそうなほど涙がたまっている。
声も震え、その声で泣いているのではないかと、桐生は察する。
「生まれてこの方、神通を持ったことはありません。無能としての人生を歩んできたのです。」
「それをいまさら、神通が使えるようになったからと、覆すことができる想像はできなかったのです。」
「昨日の質問にお答えします。私は神通は封印されたままでも構いません。これからもずっとそのようにして生きてゆくのだと思います。」
「自分に神通があるかもしれない。使えるようになるまも知れない。期待で胸が躍ったことは否定しません。ですが、私は平凡な、いえ、平凡以下の無能なのです。」
「この生活から逃れる想像ができません。」
そう、話し出した私の言葉を途中遮ることなく、桐生さんは耳を傾けてくれた。
「それが、君の答えでいいんだね?」
確認するように一言。その言葉に私は、ゆっくりとうなずいた。
その拍子に何かがこぼれたような気もするが、きっと気のせいである。独りよがりな、自分のことしか考えず、逃げた私に泣く資格などないのだから。
「…。そうか。残念だ。」
言葉では残念と言いながらも盗み見た顔には表情はなく、感情も読み取れない。
いまだ頭を下げているいちに気づかれないように桐生は香也に合図を送る。その合図とともに香也は姿を消した。
「君の封印は昨日も言った通り、すぐ解ける。その時困ったらここを訪ねるんだよ。君の力になりたいと、心から思っている。」
その一言に、いちは益々頭を床に擦り付けた。
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屋敷まで送ろうという、彼の申し出を断り、私は歩いて屋敷へ戻る。
香也にも直接礼を言いたかったが、途中気づかぬうちに姿が消えていた。
神通について教えてくれた、温かいお風呂、ごはん、人のやさしさ。知らなかったことを一晩でいろいろ経験してしまった。
そんな彼らにとても失礼な答えを出してしまった。その後悔から、瞳からはとめどなく涙があふれ、ゆっくりと歩を進める地面に色濃く後をつけていた。
行きでは感じなかったが、そこそこの距離があったらしい、屋敷には昼前にたどり着いた。涙は枯れつくし、顔もひどく腫れていた。
屋敷に近い大通りが騒がしい。何事かと耳を澄ませてみると、
「綾瀬邸が…。」
「神通庁が…。」
「逮捕…。」
聞こえてくるのはそのような嫌な言葉ばかり。胸騒ぎを覚え、足早に屋敷へ向かう。
屋敷に到着するとそこには人がごった返していた。