第十話
桐生の家で暮らす生活は思っていたよりもずっと穏やかなものだった。
朝はやく起きて台所へ行けば、てっきりいないと思っていたお手伝いさん、ミワがいて「お願いですからお部屋でゆっくりされてください」と追い返される。
昼間庭の掃き掃除でもしようと外へ出てみれば、これまたいないと思っていた庭師のおじいちゃん、佐々木から「俺の仕事を奪わないでくれ」とほうきを奪われ、縁側に腰掛けさせられる。
今まで当たり前にやってきたことをしないでくれと頼まれるのはなんとも不思議な気分だ。なんというか、落ち着かない。
私は神通がないからなんの役にもたてない。せめて、家事雑用くらいはしなくてはと思っていたが、それすらもできないとなると…。
(私、本当にここにいて良いのかな…。)
ミワは温度調節の神通。それを使い、湯を沸かし、少し冷めた料理は温め、風呂の温度もちょうどよく。家事をするにはもってこいの神通だ。
佐々木も風の神通を持っており、それを操り、木の剪定や、落ち葉掃き。庭になってる果物なんかもそれで取ってくれ、これまた庭師に持って来いの神通なのである。
(あんなに自分の仕事に相応しい神通を持っていれば、何も役にたたない無能には手を出してほしくないよね。)
縁側で膝を抱えぼーっと庭を眺める。
佐々木の整えた庭が美しく輝いている。
「なにぼーっとしてるの」
声の方を振り向くと、そこには香也が立っていた。
「そんなとこに座り込まれてても邪魔。」
そんな香也の手にはバケツと雑巾が握られている。
「あ、申し訳ありません。」
いちはサッと頭を下げると、そのまま庭に裸足のまま降り、そこに座った。
「なっ、」
「なによ!私が悪いみたいじゃない!そんなところに座り込まないで!さっさとどっか行きなさい!」
「申し訳ありません。」
香也は慌てたようにそう言うと踵を返して戻っていった。
申し訳ないことをしてしまった。きっと彼女はこの廊下の拭き掃除をしようとやってきたのだろう。
(仕事の邪魔ばかりしてしまうな…。)
立ち上がり、汚れを払い落として部屋に戻ることにした。
香也はいちがこの家に来てから、どうも距離のとり方を測りかねているようで、きつく当たってしまう事がある。
その度にいちはすぐ土下座をし謝るものだから、調子が狂って仕方ないだろう。
部屋に戻ったいちは、部屋の隅でじっとしておくことにした。
いちが本格的にここに住むと決まってから、机や化粧台、箪笥など、必要な家具は揃えて置かれた。
(そういえば、ここの本はなんでも読んでいいって言われていたんだった。)
その家具の中には本棚も含まれており、その本棚にはびっしりと本が入っている。
いちが1つ本を手に取って見てみると、それは字をあまり読むことができないいちでも読むことができるような簡単な本であった。
(子ども向けの本かしら…?)
何枚か捲ってみるとなんとなく興味が惹かれるものであった。
机の前に座り、本を本格的に読み始める。
中にはわからない文字もあったが、それは今度聞いてみようと、とりあえず全てに目を通そうと読み進める。
外が暗くなり始めて、字が見えづらくなったらロウソクに火をつけて。(電気もあったが、いちには電気をつけるという習慣がない)
いちが読書をやめたのは外からの声が聞こえたからであった。
「いち、いち?大丈夫かい?入るよ?」
その声と同時に障子が開かれる。
そこにいたのは桐生であった。
その顔には、心配の表情を浮かべている。
「き、桐生さん。」
「食事ができたと呼んでも返事がないからと、香也が心配していたよ。」
声をかけられた記憶のないいちは、首を傾げる。
「本を、読んでいました。」
「あぁ。読めたかい?」
「わからない文字もあったのですが、本ってこんなにおもしろいものだったのですね…!」
珍しく高揚した声で本を抱きしめるいちの周りにはいくつかの本が散乱していた。
それを見た、桐生は目を見開き、
「これ、今日で全部…?」
「はい!とても興味深い内容で…!あっ、そうだ。この文字なんですけど…。」
桐生はいちが読んでいた本を見る
それはいちにはまだ難しいだろうと思いながらも本棚に入れていた本だった。
「いち、この本の内容がわかったのか?」
「えぇ!神通のことを詳しく書いてありました!神通の起源とされることや、歴史。職業にどのように使われているか、またその規制方法。全く知らないことだらけでとても興味深かったです…!」
その本はだいぶ難しい漢字が並んでいる本である。
『桜』が読めなかった彼女が読めることが不思議でならない。
(いちはどうやら相当な学を持っているようだな…。)
これは、予想外だ。とでも言うように、桐生は頭の中で、この本棚の本を一新することを決めていた。
「わからなかった文字は教えよう。」
「だが、今は夕飯だ。」
その言葉を聞いて、どこからか腹の虫が聞こえてくる。
顔を赤くして俯いているのはいちである。
そんな彼女を可愛らしく思った桐生はそれには触れず、彼女を食卓へ案内する。




