肉まん
久しぶりに書きたくなったので書きました。
いろいろ大目に見てください。
今日は朝の占いでふたご座の運勢が良い。
気分が良くなり詳しく見てみると、『肉まん』がラッキーアイテムのようだ。
仕事中の午前五時、夜明けにも少し遠い時間にふと思う。
――肉まんは十八禁で、あんまんは青少年向けだよな、と。
実際の食べ物の話ではなく、おっぱいに見立てたときの話だ。けして中華まんを食べるのに年齢制限が必要な話ではない。
……言い訳をさせて欲しい。
肉まん・あんまん共に中華まんの一種ではあるものの、肉まんには突起があり、あんまんにはない。
ただの見分けやすさのためだとはどこかで聞いたような気がするが、本題はそこではない。
漫画などに描かれるおっぱいには一つの基準がある。
十八禁ならば乳首までしっかりと描かれるが、青少年向けのものならば描かれることは少ない。
この時、青少年向けにおける乳首の描写は、あんまんのように乳首自体を書かないもの、あんまんの頂点部の赤点のように何かで隠すもの、あんまんのように味わえば甘い体験をできるものとして描かれる。
翻って肉まんはどうだ。
常に突起まで描写されて隠すこともせず、味わおうとも甘くはない。
十八禁の漫画においては『おっぱいを揉む』という行為は、その先まで描写することが多いためか主題に置かれることは少なく、あくまでも行為の補助として描かれる。
これは肉まんの餡に少し砂糖を入れるかの如き比率である。
故に私は思ったのだ。肉まんは十八禁で、あんまんは青少年向けだよな、と。
そんなことを思いながらはや数刻、ついに私は職責から解放され通勤途中のサラリーマンを横目に帰路につく。
休憩除いて十七時間勤務後の晴れた朝はいい。
少し冷たい空気と少しだけ静かな町、青い空を見上げながらの帰路は、まるで空を心に落としたような爽やかさがある。
けして往年のセクシー女優を見ながらセクシー女優を心に落としたわけではない。
普段の帰路とは少し外れて駅を出た先にはコンビニ。
もちろん目当ては肉まん。
ホットスナックコーナーに目を向ければサイズは二つ。大きいサイズが上と普通サイズが下に並んでいる。
遺憾である。
機械の強度的にはまるで影響のない誤差であることは知るものの、重いものが下で軽いものが上のほうが安定するではないか。
ここはおっぱいとは同じではない。おっぱいは大きさに一切合切、徹頭徹尾関係なくあるがままで素晴らしい。
昨今の漫画のキャラは巨乳爆乳当たり前。それが好きで書くのならいいが読者が求めるから書く風潮は無粋の極みと言えよう。
それに張りや柔らかさも違うのだから、全て同じような書き方をするのには愛がない。
プロには分かる。
こんな文章を書いている時点でご察しの通りだが私はモテない。
しかし、モテるようになる事をすっぱりと諦め風俗に通い、AカップからPカップまで揉んできたのだから分かる。
非モテ界のおっぱいプロ成人男性それが私だ。
上には上がいることは重々承知だから『私が一番知っている』などとは口が裂けても言えないが、一家言持てるくらいには揉んできたから言わせてもらいたい。
服を着ていても、ブラの形が何であろうとも、大きかろうと、小さかろうと、恥じらっていようと、堂々としていようと全てのおっぱいが素晴らしい。
というわけで私は小さい肉まんを買った。
家に帰れば母が昨日作った晩飯の残りがあるのだ。
コンビニで肉まんを注文して包み紙を開ける。
ほかほかと湯気をたてる現代日本の冬の風物詩、肉まん。
触ればふわふわと柔らかく暖かい。
誰がどう決めたかも分からないラッキーアイテムに惑わされて、無事に日本経済に貢献する事とはなったが悪くない。
そこでふと思う。
ふたご座、肉まん。
おっぱいである。
これは肉まんが二つでおっぱいになるだけではなく、子作りをして双子が生まれたことへの暗喩かとも言える程の一致。
プロとした事が痛恨のミスだ。肉まんは二つ買うべきだったのだ。
そんなことを考えながら自らのミスと肉まんを噛みしめる。
生地の甘さと肉餡の旨味が肉汁と共に口の中を席巻する。美味い。
久しく食べていなかった肉まんはどうやら豚肉。いや、コンビニで牛肉まんや鳥肉まんを食べた記憶は無いが、いい。
正直な話肉まんならば豚肉が一番で鶏肉が二番だと思っている。牛肉まんはあまり好みではないのだ。
しかし鳥肉まんは肉まん専門店でしか見たことがなく、あまり日本人になじんでいないのだろう。
正直コンビニで肉まんを頼んで鳥肉まんが出てきたら吃驚してしまうかもしれない。
風俗の写真で痩せている嬢を予約したら、ふくよかな嬢が出てくるくらいの衝撃だろう。
ふくよかな嬢も好きだが、その気分ではないこともあるのだ。
そこでふと噛り付いた肉まんの断面を見る。
エロくない。
盲点だった。
美しい半球状だった肉まんは、噛り付いたことにより一部が欠けてしまっている。
だからであろうか、傷のついたおっぱいやカニバリズムを連想してしまいエロく感じなくなってしまったのだろう。
痛そうなのは性癖に反する。
そこで思い出したのだが、本日のふたご座の運勢は五位。
ここ最近私が見かけるときには十位前後をうろついていたのだが、それに比べれば大健闘なものの物足りない。
エロさを感じて食べ始めた肉まんが、ものの十秒でエロくなくなってしまったのだ。
これが所詮五位の実力だったのだろう。
競技人口十二人の五位はあまりにも力不足だったのだ。
そこまで考え終わると同時に食欲から性欲に切り替わっていた思考が、再度食欲に戻る。
うん。やっぱり仕事明けの冬の朝の肉まんは格別だ。
肉まんを食べ終わり家につく。
そこで昨日の晩御飯の残りを見てみると麻婆豆腐が入っていた。
先ほどまで食べていた肉まんと相性がいい。
しかも最近胃腸炎を患っていた身としてはちょうど辛さに対するクッションが腹に入っているから丁度よさそうだ。
やっぱり五位も捨てたものではない。
夜勤明けの身には、このくらい小さな幸せが丁度良かったのだった。