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第6話 現実

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます!

 今回から病院での描写が多いですが、筆者が医療に詳しくないため、おかしな点も多々あるかと思います…。

 どうかご了承の程お願い致します。

「これは恐らく、"消滅"の予兆だと思われます」



「しょうめつ……?」

 

 先生の言葉がうまく飲み込めない。

 

 しょうめつって消滅?消えるって事?


「えっと……どういう事ですか?」

 

 意味が分からず、先生に恐る恐る訊ねる。

 新條先生は深刻な表情を保ったまま、丁寧にゆっくりと答えてくれた。


「今回はなんとかなりましたが、こういった事が恐らく今後も繰り返されるでしょう。やがて完全に目を覚まさなくなり、ただのフィギュアの姿に戻るかと……」


「それって…………死ぬ、って事ですか?」


「…………そのように捉えていただければ」


「っ!」

 

 ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃だった。

 死ぬ?ダイスが?そんな……そんな事って……。


「……どうしてそんな事が言えるんですか?」

 

 私が言葉を失っていると、隣にいた洸が口を挟んだ。

 確かにそうだ。先生は自分の見解だと言ってたけど、何故ダイスが今後そうなると思うんだろう。

 先生は態度を変える事なく、はっきりと言った。


「ダイスさんのようにフィギュアの体を借りるようにして現れた方は、どなたもそういった経過を辿るんです。ですから……」


「っ⁉︎」


「っ⁉︎ちょっと待ってください」

 

 その文言にはどうしても聞き捨てならない点がある。私は問い返そうとしたけど、洸の方が早かった。


「他にもいるんですか?二次元から来た人が……」


「ええ。少なくとも、これまでに5人は確認されています」


「!」

 

 開いた口が塞がらない。まさかそんな、前例があったなんて……。


「ご存知ないのも当然です。私達医者でも、把握している者はごく一部ですから……」


「………………」

 

 室内に沈黙が流れる。

 いろんな情報を一度に摂取したおかげで、私の頭はパンク寸前だ。だけど動揺してる場合じゃない。これからどうするか決めないと。だって、ダイスの今後がかかってるんだから。

 浅くなる息をなんとか整えつつ、私は思い切って先生に訊ねる。


「さっき、ダイスが…………死ぬかも、って言いましたよね」


「……ええ」


「本当にそうなんですか?元の世界に帰っただけなんじゃないんですか?」

 

 先生は静かに私を見る。その細い目の裏にある考えが読み取れなくて、なんだか少し怖い。


「ひとつ、確認してもよろしいですか」


「……はい」


「ダイスさんは……物語の中で生存されていますか」

 

 その問いかけに、息がヒュッとなる。ただでさえうるさく鳴っていた心臓が、さらに大きな音を奏でた気がした。

 どうしてそんな事を聞くのだろう。疑問に思うと同時に、確信した。おそらくこれは核心に触れている、と。

 口を噤んでしまった私を見て、先生の目がますます細くなる。


「そのご様子だと、違うようですね」


「…………」

 

 私は何も答えなかった。だけど、その沈黙が肯定と同義だった。


「確かに、元の二次元の世界に帰った……という可能性も否定はできません。なんせこの現象はまだ解明されていない。事例だって極少数です。ですが……」

 

 先生の顔が僅かに伏せられる。


「今まで確認されている5人全員が、物語の中で亡くなっています。ですから、元の世界に帰る事は厳しいかと……」

 

 自分の心が冷え切っていくのが分かった。体中が絶望感に支配されていく中、背中に何かがそっと触れる。

 隣を見ると、心配そうに見つめる洸と目が合った。


「……大丈夫か」

 

 小さな温もりが背中を優しく撫でる。ああ、これは洸の手だ。心の温度は冷たいままだけど、少しだけ安心した。

 言葉が出てこない私の代わりに、洸が口を開く。


「……先程、先生は"消滅"と仰いましたよね。それはどういう意味ですか」


「……我々医者の間ではそう呼ばれているんです。キャラクターの彼らにとって、"本当の死"は元の世界での出来事ですから」

 

 先生の顔は今度は洸へと向けられている。


「では、どうする事もできないんですか?"消滅"するのをただ黙って見ている事しかできないんですか?」


「…………」

 

 先生が口を閉じる。しばらく間を置いた後、ゆっくりと言葉が紡がれた。


「方法は、あります」


「っ、ホントですか?」

 

 思わず明るい声が出た。立て続けに悪い情報ばかり耳にしたからか、その先生の言葉が希望に思えた。


「どんな方法ですか?」

 

 洸の声も、心なしか微妙にトーンが上がっているように聞こえる。

 先生がはっきりとした声で言った。


「成長ホルモン剤を打ち込みます」


「え……」


「成長ホルモン剤……⁉︎」

 

 あまり聞き慣れない言葉に、私は一瞬ぽかんとする。いや、存在としては知ってるけど……。


「それって大丈夫なんですか?」

 

 私と違って過剰反応した洸が、先生に問いかける。


「使用自体は問題ありません。実際に効果も確認できています。その代わり、副作用が酷いですが……」


「……えっと、それ使ったらどうなるんですか?」

 

 成長ホルモン剤って、文字通り体の成長の為に使うやつじゃなかったっけ。"消滅"の防止に役立つものとは思えないんだけど……。

 すると、私の質問に先生は次のように答えた。


「私達のような、通常の人間の体になります」


「え⁉︎」

 

 え、どういう事?ダイスを普通の人間にするの?


「今のダイスさんのように小さな体では、通常なら可能な処置でも不可能な事が多いです。そのため、処置がしやすい体になるよう成長ホルモン剤を注射します。彼らには通常の人間よりも効果があり、約1ヶ月で完全に成熟します」


「1ヶ月……!」

 

 成長ホルモン剤の効果が普通はどうなのか知らないけど、1ヶ月で私達みたいな大きさになれるのは凄い。


「ですが先程も申し上げた通り、副作用が酷いので……」


「副作用……?」


「高熱が出たり、全身に激痛を感じたりします」


「!」


「意識を失っている間はそうはならないのですが、意識がある間はそういった症状が見られます」

 

 すると、先生が真っ直ぐに私の顔を見つめて問いかけてきた。


如何(いかが)なさいますか」


「え……」


「"消滅"を免れるためにも私は注射をお勧めします。ですがそういった副作用もありますし、成功すると断言もできません」


「……失敗するかもしれないんですか?」

 

 私のその質問に、先生は少し逡巡する様子を見せるも、はっきりと答えた。


「元々の事例が少ないですから……。ですが、注射を受けた方は今のところ"消滅"していません」


「そうですか……」


「しかし、莫大な費用がかかります。なので一度、ご家族の方とご相談を……」


「……どのくらい、かかるんですか?」


「入院代などもあるので、最低でも100万は……」


「100万……⁉︎」

 

 そのとんでもない金額に私は目を丸くする。洸も驚愕したようで、息を呑む音が聞こえた。


「キャラクターの皆さんは保険や制度の対象外なので……」

 

 先生がやや申し訳なさそうに眉を下げる。そうか、確かに先生の言う通りだ。費用は全額自己負担となるわけか。

 

 一通り説明を受けた私は、しばらく考えた。

 成長ホルモン剤の注射を受ければ、ダイスは"消滅"を回避できるかもしれない。だけどリスクが高い。副作用、お金……それに、成功するとも限らない……。私一人で解決できる問題じゃない。

 だけど、それでも私は……。


「受けます」


「このみ……」


「注射、お願いします」

 

 私は、はっきりとそう告げた。

 洸の視線を感じる。先生に頭を下げているから、彼がどんな表情で私を見てるかは分からない。


「……本当に、よろしいのですか」


「はい」


「…………」

 

 顔を上げると、先生もまた意味ありげな視線で私を見つめていた。一体何を考えてるんだろう。

 暫しの沈黙の後、その口が開かれた。


「幸い、まだ猶予はあります。ご家族の方とよくご相談されてください」


「え……」

 

 私があれだけ宣言したにも関わらず、先生はそれを了承しなかった。


「それでは、私はそろそろ失礼いたしますね。元の病院に戻らなければならないので」


「え、あ……」


「ダイスさんは私の病院へと連れて行きます。今後はそちらへいらしてください」

 

 名刺を渡され、私は戸惑いながらも受け取る。


「あ、あの、先生……」


「お忙しい中ありがとうございました、新條先生。またよろしくお願いします」


「え、洸……」

 

 すると洸が、立ち上がって先生にお辞儀をした。かと思えば、私の左腕を掴む。


「行くぞ、このみ」


「え、あ……ありがとうございました」

 

 そのまま洸に引き摺り出されるように、私は診察室の外へ出た。


「洸、どうして……」


「先生も忙しいから」


「それはそうだけど……」

 

 最後強制的に話を中断された事に納得できないでいると、洸が真面目な表情で私を一瞥した。


「…………お前、本気なのか」


「え?」

 

 それはさっきの話の事だろうか。そう解釈して、私は頷く。


「もちろんだよ」


「……オレは、もう少し考えた方がいいと思う」


「え」

 

 だけど、私の本気は洸にもよく伝わっていなかったらしい。


「だってダイス、死ぬ……っていうか、"消滅"するかもしれないんだよ?だから……」


「それはそうだけどよ」


「洸……?」

 

 洸の表情がなんだか苦々しい。彼は私から目を逸らすと、そのまま背を向ける。


「オレ、帰るわ。お前も気をつけて帰れよ」


「え、まっ……」

 

 洸はあっという間にすたすたと歩き去っていった。





 翌日、私はとある一軒家の前にいた。そう、私の実家だ。

 今日ここに来た目的はただ一つ。両親にダイスの医療費の補助をお願いするためだ。

 正直、うまくいくかどうかは分からない。だけど、なんとしても両親を説得させてみせる。

 そんな切実な思いで私はインターホンを鳴らす。

 はーい、という声がして扉が開かれる。顔を見せたのはお母さんだった。まあ、声を聞いた時点で分かってたんだけど。


「このみ!いらっしゃい」

 

 ウェーブのかかった髪を揺らして活発そうな声で私を呼んだお母さんは、早速私を家の中へと招き入れる。


「久しぶりね。しばらく連絡なかったから、もう今年の夏休みは顔見せないかと思ったわよ」


「あはは……ごめん」

 

 それはダイスがいたから……なんだけど、今はまだ言う訳にはいかない。


「おぉ、このみ。久しぶりだな」


「久しぶり、お父さん」

 

 リビングに入ると、椅子に座って新聞を読んでいたお父さんが顔を上げて私を見た。


「今日は泊まるのか?」


「いや、ごめんだけど戻るよ」


「そうなのか?せっかく帰ってきたんだし、別に一日くらいいいのに。なんならずっとでも!」


「あはは……ごめん」

 

 ダイスのお見舞いに行くから……とは、今はまだ言う訳にはいかない。


「ほらほら、このみも座って!ケーキあるから」


「あ……ありがと」

 

 そう言ってお母さんがテーブルの上に皿を置く。その上に乗っていたのはいちごのロールケーキだった。

 まだ家に洸のお土産のロールケーキ余ってるんだけどな……。いやいや、それを言っちゃあいけない。親の厚意を無下にする訳にはいかない。きっと私がロールケーキ好きなのを覚えてて、準備してくれたんだろうし。

 ……それにしても、今月に入って何回ロールケーキ食べた事か。あのプチ黒歴史が頭を過る。今ここで悶えたら親に異常者を見るような目で見られそうだし、やめとこう。


「このみ、どうしたの?早く食べなさい」


「あ、うん」

 

 お母さんに促され、スプーンを手にとる。そのままケーキの一部を掬い取って口に入れると、舌の上で優しい甘さが広がった。

 

 両親はいろんな事を聞いてきた。大学生活はどうかとか、一人暮らしちゃんとやれてるかとか、洸の最近の様子とか。

 小さい頃からよく知ってるせいか、両親は洸の事をすごく気にかけている。あと、すごく褒める。他所(よそ)の子よりもまず先に自分達の娘を可愛がってほしいんだけど……。まあ洸と違って私って凡人だし、大して自慢のタネにならないか。

 だけど、いつもならそんな近況報告や世間話も親相手だし気楽にできるんだけど、今日はなんだか落ち着かない。緊張でいつもより鼓動が速く感じる。

 

 ある程度話も弾みロールケーキもなくなった頃、3人分の皿を重ねたお母さんが突如口を開いた。


「それで、どうしたの?」


「え……」


「何かあるんでしょ、話」

 

 どうやら異変に気づかれていたようだ。気づけばお父さんのこちらを見る目も真面目なものに変わっている。

 勝負の時が来た。なんとしても2人を納得させないといけない。そして、費用の援助を貰わなきゃいけない。

 自分の唇は震えていた。


「実は……」





 私は両親に全てを打ち明けた。

 2人の顔つきが変わっていくのが見ていてとても辛かったけど、それでも私は必死に耐えた。ただ事実を正直に、包み隠さず述べる事に努めた。

 やがて話を聞き終えたお母さんの第一声は……。


「あんた、何言ってんの?」

 

 ……ああ、やっぱり。


「このみ、あんた頭でもぶつけたんじゃないの?」

 

 お母さんは私の話が理解できないとばかりに、真っ先に私の言う事を疑ってきた。けど、それはお父さんも同じようで……。


「このみ、お前騙されてるんじゃないのか?」

 

 2人ともまるっきり私の話を信用しようとしない。

 だけど、これが普通なんだ。二次元のキャラクターが目の前に現れたなんて、そんな簡単に信じられるはずがない。

 それでも、信じて貰わなくちゃいけない。


「信じられない話だと思う。だけど、本当なの」


「そんなの、ありえないだろう……」


「普通はね……。でも、実際に起こってる事なの」


「洸くんも知ってるって、本当なの……?」


「本当だよ。今話した事は全部本当」

 

 しばらく話は進まなかった。真実だと主張し続ける私と、疑い続ける両親。一向に平行線のままだった。

 だけどいつまでも折れない私の態度が信憑性を高めたのか、とうとう2人から否定の言葉が出てこなくなった。


「…………」


「…………」

 

 しばらくリビングの中は静かだった。両親の顔がまともに見られなくて目のやり場に困ってしまい、テーブルの上に視線を落とす。

 

 どのくらい時間が経っただろうか。そう思うほどの時が過ぎ去った頃、口を開いたのはお父さんだった。


「このみの言いたい事は分かった」


「お父さん……」


「つまり、このみはその……ダイス、という人を助けたいからお金がほしいって事なんだな?」

 

 確かめるように問われ、私はこくりと頷く。お父さんは片手で口元を覆い、数秒何かを考える様子を見せた後、次のように言ってきた。


「15分、時間をくれないか。母さんと話し合うから」


「あなた……」

 

 お母さんがお父さんの方を向く。不意打ちの申し出に少し戸惑っているようだ。


「このみはその間、どっかで時間潰しててくれ」


「……分かった。部屋にいるね」

 

 私は立ち上がり、両親をリビングに残して2階の自室へと足を向けた。

 久々に入る実家の自室。いつもならここへ帰ってくると好きな事してのんびりするんだけど、今はとてもそんな気分じゃない。ドアを背にしたまま、ずるずると座り込む。

 いい返事が貰えるだろうか……。不安が拭えない。最初に抱いていた淡い期待は、今はほとんど打ち砕かれていた。

 

 私はしばらく自分の弱気と格闘した。

 ふと壁掛けの時計を見ると、長針が部屋に入った時より約90度ずれていた。この時計、まだ動いてるんだな……。そう思いながら、重い腰を持ち上げる。

 

 そろそろ約束の時間だ。

 

 リビングに戻ると、両親は先程と変わる事なく静かに座っていた。心臓がバクバクと動いている。こんなに緊張して親と向き合うのは初めてだ。

 私は何も言わず、先程座っていた位置に腰を下ろした。


「…………このみ」


「……はい」

 

 私が座ったのを確認して、お父さんは早速口を開いた。


「残念だけど、お前の願いには応えられない」


「っ……」

 

 やっぱり。なんとなく予想してた通りだった。


「流石にそんな大金、払えない。お前が病気とかなら話は別だけど。……今回は諦めてくれ」

 

 お父さんは至って冷静だ。だけど、私を傷つけないよう配慮している優しさがその声音から感じ取れた。

 でも痛い。悲しい。だって私がほしいのは……。


「……もちろんお父さん達の気持ちも分かるよ。けど、私も引き下がれない」


「このみ……」


「バイトで貯めてる分はもちろん全部出す。お父さん達に出して貰った分は頑張って全部返す。だから……」

 

 私がどうしても諦めきれず、もう一度よく交渉しようとしたその時だった。


「いい加減にしなさいっ!」


「っ!」

 

 お母さんの怒号がリビング中に響き渡った。


「あんた正気じゃないわよ!自分が何言ってるか分かってるの⁉︎」


「え……」

 

 もしかして、お母さんはまだ私の説明を信じてなかったんだろうか。そう思い、もう一度真実だと主張を通そうとしたけど……。


「たかがキャラクターを助けるためにそんな大金を使おうだなんて、馬鹿じゃないの⁉︎いくらなんでもやりすぎよ!」


「っ……!」

 

 どうやらお母さんは私の説明を信じていない訳ではなさそうだった。お母さんが怒ってるのは、私の話にじゃなくて私の行動に対して……。

 そう分かった途端、胸にとてつもなく強い何かが湧き上がった。気づけば私は叫んでいた。


「大事な人を助けたいと思って何が悪いの⁉︎」

 

 そうだ、これは怒りだ。

 

 お母さんは言った、「たかがキャラクター」と。私にとってダイスは大事な人なのに。それなのに、その想いを、その一言で、一蹴された事に腹が立ったんだ。

 

 私の主張に、お母さんは反論をやめない。


「限度ってものがあるでしょう⁉︎あんたのそれはただの自己犠牲よ!」


「そうしないとダイス消えちゃうかもしれないんだよ!」


「キャラクターにそんな入れ込んで……。いい歳して恥ずかしいと思わないの⁉︎」


「そんな人たくさんいるよ!それに前例だってあるんだよ?」


「そんなの裕福で物好きな人だけよ!もっと現実見なさい!」


「馬鹿にしないでよ!見捨てろっていうの⁉︎」


「っなんでもっと普通に……」


「2人ともやめなさい!」

 

 お父さんの一喝で、私とお母さんの怒号の応酬が止まった。

 リビングに静寂が訪れる。私もお母さんもお互い目を合わせようとしなかった。


「…………帰る」


「このみ……」


「じゃあね」

 

 心配そうに私を見るお父さんと何も言わないお母さんを残し、私は実家を出た。

 怒り、失望、そして悲しみ。私の胸中はそんなネガティブな感情で満たされていた。





 それから1週間が経った。

 まだ残暑が厳しいというのに、9月に入ってから世間のあちこちでは夏から秋への模様替えが目立つ。

 そんな季節の変わり目で、心機一転新しい事を始めようとする人も見られる中……。


『え、来週もずっとバイトなの?』


「うん……ごめんね」

 

 そういった新鮮な気持ちに到底なれるはずもなく、私は少々重い気分で友人からの遊びの誘いを断った。


『このみちゃん、最近ずっとバイトだよね。働き過ぎじゃない?ちゃんと休めてる?』


「うん、大丈夫だよ。ありがとう」

 

 親との交渉が決裂したあの日以降、私はアルバイトに精を出すようになった。理由はもちろん、ダイスの医療費を稼ぐため。

 以前から働いてたハンバーガーショップに加え、新しくコンビニのバイトも始めた。今月に入ってから今のところ休みはなし。それでも、一刻を争う事態だ。ダイスの為ならこれくらいどうって事ない。

 そういった事情がある以上、流石に遊びに行く余裕は持てなかった。ごめんねミマちゃん、せっかく誘ってくれたのに……。

 すると、ミマちゃんは電話越しに心配そうな声で訊ねてきた。


『このみちゃん……何か悩んでる?』


「え、いやそんな……」

 

 不意打ちの質問につい動揺する。


『どうしたの?お金に困ってるの?』


「いや、えっと……ちょっと親と喧嘩しちゃって」

 

 嘘はついてない。


『そっか、大変なんだね……』

 

 おそらくミマちゃんは、私が困ってるのは親から援助を得られなくなって生活費が足りないからだと解釈しただろう。前に親から仕送り貰ってるって話した事あるし。本当の事情は異なるんだけどね……。


『流石にお金の事は力になれないからなぁ……ごめんね』


「ミマちゃんが謝る事ないよ!私の自業自得だし!」


『はは、それもそっか……でも無理しないでね?』


「うん……ありがとう」

 

 その後も少しだけ話をして、通話を切った。

 

 彼女の優しさが痛い。隠し事をしているという事が罪悪感を募らせる。謝りたいのはこっちの方だ。

 ミマちゃんにも本当の事を話したい。だけど、怖い。彼女を信頼してない訳じゃないけど、本当の事を話してもし良く思われなかったら……と思うと、怖くて言い出せない。

 アニメやマンガが大好きなミマちゃんが今の私の状況を知ったら、どう思うんだろう。ある意味推しキャラを独占しているような、この状況を。

 そんな事を思いながら、バイトに行く支度を進めた。





「……よぉ」


「…………来てたんだ」


「ん」

 

 ミマちゃんとの電話から数時間後の夕方。ハンバーガーショップでのバイトが終わり、次はコンビニのバイトに向かおうという時間帯。

 その僅かな空き時間にダイスの眠る病室へ顔を出すと、そこには先客がいた。


「1週間ぶりだね」


「だな」

 

 そう、新條先生から衝撃の事実を知らされたあの日から、洸とは会っていなかった。だからまさか来てるとは思わず、一瞬面食らってしまった。


「……全然起きないな、こいつ」

 

 小さな台の上で眠っているダイスを見て、洸は呟いた。

 

 私達が今いるこの場所は、新條先生が勤務されている病院の中だ。できるだけ人目につかないよう、ダイスにはこうして個室が用意された。広い室内で小さいダイスが横たわる光景は、なんだか大きさが釣り合わずアンバランスに見える。

 ダイスはあの日以降、ずっと眠ったままだ。いや、それは少し語弊がある。新條先生によれば、ダイスはたまに一時的に覚醒してはすぐにまた眠る……を繰り返しているらしい。

 もしかして"消滅"が近いのかと不安になって先生に訊ねてみたけど、ただ眠っているだけで意識を失ってる訳じゃないから、まだ"消滅"の心配はない、との事だった。だけど油断はできない、とも言われたけど。

 私はバイトの合間を縫ってこうして毎日ダイスのお見舞いに来ている。だけど、ダイスが覚醒する瞬間には立ち会えていない。もう1週間以上会話できてないんだな……。そう思うと、寂しくなった。

 

 私がダイスをぼんやり眺めていると、洸が静かに口を開いた。


「……ご両親とは話したのか」


「あ……うん」


「どうだった」


「どう……って」

 

 うまく言えなくて口籠る。すると洸が声を落とした。


「……その様子だと、ダメだったんだな」


「っ……」

 

 やっぱり、見破られた。いや、今のはバレバレだったか。


「まー当然だよな。二次元のキャラが現実世界に現れたなんて聞いたら、頭おかしいだろコイツってなるよな」


「いや、それは信じて貰えたみたいなんだけど……」


「けど?」


「………………」

 

 なんて説明しようかと迷っていると、彼は私に向けていた顔を逸らして呟いた。


「……信用はして貰えたけど、納得はして貰ってないんだな」


「……うん、そんな感じ」

 

 あぁ、なんで洸の指摘ってこんな的確なんだろう。でもこういうところはちょっとダイスに似てるかも。

 すると洸は、寝息をたてて横たわるダイスを見ながら言った。


「オレも同感だわ」


「……え?」


「……もうさ、諦めろよ」

 

 その声ははっきりとしていて、そして冷たかった。


「……なんで?」


「なんでって……冷静に考えろよ。お前一人で100万以上も払うとか無理だろ。親にも反対された訳だし」


「それは分かってるけど……」


「それに、必ず成功するかも分からない。無駄足に終わるかもしれないんだ」


「………………」

 

 洸は、私が不安に思っていた点を遠慮なく突いてくる。


「……こいつとオレらじゃ、そもそも生きてきた世界が違うんだ」


「……それがなんなの?」

 

 洸が顔を上げて私を見る。その目は至って真剣だった。


「そんな奴と生きてくってのがどういう事か、お前分かってんの?」

 

 今目の前にいるのは、私のちょっぴり苦手な洸だ。深いところまで追及してきて、逃げる事を許さない。本人に悪気がないのは分かってる。だけど一度捕まってしまったら、嫌でも現実を直視せざるを得ない。


「こいつが無事人間になれたとしても、正体を隠して生きてかなきゃいけない。もう普通には戻れないんだぞ」


「……分かってる」


「じゃあ……」


「それでもっ!」

 

 それでも、私は諦めたくない。


「嫌なの……ダイスがいなくなるのは」


「なんでそこまでこいつに固執するんだよ……」


「好きだから」


「…………」


「また最期を迎えるのを見てるだけなんて、嫌だよ……」

 

 思い出されるのは、あの日の事。ダイスが息絶えるシーンを目にしたあの日。世界が真っ暗に染まり、どん底に突き落とされたような気持ちになった。

 もうあんな思いはしたくない。ダイスには、生きてほしい。幸せになってほしい。そして叶うなら、私はそんな彼をずっと近くで見ていたい。

 室内に私のしゃくり上げる音だけが響く。洸は、何も言わなかった。



 気づけば外は夕闇に染まり、雨が窓を濡らしていた。


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