第4話 幼馴染
「ダイスー、起きてー、朝だよー」
「うぅ……ん」
5月下旬。日本全国が梅雨入りし、外では雨が激しく地面を打つ音が響いている。
いつもと同じ7時に目が覚めた私は、珍しくまだ眠っているダイスに朝の訪れを告げた。
「ダイスー?おーい」
「ん……」
だけど何度呼びかけても、試しに体を揺すってみても、身じろぎするだけで全く起きる気配を見せない。
おかしいな……いつもだったらもっと早く起きてて、むしろ私の方が起こされる立場なのに。
そのまましばらく粘ってみたけど、様子は変わらなかった。仕方なく諦めた私は、2人分の朝食のおにぎりを作るために台所へ向かった。
朝食を終えて着替えも済ませた後戻ってみても、ダイスはまだ寝ていた。
ホントに珍しいな。もしかして、ここ連日外出が続いたから疲れが祟ったんだろうか。
寝顔を覗き込む。その瞼はピクリとも動く気配がない。
あまりに綺麗な寝顔だから、息してるかと心配になって耳を澄ませると、小さいながらもちゃんと呼吸音が聞こえた。
安心しつつ時計を見ると、時刻は8時20分。流石にそろそろ出ないと大学に遅れる。そう思った私は、ダイス用に作ったおにぎりを乗せた皿にラップをして、側にメモを残す事にした。
えっと……「大学へ行ってきます。おにぎりあるから食べてね。」っと……。
ダイスは平仮名や片仮名、そして簡単な漢字くらいは読み書きできるようになっていた。だから、これくらいなら読めるだろう。
眠っているダイスの傍らにおにぎりとメモを残し、私は自宅を出た。
金曜日は講義が入っているのは3限までだ。家に帰り着くのがまだお昼の時間帯だから、なんだか少し得をした気分になれる。一足早く週末気分を味わえるというか。
帰りのバスから降りて腕時計を見ると、時刻は午後3時過ぎだった。
酷くはないけどそこそこ強めの雨が傘に打ちつける。じめじめした空気に辺りは支配されていて、やはり梅雨の時期は気が滅入るなとぼんやり思う。
ダイスは今どうしてるだろうか。思えば、今日は朝から会話していない。そう思うと一刻も早く彼に会いたくなって、私は歩くスピードを上げた。水溜まりが跳ねて靴とジーンズの裾を濡らしていくのが分かったけれど、さほど気にならなかった。
「ただいまー」
自宅に着き、玄関に足を踏み入れてすぐに帰宅を知らせる。けれど、帰ってきたのはただの静寂だった。
正直ダイスの返事が来るのを期待していた私は、少し拍子抜けしてしまった。
ダイスがいつも寝る時に定位置としているテーブルの上を見る。すると、まず最初に目に入ったのはおにぎりとメモだった。あれ、食べてない……。
隣に視線を移すと、眠っているダイスが目に入った。いずれも朝と変わりのない光景だ。
だけど……。
「……え」
ダイス本人の様子だけが、全く違っていた。
顔は真っ赤に染まり、荒い息を吐いている。見るからに苦しそうな表情だった。
「ダイス⁉︎大丈夫⁉︎」
荷物をその場に放り出し、ダイスの側に駆け寄る。咄嗟にその小さい額に指先を当てた。
「すごい熱……!」
少し触れただけでも分かる程、ダイスの体は熱を持っていた。すると、その瞼がゆっくりと薄く開かれた。
「っ……このみ、か……?」
「ダイス!大丈夫⁉︎ちょっと待ってて!」
私はそう言い、近くの棚からハンカチを取り出す。だけど濡らしてダイスの額に当てるには大きいと思い直し、また別の引き出しから熱冷まし用のシートを取り出した。万が一自分が熱を出した時にと買ってあったものだ。
それをハサミで小さく切り、ダイスの額に貼る。
「どう?」
「っ、冷たい……な。ありがとう……」
ダイスはそう言って力無く笑う。シートの温度が心地いいのか、少し安心したようだ。そんな彼の様子を見て、私も少しホッとする。
だけど、気が緩んでる場合じゃない。ダイスは非常に苦しそうだ。このシートじゃ気休め程度にしかならないだろう。
病院に連れて行った方がいいだろうか。だけど、どう説明する?診て貰う事はできるかもしれないけど、ダイスの存在がバレてしまってはタダじゃ済まないだろう。というか、病院の人達を混乱させてしまう。
苦しんでる最中に申し訳なかったけど、思い切ってダイスにどうするか尋ねる事にした。
「ダイス……その、病院……」
「いい……」
「でも……」
「っは……っ、ただの、風邪……だろう。じきに……治る……」
「だといいけど……」
ダイスは荒い息を吐きつつ、私を見つめて言葉を紡ぐ。
「病院など……行った、ら……っは、バレる、だろ……。お前、に……迷惑、が……。っふ、それ、は……嫌、だ」
「ダイス……」
息も絶え絶えになりながら、ダイスは私の為を思って病院での受診を拒否する。
ダイスの体を思うなら、病院に行った方が賢明かもしれない。だけどリスクが大きいし、ダイスの思いを無下にしたくない。
私が、なんとかするしかない。
「分かった……病院には行かない。その代わり、私ずっと見てるから」
「っだが……悪い……」
「大丈夫、そこは甘えてよ」
「っすまん、頼む……」
私がダイスの手を優しく握ると、彼もまた弱々しく握り返してくれた。
それから土曜日が過ぎ、日曜日の夜。
ダイスは未だ熱に魘されていた。
「うぅ……」
「ダイス……」
金曜の夜から数えて丸2日ダイスの看病をしていたけれど、一向に良くなる気配がない。時間に比例して私の不安も肥大していく。
実を言うと、熱自体は少しだけ下がっている。体温計で確認済みだ。通常サイズで計れるか不安だったけど、やってみたらちゃんと計れたので少し驚いた。まあ最初は全然うまくいかなくて、5回目くらいでようやく計れたんだけど。
金曜の夜に計った時は39度。土曜もそのまま変わらなかったけど、今朝計った時には38度になっていた。
だけど、それでも熱がある事には変わりない。熱冷まし用のシートや市販のシロップ薬でなんとか凌いでるけど、ダイスの息苦しさは相変わらずだ。
もしこのままずっと治らなかったらどうしよう……。
そんな不安と共に、私は今日も夜を過ごした。
「……のみ」
「ん……」
目を開けると、窓の外が明るくなっていた。いつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまっていたようだ。
「このみ」
「ん、ごめ、ダイ……え?」
寝落ちしてしまった事を謝ろうとしたら、ダイスのはっきりとした呼びかけにふと違和感を覚えた。
「おはよう、このみ」
「……え、ダイス、熱……」
ダイスの様子を見ると、彼はずっと横たわっていた上半身を起こして私を見ていた。
「快調という程ではないが、昨日よりも大分体が楽だ」
「っ、ほ、ホントっ⁉︎」
「ああ」
彼の言う通り、まだ少し怠そうではあったけれど、その表情は昨日までと比べて憑き物が降りたかのように朗らかだ。
私も安心したせいか、視界が少し潤み出す。
「よかった……」
「……すまなかったな、迷惑かけた」
「全然!ダイスが元気になってくれるなら、このくらいどうって事ないよ」
「……ありがとう」
ダイスは少し申し訳なさそうにしながらも感謝の言葉を零した。
いつもより控えめではあるけれど、久しぶりに彼の笑顔を見られた私は嬉しさで一杯になった。
「そうだ、お腹空いたんじゃない?何か作るよ!」
「じゃあ粥を」
「いいの、またお粥で?雑炊にしとこっか?」
「……じゃあ雑炊で。というかお前、時間……」
「え?……ああ」
ダイスに促され時計を見ると、時刻は7時50分。いつも8時25分のバスに乗って大学へ行くから、今から準備するとギリギリだ。
「いいよ、今日は大学休んで……」
「それは駄目だ」
「え、でも……」
多少元気になったとはいえ、病人のダイスを1人置いて行くなんてしたくない。
そんな私の気持ちを汲み取ったのか、ダイスは少し顔を俯かせて言葉を紡ぐ。
「気持ちは有り難いが……俺はこれ以上お前に迷惑をかけたくない。だから大学には行ってくれ。頼む」
「……分かった」
本当は納得いかなかったけど、真面目に懇願する彼を見て断る勇気が出なかった。
土曜日に私がバイトを休んだのを知ってるから、申し訳ないと思ってるんだろうな。確かに身内でもないのに他の事を犠牲にしてまで看病されたら、ちょっと重たく感じてしまうかもしれない。あれ、私知らない間に重い女になっちゃってた?
とりあえず渋々了承した私は、少し微笑んで私を見送るダイスを一人残し、大学へ向かった。
だけど、私はその選択を後悔した。
大学を終えて帰宅した私が目にしたのは、テーブルの下で倒れていたダイスの姿だった。
「ダイス!ダイスっ!」
彼の体をそっと抱き上げ、布団……というか、畳んで布団代わりにしている柔らかいハンカチの上にゆっくり寝かせる。
ダイスの息がまた荒い。その額に指を当てると、酷い熱さを感じた。
ヤバい、間違いなく熱がぶり返してる……!
ダイスの額に熱冷ましのシートを貼りつつ、私は大学へ行った事を大変悔やんだ。
やっぱり本人には悪いけど、大学を休んで看病に徹すればよかった。私が目を離したばっかりに悪化して……。
自責の念に頭を悩ませる。一方で、長引くダイスの不調に私は不安を誤魔化しきれなくなっていた。頭に浮かぶのは、リスクが高いからと一度捨てた選択。
やっぱり病院に行った方がいいかもしれない。だけどそうすると、ダイスの存在を公にする事になる。もう隠し切る事はできないだろう。それってダイスの体調は良くなるかもしれないけど、ダイスの身を危険に晒す事と同義でもあるんじゃないか。
じゃあ私はダイスを守り切る事ができるのか。その問いに、私は自信を持って肯定できない。
やっぱり病院は無理だ。じゃあどうする?このまま私が看病し続ける?それで本当にダイスは回復するんだろうか?
色んな考えに支配され、息が苦しくなりかけたその時。
〜〜♪
バッグの中から、電話の着信を告げるメロディが響いた。
誰だろう、こんな時に。相手には悪いけど電話に出る気分にはなれなくて、拒否しようとバッグの中のスマホに手を伸ばす。
だけど……。
『……あ、もしもし』
「あ……」
どうやら取り出す際に応答ボタンに指が当たってしまったようだ。
『ごめんな、急に。昨日実家に帰ったらさ、野菜たくさん貰ったんだけど、オレ一人じゃ消費できそうにないから、お前もどうかなと思って……』
「…………」
『……このみ?』
スマホから響いたその声を聞いて、私の中で一つの考えが巡っていた。
幼馴染。良き理解者。真面目で口が堅くてしっかり者。医学部。
彼なら、もしかしたら――。
『おい、どうした?何か……』
「お願い」
私は、その一縷の望みに賭ける事にした。
「お願い、洸。助けて……」
約20分後、洸は私の自宅へやって来た。
ダイスの姿を目にした彼はとても驚いたように目を丸くしていたけれど、解熱剤を買ってきたりダイスの服を替えたりと、速やかに動いてくれた。あまりにテキパキと動くもんだから、私は側でただ見守る事しかできなかった。
だけどそんな洸の対応が功を奏したのか、心なしかダイスの表情が少しだけ穏やかになったような気がする。私もそれを見てホッと胸を撫で下ろした。
「とりあえずこんなもんか……後は様子見だな」
「ありがとう、洸。ダイスもなんかさっきより落ち着いた気がする」
「いや、別に……普通の事やっただけだし」
洸はダイスの様子をまじまじと見ながらも、私の感謝の言葉に淡々とした態度で応える。
「いやいや、ホントに助かったよ。やっぱり洸に頼んでよかった。さすが医学部」
「いやだから、普通の看病となんら変わりないって。医学部だからって信用しすぎだろ。プロじゃねーんだぞ」
「だって私だとこんなうまくできなかったし……」
「それはお前が下手なだけだろ」
「ひどっ」
そうやって軽口を叩いていると、洸が真面目そうな顔で私に真正面から向き直った。かと思うと、途端にその目が鋭く細められる。
「……さて、じゃあ説明して貰おうか」
「?……え、さっき説明したよね?」
洸の求める「説明」とは、ダイスの件についてで間違いないだろう。だけど、私はさっき電話で全部話したはずなんだけど……。
「あんなしどろもどろな説明でどうやって納得しろと?」
「……ごめんなさい」
確かに彼の言う通り、さっきの私は動揺しまくってて、全然うまく説明できてなかった気がする……。
結局、私は一部始終をもう一度説明させられた。流石にさっきのような愚を再度犯す訳にいかないから、分かりやすさを意識して丁寧に言葉を選んだ。
そんな私の気を遣った説明を顰めっ面で一通り聞き終えた洸は、眉間に手を当てて溜息をついた。
「あの時のあれはそういう事か……」
「あの時のあれって?」
「ほら、この前大学で遭遇した事あったろ」
「あ、ああ……あの時ね」
恐らく、私がダイスと喋っているのを偶然通った洸が不審がって、私が必死で誤魔化したあの時だろう。
「なんで大学まで連れてきたんだよ、バレたらどうすんだ」
「い、いやほら、ただ家で閉じこもってるより、外に出た方が元の世界に帰れる方法も見つかるかなーって。あと社会勉強も……」
「それで肝心な手掛かりは見つかったのか?」
「…………見つかってない」
「お前……」
洸がまた溜息をつく。これでも最善は尽くしてるつもりだから、そんな呆れないでほしいんだけど。
「…………それで?これからどうするんだよ」
「どうって?」
「……こいつが元の世界に帰れる方法、本気で見つかると思ってんのか?」
洸は案の定、深いところまで的確に切り込んできた。
覚悟はしていたけれど、正直かなり痛い。……私が不安を抱いていた事だから。
「……正直、分かんない。でも、やるしかない」
「どうやって?」
「…………」
洸はとても頼りがいのある良き理解者だけど、こういうところは少し苦手だ。問題点を問答無用で突いてくる。付き合いの長い私相手だから、尚の事。
だから私も、洸相手に嘘はつけない。
「…………お前には無理だろ」
「……なんでそう思うの」
「……こいつがこっちの世界にどうやって来たかも分かんねーのに、帰る方法なんて分かる訳ねーだろ」
「それは……」
彼の指摘が的確すぎて、反論が出てこない。拳を握る。
「それに、方法が見つかるまでこいつの存在バレないようにしないとだろ。できるのか、お前に?」
「…………」
「実際、こいつが寝込んでお前はこうやってオレを頼ってきた。今日はなんとかなったからいいけど、何が起こるか分からない。いつまでも隠し通せるとは限らねーだろ」
何も言えない。何か言いたいけど、唇を震わせる事しかできない。
「この事はオレも誰にも言わねーけど、もう少しよく考えた方がいいと思う」
「…………」
「………………じゃあな」
少し長い沈黙の後、洸は静かに帰っていった。私の心に暗い影を残して。
気づけば、窓の外には暗闇が広がっていた。知らない間にかなり時間が経っていたようだ。
洸を頼ったのは間違いだっただろうか。いや、彼がいなければダイスを少しでも落ち着かせる事は叶わなかっただろうし、それに関しては後悔していない。それに、彼の言う事に間違いは何一つない。
静かに眠るダイスを眺めながら、洸の言葉を思い返す。
心は晴れないままだった。
翌朝、ダイスの体調はかなり落ち着いていて、熱も37度になっていた。
「もう大丈夫なの?」
「ああ、平気だ。昨日までと比べて体も軽い」
「昨日もそんな事言って、夕方には倒れてたじゃん」
「……ちゃんと今日は安静にしておくから、心配するな」
私が昨日の事を指摘すると、バツが悪そうに視線を逸らされた。責めるつもりはなかったんだけどな。
「それにしても、本当にすまなかった。昨日もずっと面倒見てくれていたのだろう」
「大丈夫だよ。というか、ほとんど洸にして貰っちゃったし……」
「……なに?」
私が洸の名前を出した途端、ダイスの目つきが鋭くなった。昨日はほぼ意識なかったし、やっぱり洸が来た事に気づいてなかったよね……。
「洸っていうのは、例の幼馴染か?」
「う、うん」
「もしかして…………話したのか?」
「うん……全部」
「なんて事だ……」
ダイスが額を押さえる。この光景デジャヴだな……あ、昨日の洸か。
「そいつ、本当に信用できるのか?」
「そりゃ幼馴染だし」
「付き合いが長いからって裏切らないとは限らないだろう」
「うわ、辛辣」
警戒心を募らせているダイスを安心させようと、私は正直な気持ちを伝える。
「大丈夫だよ、洸なら。口堅いし、約束は破らない」
「……よくそうやって断定できるな」
「小さい頃から知ってるからね」
「………………」
「それに、私一人じゃ昨日はどうにもできなかった。洸を頼るしかなかったんだよ」
「う……」
自分が体調を崩した事を余程気にしているのか、ダイスは苦虫を噛み潰したような顔で口を噤んでしまった。
朝に似つかわしくない重い沈黙が部屋を支配する。この時期には珍しく、よく晴れた天気だというのに。
しばらく押し黙っていたダイスだったけれど、やがて静かに口を開いた。
「このみ」
「な、何?」
「彼に、礼を言いたい」
「…………はい?」
「君が、洸殿だな」
「……そうですけど」
そしてその日の夕方。
ダイスたっての希望で、洸は昨日に引き続き私の自宅を訪れていた。そして今、2人は初めて言葉を交わしている。
「わざわざご足労いただき、すまない。俺はダイスという」
「いやまあ……知ってますけど」
「……昨日は大変世話になった。おかげで今は体が楽だ」
ダイスはテーブルの上で正座をしたまま、洸に対して深々と頭を下げた。
「別に大した事してないですし……。でもまあ、体調良くなってよかったですね」
対して洸は、表情をほとんど変えず態度がなんだか素っ気ない。恐らく、ダイスとの接し方に戸惑っているんだろう。
会話が途切れ、部屋の中を沈黙が満たす。
「…………」
「…………」
き、気まずい……。ここは私が何か言わなきゃ。でも何を……などと話題を探している間に、ダイスが話を切り出した。
「……その」
「?」
「厄介事に巻き込んですまない。困惑しているだろう」
「……いやまあ、驚きはしましたけど」
「申し訳ないが、この件はくれぐれも内密にしてほしい」
ダイスのその言葉で、彼が洸に会いたがった理由を察した。ホントに秘密を守ってくれるか疑わしいから、直接釘を刺しておこうという魂胆だな。
大丈夫だって言ってるのに。きっと洸も……。
「……言われなくても、外部に漏らしたりしませんよ」
ほらね、この通り。いや、この状況なら誰でもそう言うかもしれないけど。
とはいえ、言葉だけの約束じゃ大した根拠にはならないから、これだけじゃダイスは納得しないかもしれない。果たして、どう来るか……。
するとダイスは、ふっと軽く息を吐いて静かに口を開いた。
「そうか…………優しいんだな」
「え?」
「は?」
予想外の言葉が飛び出てきて、面食らう。それは洸にとっても同じだったみたいで、虚をつかれたような表情をしている。
そんな私達に構わず、ダイスは洸を見据えて言葉を紡ぐ。
「いや……こんないきなり現れた不審な奴の為に、看病したり秘密を守ろうとしたり……随分と尽くしてくれるものだな、と」
「一応正体は知ってるし、別に不審という訳じゃ……。というか、貴方の為じゃないですし」
「では誰の為なんだ?」
「………………」
その瞬間、体感温度が一段と低くなったような気がした。あ、あれ?冷房効きすぎかな……?
「……何が言いたいんですか」
「すまん、つかぬ事を聞いたな。忘れてくれ」
「……別に誰の為でもない、自分の為です。もしこの事が公になれば、面倒な事になるのは目に見えてるし。それを自ら招くような真似は御免だってだけです」
「では、このみや俺はどうなっても構わない、と?」
「そんな事は一言も言ってないでしょう」
気のせいだろうか。なんか2人の雲行きが怪しくなってきたような……。いや、間違いない、私には見える。2人の間にバチバチとした火花のようなものが!
「あ、あの、2人とも……」
「別に恥じる事はない。まずは自分を守ろうとするのは人間として普通の事だ。自分自身が安定していなければ、他人に手を差し伸べるなどままならないからな」
「なんですか、その嫌味ったらしい回りくどい言い方」
「そんなつもりはないが」
「というか、アンタ自覚足りないんじゃないですか?」
「……どういう事だ」
「ただでさえ居候の身で主人に迷惑をかけてるのに、リスクを顧みず外出するなんて、なんて無責任で非常識なのかと」
「っ……それはお前に関係が、」
「あーもうやめてやめて!」
怒鳴るでも掴みかかるでもないけれど、静かにじわじわとボルテージを上げていく2人の口論を、私は慌てて止める。
呼称もそれぞれ、「君」から「お前」、「貴方」から「アンタ」へと変わってるし。
すると2人が同時に私の方を向き、言い放った。
「このみ、俺はこいつと仲良くできる気がしない!」
「このみ、オレこいつと仲良くなんてしたくねえ!」
全く同じタイミングで、全く同じ内容の言葉を。いや、言い回しは若干違ってるけど。
なんて事だ。まさか2人がこんなに「混ぜるな危険」だったとは……。
「…………オレ、もう帰る」
「あ、ま、待って、洸!」
踵を翻し玄関のドアを開けて出て行く洸を、私は慌てて追いかける。
アパートの階段を降りて住宅街へ出ても彼はしばらく無言だったけど、数メートル歩いた先で立ち止まると思いきり振り返った。
「なんだあいつ、腹立つ!」
「ご、ごめん」
私が怒られた訳じゃないけど、反射的に謝ってしまった。
こんな時に考える事じゃないけど、ここまで感情を剥き出しにする洸はなかなかレアかもしれない。
「このみが謝る事じゃねーだろ」
「そうだけど……」
「ったく……」
私の謝罪が効いたのか、洸は少しクールダウンしたようだ。
しばらく黙った後、彼は静かに口を開いた。
「…………悪かったな、昨日の事」
「え……」
不意打ちの謝罪にきょとんとする。何か謝られるような事あったっけ?
「あの後、思ったんだよ。お前だって色々考えた上で決めて行動してるんだろうに、流石に言い過ぎたよなって……。ホント、ごめん」
「っそんな、洸は間違ってないよ。むしろ正論すぎて、私も考えさせられたっていうか……」
その言葉に嘘はない。誰が聞いたって、間違いなく昨日洸が言った事は正しい。本当なら、私がもっとしっかり現実見なくちゃいけないのに……。
口を噤んだ私を洸はしばらく気まずそうに見ていたけれど、やがて意を決したように言葉を発した。
「オレも、協力するよ」
「え……」
思ってもみなかった申し出に、私は目を見開く。
「いいの……?」
「ああ」
「迷惑、かけるかもしれないのに……?」
「今更だろ、そんなん」
確かに今更だ。こうして秘密を暴露して巻き込んだ時点で、迷惑をかけるのなんて分かりきっているのだから。
「早く元の世界に帰れる方法見つけて、さっさとあんな奴送り返してやろーぜ」
「うわ、厄介払いする気満々な言い方……」
余程ダイスの事がお気に召していないらしい。
だけど、洸がいてくれるなら心強い。いつも冷静で、頼り甲斐があって、信じられる安心感がある。そんな彼が一緒に動いてくれるなら。
「ありがとう、洸」
「別に」
私が感謝の気持ちを込めてお礼を告げると、彼は照れ臭かったのか素っ気なく踵を返した。
軽く手を上げて去っていくその姿を、私はしばらく見つめていた。




