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第3話 外出

 ゴールデンウィークも明け、各々が学校や仕事の日々へと戻っていく5月の月曜日。

 そんな日本全体がどこか気怠い雰囲気を醸し出す午前8時45分、私は大学へ足を踏み入れていた。

 こうして大学に来る事は私にとっていつも通りの日常だけど、そんな「いつも」から外れている点が一つ……。


「いい?絶対にバッグの中から出ないようにね」


「ああ、分かっている」

 

 そう、小さな推しが一緒にいる事だ。





 遡る事1日前。つまり昨日。

 突如「外へ連れて行ってほしい」と言い出したダイスに、私はその意図を聞いてみた。すると返ってきた答えは、「この世界やこの国についてもっと知りたい」というものだった。

 ダイスの言い分は理解できた。私と過ごしていたこの1週間、彼は数多のカルチャーショックに晒されていたのだから。

 

 まず文明の違い。ダイスの元いた世界では、電化製品というものはほとんど存在していなかった。離れた人とのやり取りは手紙や文書で行い、情報は新聞か人伝(ひとづて)で入手する。それが普通だったからか、私がテレビやスマホを使っているのを見た時のダイスは、それはそれは奇妙なものを目にしたかのような驚愕ぶりだった。

 次に文字の違い。何語なのかは分からないけど、ダイスの国で使われていた文字はアルファベットに類似したものらしい。だから初めてテレビを見た時のダイスは、聞こえてくる言葉は理解できるのに画面の文字は読めなくて、混乱する事態に陥った。

 じゃあなんで会話は日本語で成り立ってるんだ……って思わないでもなかったけど、それを言ったら日本で生み出された異世界ファンタジー作品が成立しなくなりそうなので、深く考えない事にした。

 

 とにかく、そういう経緯があったからこそ、ダイスはこの世界の事や今住んでいる日本について詳しく知りたいと思ったらしい。今後生活する上で良いだろう、と。

 

 だけど、そんなダイスの「外に出たい」という要望を承諾するのに、私は少々渋った。何故なら、ダイスの存在が他人にバレるとまずいから。

 もしダイスの存在が世にバレてしまったら、おそらくビッグニュースとして取り上げられて国全体で大騒動になり、彼のファンを始め、様々な人の好奇の目に晒される事になるだろう。そして私は、きっと炎上する……。

 そんなリスクをダイスに伝えると、彼は「確かにそうだよな」と自分の申し出を撤回しようとした。

 だけど、その時の残念そうな表情(※個人の感想です)を見て、推しにそんな顔をさせた事に罪悪感を抱いた私は、ついつい承諾するに至ってしまったのだった。

 まあいくらダイスの為とはいえ、いつまでも家の中だけで生活させてたら、まるで彼を閉じ込めてるみたいで良くないよね。ストーカーとかヤンデレじゃあるまいし。





「では、倫理学概論第4回を始めます」

 

 1限目の講義室。私は一番最後列の席に座っていた。ダイスはというと、私が膝の上に乗せたバッグの更にその上にちょこんと座って、真剣に先生の話を聞きつつ、講義室前方の大きなスクリーンを眺めている。

 この姿勢なら、後ろからは私の背中で見えないし、横からは私の腕でなんとか見えないし、前からはテキストでなんとか隠せるしで、一番安全だ。斜め上から覗き込まれたりしたらアウトだけど。

 でもこの倫理学概論の講義では、あまりそういった心配はない。なにしろ教養科目という事もあってか使用されている教室がかなり広く、70人程の受講生がまばらに座れるくらいの余裕がある。それに基本的に座学で、先生や他の人と接する機会もほぼない。よって、空いてる場所に座りさえすればダイスが見つかる可能性も低いという訳だ。

 

 私の胸元辺りに居座るダイスの様子をちらりと窺う。彼はただひたすら、少し遠いスクリーンと私の手元のテキストを交互に凝視していた。と言っても文字はほとんど読めないはずだから、映っている図解や先生の説明から情報を補完しているのだろう。

 

 などと思っていたその時、ダイスと目が合った。

 

 彼は訝しそうに眉を寄せると、私に何かを囁いてきた。でもバレないように気を張っているためか全く聞こえないので、その口の形を読み取る。


「真面目に、聞け」


「……?あ、ごめん」

 

 彼の言いたい事がなんとなく分かり、肩を竦めながら私も口パクで返す。

 

 無意識にダイスの事ばかり見てしまってたみたいだ。確かに言われてみれば、先生の話が全く記憶にない。時計を見ると9時半過ぎ。講義が始まって30分以上も経っていた。

 

 スクリーンに目をやると、アリストテレスにまつわる文章が表示されていた。あれ、おかしい。私が見てるテキストのページにはカントの事しか記されてないですけど⁉︎

 慌ててテキストを2、3ページめくると、スクリーンのものと似たような文章が現れた。危なかった……ダイスが教えてくれなかったら、更に追いつけなくなるところだったよ。

 だというのに私はその後、同じ事を2、3度やらかした。回数を重ねる毎に、ダイスも段々呆れていた様子だった。私、なんて学習しない人間なんだ……。

 そして……。

 

 キーンコーンカーンコーン


「はい、今回はここまで。今日の内容に関して自分の考えを纏めて、1000字以上のミニレポートを作ってきてください。次回提出して貰います」


「え……」

 

 マジですか、先生……。





「このみちゃん、大丈夫?なんか疲れてない?」


「大丈夫……心配ありがと」

 

 所変わって、収容人数30人程の小さな講義室。

 3限目の日本文学史が終わったところだ。

 

 結局、2限目も3限目も私は講義に集中できなかった。1限目よりも人口密度が高いから、ダイスには講義の間バッグの中に潜んで貰ったのだけど、バッグの中狭くないかなとか、今どんな気持ちで講義聞いてるんだろうとか、(かえ)ってダイスの事が気になってしまった。

 なんてこった、これは思わぬ弊害だ……。


「ホント?講義中もなんかそわそわしてたし……。無理しちゃダメだよ?」

 

 そんないつもより挙動不審な私を見かねたのか、友人の好元(よしもと)ミマちゃんが心配そうに声を掛けてきた。私の目線より少し低い位置から、くりっとした大きな瞳で顔を覗き込んでくる。


「ありがとう、でもホント大丈夫……心配しないで」


「そう?ならいいけど……」

 

 あぁ、やっぱりミマちゃんは優しいなぁ。その小柄で可愛らしい見た目に反して、すごく面倒見が良くて頼りになるお姉ちゃんって感じ。そういえば弟と妹がいるって言ってたし、姉の特性なんだろうか。

 だけどアニメやマンガの話になると一変、周りが止められない程ハイテンションで饒舌になるのを私はよく知っている。


「さては、もしかして」

 

 などと思っていた矢先、ミマちゃんがどこか悪戯めいたように口角を上げる。


「恋煩いとか?」


「んなっ」

 

 不意打ちの軽口に、思わず過剰反応してしまった。


「お、図星〜?相手はやっぱりダイスくんとか?」


「いやっ、いやいやいや!」


「違うの?このみちゃんって言ったらダイスくんじゃん。いっつもダイスカッコいい〜って言って」


「そっ、そりゃね、推しだからね!」

 

 あまりにクリティカルヒットすぎる。

 

 ミマちゃんの言う通り、私は口を開けばよくダイスの事ばかり喋ってたから、いつもならこんな風に誤魔化しや照れ隠しはしない。だけど、今はちょっと……。

 

 本人、バッグの中だしっ!


「ごっ、ごめん。私用事あるから!帰るね!」


「え、そっか。話し込んじゃってごめんね」


「いや、全然!ミマちゃんは次もあるよね?」


「うん、4限まで……って私もそろそろ行かなきゃ。またね、このみちゃん!」


「うん、頑張ってね!」

 

 なんとか話を逸らすのに成功し、私とミマちゃんは廊下で手を振って別れた。階段を上がるミマちゃんを見送り、私は彼女とは逆に階段を降りていく。

 出口に辿り着き、そこから数歩外へ出る。まだ日は高く、5月の上旬にしては少し暑い気温だった。辺りを見回すと、思ったよりも人がいない事に気づいた。遠くで4、5人の男女が談笑してるくらいで、近くには誰もいない。

 日陰にあるベンチに腰かけ、私は一息ついた。


「ふぅ……」


「……大丈夫か?」


「あ、ごめんダイス。お疲れ」

 

 私の様子を見計らって、ダイスがバッグの中から声を掛けてきた。いくらチャックなしのものとはいえ、ずっと狭くて暗い場所で息を潜めてた訳だから疲れただろう。バッグを大きく開けて、控えめな声で彼を労う。


「いや、このみの方こそ。気を張っただろう、すまなかったな」


「いやいや、これくらい平気!」

 

 まあ講義には支障をきたしたけど。


「…………」


「……な、何?」

 

 ダイスは口を真一文字に結んで黙ったかと思うと、意味ありげに私をじっと見上げてきた。え、何?なんか怒らせた?


「あの……ダイs」


「さっきの話」


「う、うん?」

 

 沈黙に耐えかねた私が呼びかけようとしたところ、ダイスはその視線を維持したまま口を開いた。

 と思いきや、今度はその視線を外し、狼狽えるように落ち着かない様子になった。


「……さっき、お前の友人が言っていただろう。その……」


「え」

 

 その態度と言葉から、彼の言いたい事にピンときた。

 ……やっぱりちゃっかり聞かれてた⁉︎


「え、いや、あれはっ、違うっていうか……」


「何が違うんだ?」


「いや、その、私はダイスの、ただのファンで……」


「……それは恋とは違うのか」


「こっ……いや、その、えと……」

 

 何この恥ずかしい会話。

 などと、私が言い訳を探してしどろもどろになっていた、その時だった。


「このみ?」


「っ⁉︎」


「っ⁉︎……ぐっ」

 

 突然、斜め後ろから名前を呼ばれた。

 驚いた私は体をびくりと揺らし、咄嗟に勢いよくダイスをバッグに押し込めた。呻き声が聞こえた気がするけど正直今はそれどころじゃない……ごめんダイス。


「こ、(こう)


「偶然だな。今帰り?」


「う、うん。洸は……また図書館?」


「まあな」


「そ、そうなんだ」

 

 話しかけてきたのは医学部の幼馴染……北野(きたの)洸。

 文学部の私とは学部が違う上にキャンパスも別だから、普通は出くわすのは珍しいんだけど、どうやらまた図書館に足を運びに来たらしい。

 だけどタイミングが悪い。悪すぎる。


「……お前さ」


「うん」


「なんか今、喋ってなかった?」


「えっ、な、何が?」

 

 核心を突かれ、少しばかり動揺する。

 その瞳はすぅっと細められ、私を訝しげに見下ろしてくる。あ、この目、苦手なやつだ。


「いや、オレが話しかける前、なんかブツブツ言ってただろ」


「……気のせいじゃない?」


「ホントか?」


「……ちょっと、独り言、言ってた、かも」

 

 あ〜、この全てを見透かすような目っ!これに見られると逃れられないような、居心地の悪さを感じる。

 案の定、洸は話を終える気配を見せず、更に踏み込んできた。


「こんな場所で独り言?見られたら明らかに変なヤツに思われるけど」


「む、無意識だったから!独り言ってそーゆーもんだから!」

 

 ミマちゃんも人の機微には敏感な方だけど、違和感を感じたらまず心配してくれる彼女に対して、洸はなんとしてもまず原因を解明してやろうという傾向が強い。だから、こうなった時の洸は正直ちょっとタチが悪い。


「あ、あー、私ちょっと用事あるんだった!ごめんね、洸。失礼!」


「あ、おい」

 

 私はわざとらしく用事を思い出したフリをして立ち上がり、逃げるように洸の前を横切る。そのまま、大学の門の方へと向かう。

 荒療治だけど、これくらい思い切った方が振り切れると分かってるから。


「ったく、今後は気をつけろよ。俺じゃなきゃ変な目で見られるとこだったぞ」


「分かってる!じゃね!」

 

 思った通り、洸はそれ以上の追及を諦めたようで、その場を去ろうとする私に軽く注意しつつ手を振ってくれた。

 このように言葉や行動から優しさが滲み出ているところが、洸の憎めないところだ。

 

 門を出てすぐの横断歩道。信号待ちで立ち止まると、バッグの中から声が聞こえた。


「あいつは誰だ」

 

 ついさっき洸に指摘されたばかりだから、念入りに周囲を確認してから返事をする。


「幼馴染だよ。洸っていうの」


「幼馴染……」


「うん。元々家が近所だったんだけど、学校も昔からずっと一緒で……」


「…………」


「ダイス?」

 

 何故かダイスが黙ってしまったので、バッグを覗き込んで様子を窺う。だけどその顔色は通常と変わらずクールなものだった。


「いや、随分と仲良さそうだと思ってな。幼馴染なら頷ける」

 

 彼は表情一つ変えないまま言葉を紡ぐ。


「そりゃね。長い付き合いだし……」


「早く帰ろう。腹が減った」


「え?あ、うん」

 

 ダイスは唐突に会話を打ち切った。何故だか気になったけど、信号が青になったのでその理由は聞けずじまいだった。





 そして平日が過ぎ去り、土曜日を迎えた。

 

 小雨が降る午後、私とダイスはハンバーガーショップに来ていた。食事のためではなく、バイトをするため。

 そう、このハンバーガーショップ『ジョイバーガー』は私のバイト先。繁華街の一角にあり、学生を中心に老若男女でよく賑わっている。休日という事もあってか、今日はほとんどの席が埋まっていた。


「お疲れ様です」


「お疲れ〜、春家さん」

 

 スタッフ用の出入口から入った私は、店長にご挨拶しながらロッカー室へと足を向けた。そこにはちょうど人の姿はなく、外の賑やかな音が響く。

 自分用のロッカーを開けてバッグを下ろし、中で息を潜めていたダイスに話しかける。もちろん小声で。


「ごめんね、このロッカーで待機になるけど大丈夫?」


「ああ、構わない」


「ホントによかったの?せっかく来たのに、ただここにいるだけになっちゃうけど」


「構わないと言っているだろう。外の様子が聞こえるだけでも興味深いし、十分だ」

 

 ダイスはそう言うけど、こんな狭くて暗い場所に何時間も閉じ込めとくのは申し訳ない。まあ本人がそれでいいと譲らないからしょうがないけど。

 本当はダイスをバイト先まで連れてくる予定は頭になかった。だけど昨日、彼が「行きたい」と自分から言い出して、仕方なく同行させる事になった。

 いや、別に嫌って訳じゃないよ?推しを身近に感じながら働けるなんて幸せだよ?だけど大学よりもバレる確率高そうだし……。だからロッカーで待機になったんだけど。

 そんな私の葛藤を知ってか知らずか、ダイスはいつも通り気丈に振る舞う。


「大丈夫だ、心配するな。それよりそろそろ時間だろう?頑張ってこい」


「あ、うん……ありがと」

 

 推しとの会話を惜しみつつ、私はロッカーのドアを閉めた。

 ダイスの事は気にかかるけど、これからバイトなんだし切り替えなきゃ。一つ深呼吸をしてから、私はロッカー室を出た。

 

 店内は相変わらず混んでいてほぼ満席状態だった。レジに入った私は、早速並んでいたお客さんのオーダーを受ける。

 働き始めたばかりの約1年前は会計に時間がかかっていたけれど、大分慣れてしまった今となってはあの頃と段違いにスムーズだ。


「193番でお待ちのお客様ー」

 

 てりやきバーガーセット2人分をカップルへ手渡し、レジに戻ろうとしたその時だった。


「おい、ふざけんな!」

 

 男性のとても大きな怒号が聞こえ、何事かと振り返る。それまで談笑していた他のお客さんも静まり返り、一斉に声の発生源へと視線が集中する。


「注文したやつと違うじゃねーか!どーなってんだよ!」

 

 そこには、強面の男性と……。


「も、申し訳ございませんっ」

 

 頭を下げる1人の女性店員がいた。

 先月バイトで入ってきた西川さんだ。私より1歳年下のまだ新人。先月末に1人でレジ対応できるようになったばかりだ。

 何か手違いがあったのだろう。生憎、先輩の江藤さんは休み、店長は接客で多分2階だ。他の先輩方はレジで対応中だし、今動けるのは私しかいない。

 レジに備え付けのヘルプボタンを押した後、急いで西川さんの元へ行き、彼女に状況説明を求める。


「西川さん、一体何が……」


「せ、先輩、実は……」


「お前、上司か?頼んだやつとちげーんだけど。どーしてくれんだよ!」

 

 西川さんに事情を聞こうとしたら、彼女に怒鳴っていたガタイのいい男性が口を挟んできた。

 西川さんはすっかり怯えて口を噤んでしまったため、私が代わりに口を開く。


「申し訳ございません。上の者はただいま参りますので、少々お待ちください」


「はぁ?おせーんだよ、待たせやがって!」

 

 男性は完全に怒り心頭だ。正直めちゃくちゃ怖かったけど、状況を把握するために質問する。


「あ、あの、お客様がご注文されたのはどちらでしょうか?」


「今話題のチーズバーガーつったんだよ!そしたらこいつがショボいやつ持ってきやがった!」

 

 男性に指を指されて、西川さんの肩が竦む。男性は空いた方の手で、開封された箱に入ったハンバーガーを見せつけてきた。

 それは、チーズバーガーだった。

 

 ど、どういう事?チーズバーガーを注文したのなら、間違ってないはずだけど。

 そこまで考えて、ふと思い至る。


「もしかしてお客様がご注文されたのは、やみつきチーズスペシャルバーガーですか?」


「それだ、それ!今テレビやネットでCMしてんだろーが!」

 

 なるほど……つまり、この男性が「今話題のチーズバーガー」と注文したのを、西川さんはそのまま「チーズバーガー」と解釈してしまった訳か。

 って、それって西川さん大して悪くないよね?そもそも注文したメニュー名が間違ってたんだから。いや……でも、「今話題の」って言ってるから、今しょっちゅう宣伝してる「やみつきチーズスペシャルバーガー」をご案内して確認する必要はあったか……。

 とにかく、それを考えていても何も解決しない。店長が来るまでできる事をしないと。


「大変申し訳ございません。正しいものをすぐお持ちしますので、少々お待ちを……」


「もういーよ、いらねーよ」


「ですが……」


「だからいらねぇって言ってんだろ!」


「っ!」

 

 パシャッ!


「せ、先輩っ」

 

 西川さんの泣きそうな声が聞こえる。グラスを向けられて反射的に瞑った目を開くと、私の顔やユニフォームが濡れていた。

 

 どうやら水を……いや、コーラをかけられたようだ。

 

 周りのお客さん達の同情的な視線が突き刺さる。私も突然の事に呆然としてしまった。


「春家さんっ!」

 

 店長の声が聞こえた。ようやく駆けつけてこられたらしい。


「ありがとうね、ごめんね。戻って着替えていいから。後は休憩室にいなさい」


「すみません……」

 

 お言葉に甘えてその場は店長へ引き継ぎ、私は着替えるためにロッカー室へ戻った。私が背を向けた後も、男性の怒号はまだ響いていた。





「どうした、大丈夫か?」


「うん……ちょっとね」

 

 予定よりも早い私の帰還に、ダイスは少し怪訝そうな顔で訊ねてきた。


「濡れてるじゃないか。何があったんだ。なにやら怒鳴り声のようなものが聞こえたが……」


「あー、えっと……着替えてから話すね」

 

 一旦ロッカーの扉を閉めて出勤時のTシャツを身につけた後、もう一度ロッカーを開けてダイスに先程の出来事を話した。

 一通り話を聞き終えたダイスは、とてもとても腹が立ったように顔を顰めた。


「そんなの、ただの言いがかりじゃないか」


「私もそう思ったけど、こっちが100%悪くないとも言い切れないのが難しいとこなんだよね……西川さんには悪いけど」


「確かにそうだが、そいつの態度は限度を超えている」


「まあねぇ……」

 

 メニューに間違いがないか確認しなかったのは西川さんにも非があるけれど、それでもあの注文は誤解を生んでも仕方ないし、なによりあそこまで罵倒してくるのは流石にやりすぎだ。それに私、コーラまでかけられたし。あれはカスハラと言われてもしょうがないだろう。

 私が悶々と考え込んでいると、同様に何かを考えているようだったダイスが私の目を真っ直ぐ見つめてきた。


「このみ」


「何?」


「……提案があるのだが」





 店内に戻ると、例の男性は性懲りもなくまだ怒声を発していた。


「金返せ!そして土下座しろ!」


「申し訳ございませんが、流石にそれは……」


「そっちのミスだろ!責任取れや!」

 

 ずっと対応していた店長の顔からは、疲弊している様子が見てとれた。西川さんも泣きながら何度も頭を下げている。

 うん、これはもう完全にカスハラだな。

 

 心なしかお客さんの数が減っているような気がする。いや、気のせいじゃない。半分以上減っている。中には食べかけのまま残されたハンバーガーやポテトもあった。いくら怒鳴る人がいて居心地悪いからって、堂々と残すとかそりゃないだろう。ちょっとイラッとした。

 

 気持ちを切り替えて、私は男性の元へ歩み寄る。


「お客様、恐れ入ります」


「あぁ?」


「は、春家さん?」

 

 退場したはずの私が再び現れた事に、店長と西川さんは驚きを隠せないようだった。

 そんな2人をよそに、私は男性へ向けて精一杯笑いかける。場にそぐわない私の表情に、一瞬男性が怯んだのが分かった。


「やみつきチーズスペシャルバーガーセットをお持ちしました」


「はぁ?いらねーって言ってんだろ!」


「お客様」


「……っ」

 

 内心ビクビクしながらも、私は笑顔を崩さない。そんな私の態度に、またも男性は怯んだように言葉に詰まる。


「先程のご無礼、大変申し訳ございませんでした。だからこそ、是非ともこちらを召し上がっていただきたいのです」


「しつけーな!それで許されるとでも思ってんのか!」


「……このチーズバーガーは極上の美味しさです」


「は?」

 

 明後日の方向を向いた私の言葉に、男性も店長も西川さんもただ黙って見ていた他のお客さんも目を丸くする。


「熱で蕩けたカマンベールチーズがジューシーなパティに絡み合い、まろやかな旨味を引き立てます。チーズハンバーグを食べているかのようです。これは温かい内に食べてこそ。一刻も早くお召し上がりください」


「いや、だからもう……」


「お客様はCMをご覧になって、当店へ足を運んでくださった。このバーガーの美味しさをお求めだったのですよね。どうか、ご遠慮なさらず」


「…………」

 

 ずっと喚いていた男性が初めて沈黙を落とす。

 しばらくハンバーガーを眺めていたけれど、やがて恐る恐る箱を開け本体を手に持ち、齧り付いた。


「…………」


「如何ですか?」

 

 男性は何も言わなかった。恐らく返事をしたら負けだと思っているのだろう。だけど黙々と食べる手の勢いが止まらない事から、ハンバーガーへの評価は明らかだった。


「あ、あの……」


「はい?」

 

 すると、近くに座っていた別のお客さんが、おずおずと私に声を掛けてきた。


「その、なんとかチーズバーガー…………一つ、貰えますか」


「……っ、はい、かしこまりました!」

 

 そのお客さんを筆頭に、その場にいたお客さん達が次々と「やみつきチーズスペシャルバーガー」を注文してきた。おかげで、お店は徐々に活気を取り戻した。

 

 ちなみに、例の怒鳴っていた男性はお店を出た後、警察に連行された。私が事前にこっそり通報していたからだ。また何か言われるかもと思ったけど、男性は先程までの態度が嘘のように、素直に脅迫と業務執行妨害を認めたらしい。





「という訳で、なんとか一件落着だったよー。ダイスのおかげ!ありがとね」


「俺は何もしていない。頑張ったのはこのみじゃないか」

 

 お店も閉店し、漆黒の空に星が光る午後8時半。

 私は自宅へと歩を進めながら、ダイスに事の顛末を話していた。


「いやいや、ホントにダイスがいなかったらどうなってた事か……」

 

 そう、私が先程バイト先で発揮した機転は、ダイスの提案によるものだった。

 笑顔で敵意がない事を示しつつ、ちょっと過剰にサービスする事で、怒った相手の勢いを削ぐ。相手はハンバーガーが食べたくてお店に来たのだから、その目的を思い出させてそれを叶える。だけど相手のした事でこちらが被害を受けたのも事実だから、ちゃんとその報復をさせる事も忘れない……。

 それを聞いた私は早速ロッカー室で警察に電話を掛けて相談し、その後キッチンでメニューを作っていたスタッフに「やみつきチーズスペシャルバーガーセット」の調理をお願いした。男性とのやり取りは、事前にダイスとシミュレーションした。

 結果的にそれが功を奏した訳だ。まあ店長には「1人で無茶するな」ってちょっと釘を刺されたけど。それでも最後は「ありがとう」と感謝された。

 西川さんにも大変感謝されたなぁ……。それと同じくらい謝罪もされたけど。彼女も、まだ独り立ちしたばかりでこんな目に遭って災難だったなぁ……。どうか辞めないでほしい。

 

 それにしても……。


「でもちょっと意外だった。なんていうか、ダイスっぽくないなって」


「そうか?」

 

 そう、その一言に尽きる。

 

 ダイスは正義感が強いから、悪い事は悪いって誰が相手でも物申すタイプかと思っていた。率直すぎるというか。原作でも、それでよく他人と揉めてる印象だったし……。

 だから、今回の彼のアドバイスは普段のイメージとは随分違う印象を受けた。


「まあ、あれは受け売りだからな」


「受け売り?」


「ああ、仲間にそういう事が得意な奴がいたんだ」

 

 少し懐かしそうに笑うダイスのその言葉を聞いて、私は1人思い当たった。


「……もしかして、セロの事?」


「……そうか、知ってるんだったな」

 

 セロ……『神眼革命』のメインキャラの内の一人だ。彼は初期から登場するメイン4人の中で一番穏やかな人物で、他3人(ダイスも含む)が喧嘩腰になる場面でも、常に平和に場を収めようとしていた。

 普段は気が弱い印象のあるセロだけど、非常に頭の切れる人物でもあって、スイッチが入ると周りが驚く程冷静に状況に対処できる一面もあった。


「俺は、自分のプライドを捨てない事が強さだと思っていた。だがあいつは……セロは、仲間の為なら自分のプライドも容赦なく捨てる。それも一つの強さなのだと、教えて貰った」

 

 ダイスは、どこか遠くを見るように目を細めながら仲間を語る。視線の先には、星空が広がっていた。


「まあ、俺には到底できそうにないがな」

 

 ダイスは苦笑しつつ、私に向き直った。その顔を見て、なんだか少し切なくなった。

 

 ダイス、本当は寂しいんだろうな。仲間達の事を語る時の彼は、楽しそうに笑う。だからこそ、現実に帰ってきた時に見せる苦笑がチクリと切ない。

 

 少ししんみりとした空気を払拭しようと、私は努めて明るい声を出す。


「じゃあ今回は、セロに助けて貰ったようなもんだね」


「ああ、そうだな」


「でもダイスに助けて貰ったのも事実だからさ……なんかお礼させてよ!」


「いや、そんな気にする必要は……」


「いいっていいって!むしろそうしないと気が済まない!だからなんでも言ってよ、欲しいものとかさ。まあ私にできる範囲で、だけど」


「……じゃあ」

 

 彼が躊躇いがちに口を開く。どんなお願いだろうかとドキドキしながら言葉を待つ。


「ハンバーグが、食べたい」

 

 予想外の要望に、私はきょとんとする。


「え、ハンバーグ?ハンバーガーじゃなくて?」


「ああ」

 

 そこはバイト先のハンバーガーじゃないんかい。

 

 でも不思議だな。ダイスってそんなにハンバーグ好きだったっけ。少し疑問に思ったけど、私は快く要望を承諾する。


「いいよ。でもハンバーグかぁ。どこで買うのが美味しいかなぁ」


「……お前の作ったものでいい」


「え?」

 

 またもや予想外のコメントが来た。


「それだといつもとあんま変わらないけど、いいの?」


「いい。というか、ハンバーグは最近作ってないだろう」


「確かに。ダイスが来た初日以来、かな?」


「そうと決まれば早く帰るぞ」


「ダイス?」

 

 何故かダイスは目を背けて、急に素っ気ない態度になった。そんなに早くハンバーグが食べたいんだろうか。よく分からないけど、推しの可愛い申し出なんだから全力で応えたい。


「よーし、じゃあ腕によりをかけて作りますかー」


「今日は疲れてるだろう。明日でもいいぞ」


「大丈夫大丈夫!ダイスの為ならいくらでも頑張れちゃうよ!」


「解せん」


「あはは」

 

 あぁ、幸せだなぁ。こうやって2人で過ごす日常がずっと続けばいいのに。

 そんな事を思いながら私はダイスとともに帰途につく。


 

 だけど、やっぱり現実はそう甘くはなかった。


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