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イルカ  作者:
8/11

 私も泳いでいい? なんで? どうして?

 あまりにも唐突過ぎて俺はパニックになってしまった。


「え、な、なんで?」


 恐ろしく間抜けな声が出た。でも本心だった。わざわざこんな時間に泳ぎに来る意味が分からない。

 鳩村はオロオロと無様に慌てる俺を無表情でじっと見ている。どうしてそんな顔をするんだろう。

 そもそも君が泳いでいいかどうかなんてそんなこと、俺に決定権は無い。このプールは俺の持ち物じゃないんだから。

 多分鳩村が聞きたいのはそういうことじゃなかった。分かってる。でも突然すぎて、なんて答えればいいのか分からなくて、気の利いたことを言えなかった。


「ねえっ!」

「はいっ!?」

「ダメ?」

「い、いや、いいけどさ……」


 鳩村に気圧されて肯定してしまった。別にダメではないのだが自分が情けない。

 自己嫌悪を感じて俯いていると、鳩村が自分を睨んでいる。訳が分からず挙動不審になっていると、再び鳩村が口を開いた。


「ねえ、門開けてよ!」


 言われてハッとした。

 確かに、泳いでいいというなら俺が手ずから門を開けるべきだ、普通なら。そういった想像力が無いことに反省しながら、俺はどう説明すべきか悩んだ。


「えっとさ、鍵持ってないから、勝手に入ってくればいいよ」

「勝手に?」

「うん、鍵たぶん職員室だから。そこんところにでっかいポリバケツあるだろ。それを踏み台にして登ってくればいい」

「え、マジ。……うん、分かった」


 鳩村は意外と納得が早く、逆さまになっているポリバケツに乗ると、そのまま立ち上がって手を伸ばし門のてっぺんを掴んだ。そのまま身体を持ち上げてあっという間に乗り越え、その身を内側へ持ってくるとフワリと跳躍し、音もたてずに着地した。そしてボーッと眺めていた俺を見て、ニッコリと笑った。


「……身軽だね」

「でしょ? 鍛えてるから」


 確かによく見ると脚に良い筋肉が付いている。メリハリが付いたふくらはぎは走り込んでいる証拠だ。部活は何をやっているんだったっけ。……知らない。走っているから、陸上部?


「陸上部?」

「え? いや、バスケ部だよ。なんで?」

「えっと、この前走ってたから」

「ああ、そうだった。この前、めっちゃビックリした」


 鳩村は思い出すように一瞬目線を上にし、それから大きく口を開けて笑った。笑うと目が細くなって、なんだかとても楽しそうに見えた。その瞬間俺は、今までしていた自分の心配が全くバカバカしいものだったんだと悟った。

 鳩村はプールサイドにカバンを置くと、おもむろに着ていたシャツを脱ぎ始めた。「え」と俺が声を上げると鳩村も「え」と返した。服の下には水着が見えた。


「びっくりした?」

「びっくりした。てかさ、水着着てんじゃん。泳ぐ気満々じゃん」

「そうだよ、泳ぎに来たんだもん」

「……すげえな」

「なにが?」

「行動力っていうのかな」

「すげえだろ」


 へへへ、と小さく笑うと、鳩村はカバンからキャップとゴーグルを取り出して装着した。そして「一回やってみたかったんだよね」とスタート台の上に立つと、両足を揃えて屈み、台を掴んで、そのまま思い切り飛び出して頭から水面にダイブした。

 ザブンと大きな音を立てて水しぶきが飛び散った。波紋で水面が揺れている。

 潜水したのち浮上した鳩村はそのままクロールで泳ぎ出した。ゆっくりだが、力が抜けていて綺麗なフォームだ。きっと体幹がいいんだろう、身体がまっすぐだ。息継ぎに無理が無く、俺に見られているにもかかわらず自分のペースで泳いでいる。

 綺麗だな、と思った。なんとなく、心から湧いて出た。同時に苛立ちもあった。俺の方が速いんだ、という小さな炎があった。


 25mを泳ぎ切った鳩村は「はー」と大きく息を吐き、ゴーグルを外し、こちらを見て微笑んだ。まだ薄暗いのに、肌が白いからか彼女の顔が光って見えた。また目が細くなっているのを見て、俺の頬も緩んだ。


「どうだった!?」


 プールの端から端へ、大きな声が響いた。俺も負けじと大きな声を出した。


「良かった! 綺麗だった!」


 その瞬間、鳩村の目が大きく見開いて、俺は大きな声を出し過ぎたのかもしれないと少し焦った。が、すぐにまた表情が切り替わり、「当たり前だろ!」と鳩村は目を細くして笑った。


「康介も泳ぎなよっ」

「お、俺? 俺はいいよ、もうそろそろ帰るつもりだったんだ」

「えーっ! まだわたし来たばっかりじゃん!」


 そう言われると断ることも出来ず、俺は再びプールに入った。反対側から鳩村が俺を見ている。俺は息を整えて壁を蹴り、思い切りけのびをした。

 水中に潜ると音が消えた。俺はいつものように無音の中を進んでいく。しばらく進んで、浮上して息継ぎ。すぐに潜ってキック、ストローク、また息継ぎ。何百時間も繰り返した一連の動きを、ゆっくりと行った。

 25mはあっという間だった。立ち止まると、鳩村がパチパチと手を叩いている。


「すごいじゃん!」

「いや別に、すごくはないよ、全然……」

「すごいって! 康介、自信持っていいよ!」


 鳩村は何度も俺を褒めた。彼女はおそらく水泳のことを知らないから簡単に俺を褒めるんだろうけど、でも褒められて嫌な気分にはならなかった。


「もう一回見せてよ!」

「いや、もうそろそろ帰るよ、ホント。疲れちゃったし」

「ええー、うーん、じゃあ明日ねっ」

「明日って、土曜日じゃん……」

「いいじゃん、土曜日でも。泳ぐでしょ?」

「泳ぐけどさ」

「ほらーっ! じゃあ明日、約束!」


 気が付けば、だんだんと空が明るくなってきている。薄暗いプールに淡い光が差し込んでくる。小さく揺れる水面に光が反射して、キラキラと輝いていた。

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