節剣・草履払い
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーん、この道場、たぶん強いな。よく声が出ている。
剣道やっていた時分に、師範に注意されたよ。竹刀の音ばかりが響いてはいけない、それを上回る気迫が響き渡らなければ、まだまだ弱い証だとね。
発声は、外へ伝わる気迫だという。発する本人にとっても、その一瞬に力を引き出す契機となり、ことによれば普段かかっているリミッターを外しうる。
それはまた、必要なときにのみ発揮できる技術のスイッチ。いわば必殺技の発動、みたいなね。
剣となれば、実際に相手を打ち倒すのが期待される仕事の大部分だろう。
しかし中にはそれを目的としない、剣の扱いもそこそこあったらしいんだよ。
かつて私が師範に聞いた話なんだが、耳に入れてみないかい?
私が教わった道場は独自の流派をおさめていたようでね。
剣道の域においては、他の道場と差はあまりないかもなあ。段位に対する型や筆記による対策なども同じだ。
しかし、かの流派には「草履払い」なる技が伝わっていると、師範からうかがったのだよ。
剣道の足として、後ろに置く左足はかかとを大きめにあげるが、右足もまたべたりとは床につけず、ほんのわずかに持ち上げる。
こうすることで、各方向への足さばきを迅速に行うことができ、機敏な応手が可能となる。師範は半紙一枚ぶんを浮かせろと、教えてくれたっけな。
くだんの草履払いもまた、この浮かせ具合を目安とする。
地面へ接することなき、超低空を走る横一文字の剣閃。それでもって相手の足裏の皮をきれいに削いでしまうんだ。
そのきわどさ、正確さが極まると、相手の履く足袋と草履のわずかなすき間をとらえ、別れを告げさせて裸足にしてしまう
皮をきれいにはがされた足裏は、接地するやたちまち血がにじみ、痛みが走って、満足に体重をかけることができなくなる。それによって相手の戦う力を奪い、その場をおさめる……という方向性の技らしい。
他の流派にあるような、すね払いのほうがよっぽど狙いやすく、実践的だろう。
中には、足裏がきれいにはがされた程度の痛みに、耐える者がいるかもしれないし、なおも打ち掛かられることがあれば、それこそ高度な技量の無駄遣いにもとれる。
しかし、これはあくまで自衛として用いた場合の効果であると、師範は話してくれた。
草履払いは、本来の名前を「節剣」という。
相手を斬るためではなく、節。音楽の調子を整えるためにあるのだとか。
師範が、かつて師事していた師匠に、本当の草履払いを見せてもらったことがある、とも話してくれた。
かの師匠は稽古はじめなどの、年ごとにある行事のおり、真剣でもって巻いた畳を斬る剣技を披露してくれる。そのときに用いるものとは異なる刀も、師匠はたずさえていたらしい。
いつぞやの稽古日、わけありでかなり早くに道場へ赴いた師範は、不意に師匠の発する裂ぱくの気合を耳にしたんだ。
地稽古で立ち会うときより、なお大きく、どこか野生の獣の咆哮に通じるところがある。
まだ師匠の姿が見えないうちだというのに、ついびびって後ずさりかけるほどの怖気が、身体を走った。
それからしばし、声はせず。師範はその間に様子をうかがおうと、つつっとなお道場へ近づいていった。
見た。道場裏でもろ肌を抜いだ師匠が、上段に真剣を振りかぶっているのを。
聞いた。師範が先ほどよりもなお大きく、獰猛な気迫を発し、自らの身体が危うさを訴えるほどの響きを。
とらえた。地へ吸い込ませるかのように閃いた師範の剣先が接地する直前で止まり、すかさず横へ払われたのを。
下段に構えた相手の剣を、払うような動きだった。
もちろん、そこに相対する剣はない。代わりに砂利の上へいくらが背を伸ばした、雑多な草たちの姿があるのみだ。
しかし彼らは一様に刃を受けて、身を寝かせることすれ、散ることはしなかった。
師匠の太刀がぴたりと止まり、残心を示す中で、なでられた彼らがまた、ぞろぞろと背筋を伸ばし直していく。
根元近くに鉄の刃をあてられたはずだ。普通なら、ただでは済まない。
なのに彼らは汁一滴、かけら一つもこぼさないまま、何事もなかったかのように、すくっと元の姿勢へ戻っていく。
それを見届け、やっと息を吐いた師匠は、ほどなくこちらを見る師範に気づき、手招きしてきた。
「これから、面白いものが見られるやもしれんぞ」
そう告げながら納める師匠の刀は、畳を斬るときに見るものとは違っていた。
刀身に浮かぶ波紋より峰よりの部分に、大小無数の穴が開いている。
師範の目には、その並びが笛の穴のように思えた。世の中には剣速を上げるためや、銃などへ取り付けるために、刀身へ穴を開けるケースもあるようだが、それにしては整いすぎた並び方だったとか。
そうして師範が刀を納め終わってから、しばらくして。
甲高い、口笛のような音がした。
師匠も師範も、口にしてはいない。音源は彼らの足下にある。
あのピンと立ち直した草たちだ。
風も吹いていないのに、彼らは茎ごと身体をくゆらせながら、その口笛に似た音色を空へ漂わせている。
よく見ると、茎から生える葉の部分さえも、身をよじるように何度も裏と表を見せながら、それぞれを盛んにこすり合わせていく。
まるで人が神様を拝むときに、手を合わせるかのごとき仕草だ。
「ああして、普段は隠れがちな草の葉たちの裏側さえいたわり、息をつかせてやること。それこそが本来の『草履払い』……いや、『草裏払い』の意といおうか」
見慣れぬ光景に目を丸くする師範に、師匠はそう語った。
こうすることは、いわば草たちにとっての命の洗濯。ややもすれば、いつ刈られて、踏まれて、食べられて、絶えてしまうやもしれない彼らの命運に、少し風を吹き込んでやる。
それができるのはひとえに、あの特殊な刀と技の合わさった時に生まれる「節剣」の妙味なのだという。